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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市東区:白壁コースSHIRAKABE

2015年1月探訪。2015年3月31日作成
2015年8月29日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約4.7km
 久屋大通駅から北東に向かい市政資料館から白壁・主税・橦木の町並み保存地区を歩き,名古屋の発展を支えた多くの近代建築に触れます。

地下鉄・久屋大通駅〜名古屋市市政資料館〜文化のみち百花百草〜堀美術館〜旧豊田佐助邸〜カトリック主税町教会〜文化のみち橦木館〜文化のみち二葉館〜名古屋陶磁器会館〜神明社〜市バス・赤塚バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・久屋大通駅

 地下鉄桜通線・名城線の交差する久屋大通駅がスタート。名古屋駅からは桜通線で3駅です。駅の北東側,1B出口を出て桜通を東に向けてスタートします。

楽只(らくし)美術館 [有料施設]
泉1-17-28



 桜通を進んで次の「桜通泉1」の交差点を左に曲がります。この筋は武平通といい,慶長15年(1610年)に名古屋城下の普請をつとめ,城下の碁盤割の区画を作り上げたという松井武兵衛の屋敷があり,それが通りの名の起源となっています。昔は町名にも残されていました。



 武平通の1つ目の交差点を右折して少し進んだところに楽只美術館があります。昭和62年(1987年)に茶道松尾流の資料館として開館しました。開館日は限定されているので,見学の際は問い合わせが必要です。

愛知県議員会館
東外堀町59

 武平通に戻り,400m北上すると「市政資料館南」交差点で外堀通に突き当たります。ここから西に進んだ第一幼稚園前には,愛知県織工場跡の案内板があります。明治10年(1877年)に維新の変革により失業した尾張藩士救済のため愛知県が設けた工場で,婦女子に製織技術を教習するなど工業指導期間としての側面ももち,名古屋の織物工業発展の基礎を作りました。



 横断歩道を渡りさらに武平通を北上すると,約200mで右側に愛知県議員会館があります。大正9年(1920年)に弁護士でのちに名古屋市長も務めた大喜多寅之助が住宅兼事務所として建築したもので,昭和27年から愛知県が管理して議員の宿泊や会合に使われています。洋風の事務所に和風の玄関や客座敷を設けたもので,今回のコースはこのような和洋折衷の大正期の建築を多く見ることができます。

名古屋市市政資料館
白壁1-3 [公式HP(外部リンク)→]



 さらに約100m北上すると,右手に名古屋市市政資料館があります。建物は旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎[国重文]を用いており,全国8か所の控訴院(現在の高等裁判所)の施設で大正11年(1922年)に完成した現存する最古の建物になっています。ドームを頂く高い塔や,赤レンガや花崗岩など色彩にも富むこの建物は,19世紀後半の西欧の宮殿や公共建築によく見られるネオ・バロック様式の特色を示しています。





内部は2〜3階の吹き抜けの大階段と会議室は外観に応じて華やかに仕上げられており,映画のロケなどでも多く用いられています。昭和54年(1979年)に高等裁判所の機能移転の後には,市政資料館として保存・再利用され,一部の部屋が当時の姿に復元されています。この中では,当時の法廷や諸設備が再現されており,大正時代にタイムトリップした気分になります。



また,展示室では明治以降の名古屋市誕生以降の名古屋市の歩みを知ることができます。


(写真は枯れる前のオガタマノキの写真です)

 名城公園の一部に指定されている資料館の庭は市民の憩いの場になっています。建物北側には,桜に囲まれてオガタマノキがありました。もともとはここから少し南の上堅杉町にあったもので,樹齢150〜200年と考えられており,名古屋では貴重な樹木で平成24年(2012年)にこの地に移されましたが,残念ながら枯れて伐採されてしまいました。



 市政資料館の南側に隣接して,ウィルあいち(愛知県女性総合センター)があります。男女共同参画社会の実現のために平成8年に設けられた施設で,関連する書籍を所蔵するほか,ホールや会議室などで多彩なイベントが行われています。

蔭涼寺
白壁1-37



 ウィルあいちからさらに東へ300mほど進むと国道41号線に出ます。ここを左折して200mほど進むと左手に蔭涼寺(臨済宗妙心寺派)があります。桂昌山と号し,延宝天和期(1673〜84年)に二代藩主光友から寺領を寄進され,一宮市妙興寺の僧景偽が建てたとされ,光友寄進の薬師如来を本尊としています。門の上に鶏の像が置かれていることから,鶏(とり)薬師とも呼ばれたそうです。



 また,この西にある柳城幼稚園は明治31年(1898年)にマーガレット・M・ヤング女史によって名古屋に最初に設けられた幼稚園になっています。

白壁・主税(ちから)・橦木町並み保存地区



 引き返して次の信号で国道41号線を渡ります。ここから東に進んだ先は市の町並み保存地区に指定されている白壁・主税・橦木町並み保存地区です。この地域は名古屋城下の東にあたり,江戸時代は上級武士の住まいが建っており,その後も名古屋の近代の実業家などの家が立ち並び,名古屋の近代の発展の息吹を感じられる場所になっています。現在は閑静な住宅地であり,名古屋有数の高級住宅街で知られます。

文化のみち 百花百草 [有料施設]
白壁4-91 [公式HP(外部リンク)→]



 国道41号線から入ってすぐ右手に旧料亭樟があります。大正初期につくられた黒い和風の門と塀が印象的で,市の景観重要建築物等指定物件になっています。主屋は昭和37年頃改修されたものです。





 少し先の右手に文化のみち百花百草があります。大正9年(1920年)に岡谷鋼機という会社の創業者の邸宅として建てられたもので,長らく空き家でしたが建物を改築して,多目的ホールも新築し,平成19年(2007年)に開業しました。建物の名前の由来はかつて岡谷家が所蔵し,徳川美術館に寄贈された百花百草図屏風によります。屏風に書かれた花がきれいな庭園を眺めながら,お茶やコーヒー,ピアノ演奏も楽しみつつ休憩することができるスポットになっています。開館が水〜土曜日のみなので注意が必要です。

櫻井家住宅
白壁4



 百花百草の少し先の左手のマンション手前に旧豊田家の門・塀があります。市の景観重要建築物等指定物件で近代になって作られた割に古い形式ですが,基礎の玉石を御影石の切石にしている点など新しい要素も採り入れています。豊田佐吉の娘婿利三郎が大正7年(1918年)に建てました。



 その反対側には櫻井家住宅があります。明治38年(1905年)建築の洋館で,黒い瓦屋根と白い洋館がこの地区で異彩を放っています。武家出身の櫻井善吉が設計したもので,平成20年に名古屋市の都市景観重要建築物に指定されました。



 さらに約30m進むと文会書庫跡の案内板が左手にあります。安永2年(1773年)に尾張藩士の河村秀穎(ひでかい)が設けた名古屋で最初の図書館にあたる施設です。

料亭 か茂免(かもめ)
白壁4-85 [公式HP(外部リンク)→]



 さらに30mほど進むと,右手に料亭か茂免があります。昭和3年(1928年)創業という老舗の料亭で,戦災の後に昭和23年(1948年)に現在の地に移転しました。この地はもともと尾張藩の中級武士の安藤十次郎という人物の屋敷跡で,建物は大正8年(1919年)に紙問屋の中井巳次郎が名古屋別邸として建てたもので,戦前戦中には皇族の居所にもなったそうです。



 さらに50mほど進んだ右手には,旧櫻明荘門があります。もともとここには同名の料亭があり,門のみが残っています。奥には「グランドメゾン白壁櫻明荘」があり,うまく昔ながらの門を利用したマンションになっていて,工夫されています。

文化のみち 堀美術館 [有料施設]
主税町4-4-2 [公式HP(外部リンク)→]



 料亭か茂免のところの交差点に戻り左に曲がって南に進み,次の交差点を左に曲がるとすぐに文化のみち堀美術館があります。ダイテックグループの創業者である堀誠氏が集めたコレクションを所蔵し,昭和初期にフランスで活躍した梅原龍三郎や藤田嗣治などの作品を楽しむことができます。営業日が土日中心なので注意が必要です。

旧豊田佐助邸
主税町3-8







 堀美術館から戻る方向に進んで,約100メートル直進すると右手に旧豊田佐助邸があります。発明王として知られる豊田佐吉の弟である佐助が住んでいた邸宅で,大正12年(1923年)に建設されました。当時流行した和洋折衷の建物になっており,右側が白いタイルが印象的な洋館で1階の蓮のつぼみの形の照明や鶴にトヨタの文字をデザインした換気口などが見所です。左側が広い間取りの和館になっています。以前は発明王の豊田佐吉,トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎などの邸宅もこの付近にありましたが,現在残っているのは佐助邸のみです。

故春田鉄次郎邸
主税町3-6-2



 旧豊田佐助邸の西側に,旧春田鉄次郎邸があります。陶磁器貿易商として活躍し太洋商工株式会社を創設した春田鉄次郎の住宅として大正末期に建てられたものです。アール・ヌーヴォーの雰囲気を持つ洋風建築と中庭をはさんで和館があり,武田五一の設計といわれます。今では中で一部(洋館部分)がレストランデュポネとして営業しています。





 この先,結婚式場の百花籠の建物が印象的です。200m進んだ左手に料亭香楽があります。明治43年(1901年)建設という古いたたずまいを残す屋敷で料理を味わうことができます。

カトリック主税町教会
主税町3-33







 少し進んで国道41号線に出た左手にカトリック主税町教会があります。明治20年(1887年)に当時ここにあった武家屋敷を改造して設けられ,礼拝堂は明治37年(1904年)に建てられたものです。この地方に初めてカトリックの教えを広めた井上秀斎という人物が,パリの宣教師のテュルパン神父とともに作った教会で,大正末期まで名古屋周辺の布教・信仰の中心で重要な建築物になっています。
 礼拝堂は白漆喰で仕上げられたアーチが独特の雰囲気を出し,奥の司祭館[国登録]は外観が下見板張りの洋風建築物で,都市景観重要建築物に指定されています。また,明治期洋館として貴重な白い基調が印象的な信徒会館[国登録]や,北側の昔ながらの面影が残る煉瓦塀[国登録]も注目したいです。また,礼拝堂の背後にある昔の武家屋敷の名残と推測される樹高19mのケヤキが都市景観重要建築物等指定物件になっています。
 なお,この主税という面白い地名は,清須越でこの付近に住宅が作られたとき,勘定奉行(税金の取立人)である野呂瀬主税が住んだことから付けられたようです。

文化のみち橦木館 [有料施設]
橦木町2-18 [公式HP(外部リンク)→]



 カトリック主税町教会から国道41号線の歩道を約100メートル南下した次の筋が橦木町筋です。この橦木の地名は,左にはみ出た部分の道がT字になっており,これが鐘を突く撞木に似ているため,漢字が転じたものと言われます。この橦木町筋を左に曲がってすぐのところに大森家住宅があります。大正期に建設された建物がそのまま残っているもので,この地区の古い街並みを形成する1つの建物です。



 大森家住宅に隣接して,伊藤家住宅があります。大森家住宅と同じく大正初期に建てられた,入口は通りに直交した路地に設けられ,通りに面して駒寄せのある塀があります。









 さらに100メートル進むと,文化のみち橦木館[市文化]があります。大正末期から昭和初期にかけて,陶磁器の加工問屋をしていた井元為三郎により建てられた邸宅です。この地域は瀬戸や多治見などの陶磁器産地からの交通の便もよく,陶磁器の絵付けや加工業者などが集まっていました。海外へも輸出された陶磁器のバイヤーなどがこの建物に招かれて,商談に応じたといいます。建物はやはりこの時期の建物に特徴的な和洋折衷型です。右側の洋館は2階建てて,1階に喫茶店,2階には建物の歴史などの展示があります。ここから多くの陶磁器が売買され,海外へと輸出された様子が伝わってきます。和館は生活の空間になっていて,文化のみちの歴史が紹介されているほか庭園も眺められます。奥の部屋は貸室としても利用できます。

文化のみち二葉館 [有料施設]
橦木町3-23 [公式HP(外部リンク)→]

 そのまま橦木町筋を進みます。右手の山吹小学校内には尾張藩医で,名古屋初の人体解剖にも関わった石黒通玄・済庵父子の宅跡の案内板があります。その先の山吹谷公園には,町並み保存地区の案内板,および名古屋第三高等女学校の校碑と昭和20年爆死した女生徒を偲ぶ碑があります。この付近は江戸時代より山吹の花の名所として有名で多くの人が花見に訪れました。



 そのまま橦木町筋を300mほど進むと,「飯田町北」交差点の先にひときわ目立つ洋風屋根の文化のみち二葉館[国登録]があります。日本の女優第1号と言われた川上貞奴と,電力王と言われ木曽川の水力発電をすすめた福沢桃介が暮らした家で,和洋折衷の豪華で斬新な建物は「二葉御殿」と言われました。もともとはここの少し北の東二葉町にあったもので,平成12年(2000年)から5年の歳月をかけて移設・復元されました。







 1階の大広間はステンドグラスがあり,2階まで吹き抜けになった構造は豪華さを感じさせます。ここでは文化のみちや二葉館の歴史などを映像で学ぶことができます。また奥の展示室では,女優川上貞奴の生涯の紹介や当時の生活の様子が展示されています。2階は名古屋で活躍した坪内逍遙など文学者を紹介する展示になっており,資料の一部を閲覧することも可能です。建物は細部まで当時の様子が復元されており,見所が多いです。

金城学院高等学校
白壁4-64 [公式HP(外部リンク)→]



 文化のみち二葉館の手前の道を北に進むと300m強で左手に金城学院高等学校が見えてきます。金城学院は明治22年(1889年)に米国南長老教会の宣教師ミセス・ランドルフが創設した金城女学校を前身とし,創設時はこの南の下竪杉町(現在の東桜1丁目)にありました。栄光館[国登録]は昭和12年(1937年)に生徒全員が集まって礼拝する講堂を設ける目的で設けられました。1階に図書室,2・3階に講堂と異なった性質の施設をうまくまとめスペイン瓦で白い壁の清楚なたたずまいになっています。

主税町長屋門
主税町4-72



 金城学院高等学校から戻って「主税町4」の交差点を左折して東に少し進むと主税町長屋門があります。江戸時代に作られた当時の位置のまま残る長屋門(武家屋敷門)として貴重なもので,になっています。門の東側に門番の部屋,西側には納屋があります。昭和46年(1971年)頃塀や長屋の一部が撤去されましたが,その後修復し保存されています。また有料で貸室も行っているようです。

名古屋陶磁器会館
徳川1-10-3 [公式HP(外部リンク)→]



そのまま300m進んだ「平田町北」交差点の歩道橋で国道19号線を渡り,そのまま北に進んで次の筋を右に入ったところに名古屋陶磁器会館[国登録]があります。この付近は明治後半から昭和初期にかけての時期,絵付け工場や貿易会社が集積していた地域で,この地域の陶磁器流通において非常に重要な地位を占めていました。昭和8年(1933年)に建築されたこの施設は流通業者や加工業者の寄付などもつのって,この地域の拠点として建設されました。鉄筋コンクリート2階建て(一部3階)で,豊かな表情の外観はドイツ表現派の流れをくむものです。

三菱東京UFJ銀行貨幣資料館
赤塚町25 [公式HP(外部リンク)→]



 再び「平田町北」の歩道橋を渡り,国道19号線の左側の歩道を北上すると,約300mで左側に三菱東京UFJ銀行貨幣資料館があります。東海銀行の本店ビルに昭和36年(1961年)に設けた貨幣資料室がその前身で,昭和55年(1980年)に東海銀行貨幣資料館として一般に公開されるようになりました。長く中区錦の美幸ビルにあり,その後名古屋銀行本店跡のビルに移転しましたが,平成21年(2009年)に現在地に移転しました。中では日本や世界各地の貨幣をおよそ1万点を体系的に展示しているほか,同行が収集した歌川広重の「東海道五十三次」をはじめとする浮世絵の展示も企画されています。また,江戸時代の両替商を再現したコーナーや1億円の重量を体感するコーナーなど,子ども連れでも楽しめる施設になっています。



 この1本西側は善光寺街道になります。別名下街道とも言われた庶民の道で,赤塚から大曽根,多治見を経て中山道の大井宿(恵那市)を結び,名古屋と信州とを行き交う旅人で賑わいました。享保十年(1725年)創業の油屋「熊野屋」がこの付近に現在でも残されています。

神明社
徳川2-1-1 [公式HP(外部リンク)→]





 そのまま北上し,出来町通との「赤塚」交差点の北東に神明社があります。地名から赤塚神明社ともいい,この付近の総産土神として篤い信仰を集め,江戸時代には境内では芝居が盛んに上演され,門前町を形成していたといいます。山口町と赤塚町の境にありましたが,現在の国道19号線の開通で現在地に移転し,境内は縮小しました。現在も茅輪や厄除祭などの神事が盛んで,境内に保存樹が残り雰囲気をかもし出しています。

ゴール:市バス・赤塚バス停

 神明社のある「赤塚」交差点にある赤塚バス停がコースのゴールになります。幹名駅1系統が名古屋駅まで約20分,栄12および栄14系統を利用すれば栄駅まで約15分で出ることができます。また,ここから西に少し行ったところに基幹バスの白壁バス停があるため,バスの時刻などによっては,こちらを利用してもいいでしょう。



【再訪問】桜の時期の文化のみち

市政資料館付近の桜 [3月撮影]

 市政資料館付近のサクラの時期の写真です。重要文化財の建物とマッチしていて,とてもよい雰囲気でした。




文化のみち二葉館付近の桜 [3月撮影]

 金城学院高校から文化のみち二葉館にかけての道路は,早咲き桜の名所になっています。この名所を桜の時期に再び訪ねてみました。



 金城学院高校方向に目を向けた様子です。桜並木が続きます。



 文化のみち二葉館付近です。暖かい陽気の中での桜見物は最高でした。

写真使用数:66

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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