本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市東区:建中寺コースKENCHUJI Temple

2015年1月探訪。2015年3月31日作成
2015年8月29日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約3.4km
 区中央部の筒井地区とその周辺を歩きます。建中寺を中心とする昔ながらの社寺と,武家屋敷だった昔のおもかげを残す町並みをめぐります。

基幹バス・山口町バス停〜徳源寺〜覚音寺〜百人町筋・黒門町筋〜情妙寺〜自然院〜建中寺〜物部神社〜地下鉄・車道駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:基幹バス・山口町バス停



 今回は基幹バスの山口町バス停がスタートです。名古屋駅から基幹2系統を利用して約20分,栄駅から約15分の場所に位置しています。市バスと名鉄バスのいずれも利用できます。バス停のある「山口町」交差点からスタートします。

徳源寺
新出来1-1-19 [公式HP(外部リンク)→]



 基幹バスの走る出来町通を東に約300m進むと右側に徳源寺(臨済宗妙心寺派)があります。蓬莱山と号し,織田信長の二男信雄によって文禄元年(1592年)に熱田に建立され,もと宝泉寺といいましたが,寛保4年(1744年)にこの地に移り,文化5年(1808年)に現在の寺号に改めました。文久2年(1862年)に尾張十四代藩主の徳川慶勝が,濃尾両国の臨済宗の道場として諸堂を整え,現在でも妙心寺派の七大修行道場の1つになっており,坐禅会が行われています。太平洋戦争の戦災で焼けて主要堂宇は再建されたものですが,禅堂・鐘楼などは以前からの建物になっています。



 境内の仏殿は宝形造といわれ,石製の須弥壇の上に約4mの金銅製の釈迦涅槃像が安置されているといいます。また,禅堂は入母屋造で文久3年(1863年)に総見寺から移したもの,鐘楼は明治8年(1875年)に政秀寺から移した幕末の形式のもので,これらも見どころです。



 本堂は戦災で焼けて昭和28年(1953年)に竣工した鉄筋コンクリート造です。境内には木が生い茂り,禅寺特有の静かな雰囲気でゆっくりすることができます。

覚音寺
泉1-17-28



 徳源寺から北側の出来町通に出て,東側の「徳川美術館南」の交差点に進みます。ここを渡り,ちょうど徳源寺のある反対側に行くと,出来町天王祭の鹿子神車[市民俗]の山車蔵があります。6月の第1土曜・日曜の出来町天王祭と,10月の東区民まつりの山車揃えの際に山車をみることができます。



 「徳川美術館南」の交差点を南に進むと,約30mで養壽院(真言宗)があります。秋葉山と号し,安永9年(1780年)に現在の北区に創建され,天明3年(1783年)に現在に移ったといい,江戸時代の尾張名陽図絵にも記載されていたとのこと。平成15年に完成した新しい堂宇になっています。



 養壽院の南側に隣接して,覚音寺(真宗大谷派)があります。明治期の仏教界において「今親鸞」と呼ばれた清沢満之(まんし)は、この寺で得度し勉学したことで知られています。彼は真宗の改革に尽力し,東京に設立された真宗大学(のちの大谷大学)の学監になったことでも知られています。本堂は戦災をまぬがれた古いものです。

東海中学校・高等学校
筒井1-2-35 [公式HP(外部リンク)→]



 覚音寺からさらに約300メートル南に進むと,右手に東海中学・高校が見えてきます。1888年(明治21年)創立の仏教精神に基づく男子校で,愛知県の私学のトップレベルの学校として知られています。大講堂[国登録]は鉄筋コンクリート3階建てで昭和6年(1931年)に建てられたもので、当時の様子を色濃く残しており,現在でも行事などに利用されています。

百人町筋・黒門町筋



 東海中学・高校の入口から少し進んだところに史跡散策路の道標があり,百人町筋・黒門町筋の入口があります。この付近は,江戸時代には足軽などの下級武士が多く暮らしたところで,昔ながらの細い道が入り組んだ構造をしています。近年の区画整理により,多くが姿を消しましたが,一部では昔ながらの町並みを感じることができます。





 百人町筋の細い道を道なりに200mほど進むと広い道にぶつかり,その広い道を右手に見える「百人町西」の横断歩道で渡ります。再び左に曲がって先ほどの道を直進する道に入ると,約50mで右手に先ほどの覚音寺の項で述べた清沢満之の出生地の案内板があります。

情妙寺
筒井4-39



 案内板のところを右に曲がり,さらに突き当りを右に曲がって広い筋に出たら左に曲がると,「黒門町」の交差点になります。ここの横断歩道を渡って,交差点の南西方向に進み,西に進む道の歩道の南側を通って進み,さらに次の筋を左に曲がると,約100mで情妙寺(日蓮宗)があります。源頂山と号し,身延山久遠寺の末寺にあたります。慶安年間(1648〜52年)に徳川家康の菩提をとむらうために,茶屋新四郎長吉が建立したもので,自身の父母の法名を寺号にしたといいます。後に藩祖義直の位牌も並べて祀ったと言います。寺宝の「交趾渡航図巻」[県文化]が有名で,これは茶屋が慶長16年(1612年)にご朱印船に乗って交趾(現在のベトナム)に赴いたときの状況を描いたもので,尾州茶屋家の寄進により寺に残されたものです。また,境内には「手のひらに雨としる夜の水鶏哉」という元禄時代の俳人霊光斎呑水の句碑があります。



 情妙寺からそのまま突き当りまで進み,右に曲がって進んで1筋目の道を再び右の入ると,すぐに右手に筒井町天王祭の湯取車[市民俗]の山車蔵があります。6月の筒井町天王祭の際と,10月の東区民まつりの際に山車が出されます。

自然院
筒井4-13



 情妙寺の先の交差点を右に曲がって進むと,約50mで自然院(浄土宗)があります。宝池山と号し,高岳院出身の僧が京都黒谷の金戒光明寺の住職などを歴任後に承応元年(1652年)に布池付近に創建されたため,別名黒谷自然院ともいいます。元禄8年(1695年)に三代藩主徳川綱誠による御下屋敷の拡張にともなって現在地に移転しました。天明5年(1785年)の火災後に再建され,その後修理されて現在に至ります。

善光寺
筒井1-14-30



 自然院から進み,広い道に突き当たったら右に曲がります。少し進んだ先にある筒井小学校は,ここの校舎の一部は,戦前から残る鉄筋コンクリート造になっています。



 筒井小学校の北に当たる道を左に曲がって約100,m進むと,右手に筒井町天王祭の神皇車[市民俗]の山車蔵があります。鹿子神車・湯取車と同じように,毎年6月の天王祭と10月の東区民まつりで山車が曳航されます。



 その先の右手に善光寺(浄土宗)があります。定覚山と号し,この付近の七ヶ寺の門前を形成する寺院の一つです。創建年代は不詳ですが,元和元年(1617年)に没した覚山という僧が中興の開山です。もともと葉栗郡黒田村(現在の一宮市)に創建され,各所に移動したのち,第2次世界大戦後に現在地に移されたといいます。

建中寺
泉1-7-57 [公式HP(外部リンク)→]



 ここから突き当りを右折し,続くバス通を左折すると約100mで右手に建中寺(浄土宗)が見えてきます。徳興山と号し,慶安4年(1651年)に尾張二代藩主徳川光友が藩祖義直の菩提をとむらうために創建されたもので,以降,代々尾張徳川家の廟が設けられた名古屋でも一二を争う由緒ある寺です。江戸時代には城下の東端に設けられ,当時は現在の5倍もの寺域を誇っていました。天明5年(1785年)の大火で総門・山門などを残して焼け,さらに昭和20年(1945年)の空襲でも大きな被害をうけましたが,江戸時代の創建当初から残る建造物がたくさん残されており,徳川家霊廟[県文化]をはじめ,他に市指定文化財が8,国の登録文化財が1の建造物があります。入口の三門[市文化]は慶安5年(1652年)創立時から残るもので,入母屋造本瓦葺で門を派手に見せるために禅宗の様式を採用した堂々としたもので,名刹にふさわしいものとなっています。三門とは空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持ち,佛教の覚りの境地を表すものだそうです。



 三門から中に入ると正面に本堂[市文化]があります。天明5年(1785年)に大火で堂宇を焼失したのち,天明7年(1787年)創建されたもので,古い形式を保っていることから以前の建物を踏襲したものと言われています。本堂の背後に続いて,県指定文化財の徳川家霊廟が立っています。天明6年(1786年)再建の棟札を持ち,明治初期に他の三殿が廃されて残ったものになっています。なお,廃された三殿はそれぞれ東区の貞祖院,南区の蒼竜寺,小牧市の稲荷堂へと移されました。



 境内右手手前には鐘楼[市文化]があります。本堂と同じく天明7年(1787年)に建設されたものです。台形状の袴腰つきになっています。



 その奥には経蔵[市文化]があります。文政11年(1828年)建造で,宝形造り本瓦葺き。内部に精密な八画輪蔵を安置しています。平成の大修理が完成し,平成17年から一般に公開されています。この奥には庫裡があり,明治19年(1896年)に名古屋商工会議所として創建された徳興殿[国登録]があります。



 境内右側には昭和44年(1969年)再建の明王殿(不動堂),天明6年(1786年)再建で代々の住職の位牌がおさめられている開山堂[市文化]があり,これらは建中寺の伽藍を理解するうえで貴重な遺構といいます。



 さらに本堂左奥には,尾張二代藩主の徳川光友廟[市文化]があります。元禄14年(1701年)の創建当初のものが残されています。尾張徳川家の伝統を感じられる空間です。



 三門から出て右(東)側には,御成門[市文化]があります。17世紀後半に創立後遅れて検建築されたとされる華やかな小門で,建中寺を見学する際の1つのポイントになっていますが,元々は後方の墓地にあったようです。



 また,目の前の建中寺公園を抜けて進んだ先には,総門[市文化]があります。三門と同じく慶安5年(1652年)創立時から残る門で,本瓦葺の荘厳とした門は見所で,かつての建中寺の大きさを彷彿させます。



 建中寺から西に約200m進んだ「東区役所南」から少し北に東区役所があり,東区の地図などの情報を集めることができます。区役所の道路をはさんで反対側に愛知商業高校がありますが,ここに愛知県明倫中学校跡の碑があります。昭和23年にこの明倫中学と第一高等女学校が統合して,この北にある明和高等学校ができました。

物部神社
筒井3-31-21





 建中寺公園の南の総門から出て,左に曲がると筒井町商店街が伸びています。東区の昔ながらの商店街で,特に6月第1土日曜に行われる天王祭の際には多くの人出で賑わいます。昔ながらの人情味あふれる商店街で少し休憩してもいいでしょう。



 約300m進んで次の信号を右折し,さらに2つ目の筋を左折して進みます。この付近が城番町で昔は名古屋城の警護を行う城代同心・御深井番などの屋敷地でした。





 直進して突き当りを右に曲がり約300m進むと桜通に突き当たります。左に曲がってすぐに「赤萩」の交差点があり,横断歩道を渡って交差点の北東に物部神社があります。垂仁天皇時代に創建されたと伝わり,古代の物部氏の氏神がまつられています。平安時代の延喜式にも「愛智郡物部神社」と記されている格式の高い神社です。国を鎮めたという俗に要石という大石をご神体としているところから,石神神社などともいいます。元禄年中(1688〜1704年)に尾張徳川家第3代の徳川綱誠が荒廃した社殿を修復したとのことです。

ゴール:地下鉄・車道駅

 「赤萩」の交差点から少し西に戻ったところにある地下鉄桜通線・車道駅がゴールになります。名古屋駅に戻るためには,桜通線で5駅になります。また,この他にも中央線・地下鉄東山線の千種駅にも徒歩圏内で行くことができます。

写真使用数:72

←前:白壁コース / 名古屋市東区 / 次:徳川園コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>