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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市熱田区:高蔵コースTAKAKURA

2015年2月探訪。2015年10月1日作成

【コース】 距離:約6.5km
 金山駅から高蔵地区にかけての史跡をめぐります。鍛冶と縁が深い金山神社,子育ての高蔵さん,かつての景勝地夜寒里など奥深い見所が多いです。

JR名鉄地下鉄・金山駅〜名古屋ボストン美術館〜観聴寺〜金山神社〜住吉神社〜妙安寺〜畑中地蔵〜大乗教総本山〜高蔵遺跡〜高座結御子神社〜夜寒里跡〜想念寺〜春養寺〜熱田神宮前商店街〜神宮東公園〜JR熱田駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:金山駅



 今回のスタートは地下鉄・名鉄・JRが集まる金山駅です。金山駅は中区に位置しますが,すぐ南は熱田区になります。金山駅の南口から出て進んでいきます。

名古屋ボストン美術館 [有料施設]
中区金山町1-1-1 [公式HP(外部リンク)→]



 金山駅南口から出て駅前広場の右側に進むと,金山南ビルがあり,ここの2階から名古屋ボストン美術館に行くことができます。アメリカのボストン美術館の姉妹館として,ボストン美術館の芸術品などを味わうことができ,様々な企画展覧会も開かれる美術館として人気があります。金山南ビルが完成した翌年の平成11年(1999年)に開館し,ひとまず20年間の2019年3月末まで営業することが決まっています。入場券とミュージアムショップが3階にあり,アメリカのボストン美術館を紹介するギャラリーが4階,関連の映像が見られるレクチャールームや図書コーナーが5階に設けられ,ゆっくりと過ごすことができます。





 金山南ビルの11階にエレベーターで上がると名古屋都市センター[公式HP(外部リンク)→]のまちづくり広場があります。清須越しから始まり,戦後の名古屋の町づくりの歴史が常設展示されており,これからのまちづくりについても紹介されています。また,企画展示室やホール,交流サロンもあり,ここからは金山からの町並みを一望することができます。

観聴寺
金山町1-10-8





 駅前の「金山総合駅南」の横断歩道を渡って直進し,次の交差点を左へ,続いて右に曲るとすぐに観聴寺(西山浄土宗)があります。大悲山と号する尼寺で,江戸時代は俗に観音堂と呼ばれましたが,明治8年(1875年)に現在の寺号に改められ,戦災後にこの南の熱田神宮公園のある旗屋町にあったものを現在地に移しました。寺には戦火をくぐりぬけた二躯の鉄地蔵菩薩立像[県文化]があります。これは断夫山古墳のかたわらの地蔵堂に安置され庶民からの信仰を受けていたものが,堂の廃絶後に観聴寺に移されたもので,室町時代の鋳造技術を見る上で貴重な資料となっており,このうち1つには享禄4年(1531年)の銘が残されています。また,境内には月待供養碑[市民俗]3基があります。月待ちは古い信仰に基づいて,十五夜,十七夜,二十三夜などに徹夜のおこもりをして月出を待つ民間信仰で,室町から江戸にかけて一般庶民の間で盛んに行われました。これら3基はすべて二十三夜をした供養に立てられたもので,それぞれ文禄5年(1596年),寛永7年(1630年),寛永16年(1639年)の銘が入り,民間信仰の貴重な遺産になっています。寛永16年の碑には正保4年(1647年)の銘もあり,これは庚申待と月待を兼ねた碑文が彫られています。

金山神社
金山町1-16-19



 観聴寺の次の交差点を右折し,続く交差点を左折して100mほど進むと「新尾頭東」の交差点に到着します。ここを右折し続いて右に曲ると地名の由来となっている金山神社があります。承和年中(834〜48)に熱田神宮修理職の鍛冶尾崎彦四郎の祖先が屋敷内に勧請したのが始まりで,金山の森とも鍛冶屋が森とも呼ばれ,この地で刀剣などの冶金が行われたため「尾張鍛冶発祥の地」と言われます。応永年中(1394〜1428)に熱田大宮司によって熱田神宮南西の中瀬町に移住して,室町から江戸にかけては金山鍔という鉄製刀道具が生産され,その鍛冶師らによって盛んに参拝され,明治になって金属業界の有志が金盛講を結んで現在地に移転し,昭和31年(1956年)は奉賛会を結成して発展的解消をしたといいます。毎年11月8日には例祭の「ふいごまつり」が行われ,金属業界からの信仰を集めています。社殿の西側には高さ25m,枝張りは縦横とも15mにも及ぶイチョウの神木があり,注連縄がまかれ多数の鍾乳体が見られハリネズミのような特徴のある木になっています。

住吉神社
新尾頭1-9-28



 右に曲がる前の県道のところに戻り,右に曲って西に進むと「新尾頭」の交差点で国道19号線に突き当たります。横断歩道を渡って右に曲ると,「金山新橋南」の手前に佐屋街道の道標があります。高さ1.5mの花崗岩製で,四面に街道名が刻まれており,文政4年(1821年)に佐屋宿の旅籠仲間が立てたものといいます。佐屋街道は宮宿からの七里の渡しを避けて,陸路で岩塚から佐屋に向かい,ここから木曽川を下って桑名に至りました。





 「新尾頭」の交差点に戻り,さらに西に約100m進むと住吉神社があります。摂津(大阪)の海の守護で信仰が深い住吉神社を享保9年(1724年)に勧請したもので,宝暦12年(1762年)に廻船業者が社殿を造営し,船頭たちの信仰を集めていました。境内には享和3年(1803年)に立てられた尾張が生んだ俳人の圃暁,暁台,士朗の三人の句が1つずつ刻まれた三吟塚があります。神社の狛犬は一角獣になっており,江戸時代の名古屋ではとても珍しいものです。

妙安寺
新尾頭2-2-19



 住吉神社から西に進んだ「住吉橋東」で県道を渡って川沿いに進み,次の左の筋に入るとすぐに妙安寺(臨済宗妙心寺派)があります。富春山と号し,もとは海東郡助光村(現,中川区)にあって文禄年間(1592〜96年)に勧請されましたがほどなく廃寺となり,寛文9年(1669年)に名古屋の富商の織田正直がこの地に移して再興し,僧江天を開山としました。延宝5年(1677年)本堂・山門が完成し,宝永8年(1711年)には観音堂を再建しました。本尊の聖観音菩薩は宋銭を集めて鋳造したといいます。ここの観音は俗に沢観音といい,熱田四観音の1つとして名高いです。また,後園から西南の眺望は名古屋三景にも数えられ,文人墨客が多く訪れる景勝地として知られています。境内には,芭蕉の時雨塚と鴨塚や井上士朗の句碑,その門下の岳輅の句碑など合計5つの塚が立てられています。

畑中地蔵
花町1-18



 妙安寺からさらに道なりに進んで,次の筋を左に曲がって50m強進むと右手に「新尾頭」交差点が見えます。ここで国道19号線を少し南下すると熱田神宮一の鳥居跡の碑があります。





 交差点で国道19号線を渡って県道29号線の右側の道を進み,3本目の筋を右に進むと,100m弱で左に畑中地蔵があります。この付近の畑を耕していた百姓が掘り出したものをまつったもので,霊験があらたかで戦時中にこの付近が被害がなかったのもこの地蔵のためといういわれがあるそうで,現在も毎月24日の地蔵菩薩の命日にはお経を唱え地蔵菩薩の徳を称えています。また,同じ境内に移された七橋供養塔とその案内板があります。これは,かつてたびたび氾濫した堀川の災害を食い止めようとして自ら人柱となった高僧を供養するために元文3年(1738年)に建てられた塔です。

大乗教総本山
外土居町4-7 [公式HP(外部リンク)→]



 そのままさらに200mほど進み突き当りを左に曲がると昔ながらの沢上商店街になります。300m進んだ先の「外土居」交差点を渡り,さらに直進して2本目を右に進み続いて左に曲るとすぐに大乗教総本山があります。大乗教は大正3年(1914年)におこった在家仏教の教団で孤児や困窮者に手を差し伸べたり,古くからハンセン病の患者救済に取り組んだりしたそうです。寺の中にはインドをイメージした高さ55mの聖仏舎利宝塔があり,大鐘楼堂の昭和31年(1956年)鋳造の「平和の鐘」も見どころです。また,涅槃堂にある釈迦涅槃像は身長5.6mもあり,300年前インドで制作されてビルマ(ミャンマー)国宝から大正天皇に贈られたもので,元々陸奥国分寺にあったものが移されました。

高蔵遺跡
高蔵町9



 大乗教総本山から出て右に曲って西に150mほど進み,広い道に突き当たったら左に進んで歩道橋を渡ったところに高蔵公園があります。ここは明治40年(1907年)に発見され,南北700m,東西500mの範囲に弥生時代の遺構が見つかりました。明治41年には二点の丹塗り壺と馬の前肢骨が見つかっています。前者は東海地方の弥生土器の代表とされパレス式土器と呼ばれるもとになったもので現在は東京国立博物館に保管され,重要文化財に指定されています。また,後者の発見は日本に馬が生息していた時期が弥生時代以前を明らかにしたということで重要な発見になっており,これらの発見で全国的にも有名な遺跡になっています。その後,昭和56年から60年の調査で弥生前期の溝状遺構や弥生後期の方形周溝墓が確認されています。この付近は古代には熱田台地以外の部分は海で,かつては像の鼻と呼ばれる半島になっていて,貝塚や遺構が多く発見されています。

高座(たかくら)結御子神社
高蔵町9-9



 高蔵公園の南側には高座結御子神社があります。創建は不詳ですが熱田神宮と同時期に鎮座したといわれる古社で,平安時代の『延喜式神明帳』に載る式内社で,続日本紀承和2年(835年)の記に社の名前が見られます。熱田神宮の摂社で,尾張氏の祖である高倉下命(たかくらじのみこと)を祀ることから社の名前がついたと考えられますが,祭神については別説もあります。人々からは「高蔵さん」と呼ばれて子育ての神として親しまれており,6月1日の例祭は境内末社の御井社の前にある井戸をのぞかせる「井戸のぞき」がよく知られ,井戸をのぞいて水をいただくと虫封じに霊験があると言われます。4月3日には幼児成育祈願祭が行われ,かつては子預け祭といわれ子どもが15歳になるまで神様に預け守ってもらうものでした。



 境内には「高蔵の森」で知られる社叢が広がり名古屋に古くから残る貴重な自然で,高さ12〜15mにも及ぶクスノキの大木も3つあり,落ち着いたムードが漂います。また,神社の境内にはかつて高蔵古墳群と呼ばれ,7基の円墳がありましたが,現在は稲荷社の北にある4号墳だけが古墳のおもかげを残しています。過去の発掘からは横穴式石室や,副葬品の直刀・金環・須恵器・土師器などが見つかっており,この南西の断夫山古墳の被葬者に近い豪族の墓と考えられています。また境内には承和12年(845年)に103歳で清涼殿で長寿舞を舞ったという尾張連浜主の歌碑があり「翁とて侘びては居らぬ草も木も栄ゆる時に出でて舞いけん」とあります。

夜寒里跡碑
夜寒町5-1



 高座結御子神社の南側から出て直進し,次の広い道を渡って左に進んだ旗屋小学校の前に夜寒里跡の碑があります。尾張の景勝地であり閑静な別荘地としても知られ,歌枕として古歌にも詠われている夜寒の里の場所には諸説ありますが,有力なのが『熱田旧記』に「大宮の北,高蔵の南」と記載されたこの場所で,熱田神宮周辺にいくつかある名所の1つと考えられています。この付近はかつては年魚市潟(あゆちがた)という干潟が広がる海を見渡せる高台でした。この歌碑は歌人磯部芦丸(号千舟)が自宅に建てたものを移したものといわれます。

想念寺
夜寒町5-1 [公式HP(外部リンク)→]



 進んだ旗屋小学校の先の道を右に曲り,そのまま250mほど進むと右手に威徳院(天台宗)があります。ここに清水の出る玉ノ井という井戸があって,かつては熱田の名所として知られましたが,今は水も枯れて形だけが残っています。ここから先は,熱田百ヶ寺と呼ばれる寺の多い地域として知られ,戦後には移転した寺もありますが,名古屋で最も大きな寺の集積地になります。



 なお,この裏手の玉の井公園付近でも,昭和26年(1951年)頃に縄文晩期から弥生後期の土器などが発見され,熱田台地の弥生文化成立の状況を解明するうえで貴重な発見になっているといいます。



 威徳院から進んで4つ目の筋を右に曲った右手には総持院(臨済宗妙心寺派)があります。瑞現山と号し,万治元年(1658年)に創建され,文化13年(1816年)に現在地に移ったといい,大須の総見寺の隠居所となりました。



 そのまま直進して国道19号線まで出て,左折して100mほど進むと左手に想念寺(浄土宗西山禅林寺派)があります。慈弘山と号し,延宝6年(1678年)に創建され,元禄
年中(1688〜1704)に南の大瀬古から現在地に移りました。古くは東光寺といいましたが,明和2年(1765年)に改称されています。本尊は阿弥陀如来坐像で,地蔵堂には中国の九華山から招来されたという26体の地蔵を安置しています。

春養寺
旗屋町503



 ここから次の左に入る筋を進むと,左手に春養寺(曹洞宗)があります。亀丘山と号し,文政3年(1820年)に再興され,もとは法持寺の末寺で春養院といいました。本尊は木造大日如来像で,境内には室町時代後期作と考えられている線彫地蔵菩薩と,馬頭観世音菩薩像があります。



 国道19号線に戻り,さらに南に少し進むと左手の建物の間の奥に玉泉院(浄土宗)があります。宝樹山と号し,永禄8年(1569年)に熱田の豪商加藤家の建立といいます。
 

熱田神宮前商店街
神宮3-1-3



 先の神宮西駅1番出口を越えて「旗屋町」交差点を渡り,右に進んだところに熱田神宮の末社で旅行安全の神として知られる下知我麻神社があります。この奥には熱田神宮の社叢が広がっています。



 交差点に戻り,すぐに左に進むと熱田街園があり,水の流れる公園が整備されています。
ここから100m強進み,「熱田駅前」の交差点を渡ってすぐ右に進むと熱田区役所・保健所・図書館など行政施設があります。熱田ぐるりんマップなどの熱田区の地図を手に入れたいならば立ち寄りましょう。
 熱田区役所の先には熱田神宮前商店街が伸びています。現在は店舗数は25程度になりましたが,往時は熱田神宮東側に位置する立地のよさから多くの人が訪れました。古くからの食堂など,昔懐かしいお店が並んでおり,地元の人との交流も楽しいかもしれません。商店街を500mほど進み,名鉄神宮前駅のロータリーを越えた先にはきよめ餅総本家があります。天明5年(1783年)頃に熱田神宮の参拝客を相手にした「きよめ茶屋」が設けられ,ここで提供したのが「きよめ餅」の始まりとされます。今でも熱田の名物としてよく知られています。

神宮東公園
六野2 および 三本松町



 神宮前駅北の歩道橋を渡って線路を越え,そのまま左に進みます。ここのバス乗り場の近くには地元の蓮田で作業中に掘り出され,以降この地を見守ってきたという地蔵があります。



 約200m進むと神宮東公園があります。昭和60年(1985年)に日本車両などの工場跡地に開園し,南北約600m,広さ約9.9haの広大な公園になっています。途中,道路で南北に園が分かれており,南園には子供向け広場や噴水があり,北園には芝生広場や水路,熱田区の花にもなっているハナショウブ園(6月頃が見ごろ)などがあります。季節に応じて梅なども楽しめ,地元の人も多いのでゆっくりと時間を過ごすといいでしょう。



 北園の北側はテニスコートや名古屋市体育館[公式HP(外部リンク)→],熱田プールなどのスポーツ施設がそろっています。

ゴール:JR・熱田駅



 神宮東公園の北園と南園の間を走る道路の「神宮東公園前」交差点から西に向かって200m進み,跨線橋から階段を下りて南に進むと,約100mでJR東海道線の熱田駅に到着します。普通列車のみの停車ですが,金山へ1駅2分,名古屋駅へも8分程度で出られます。バス利用の場合,神宮東公園前から名鉄神宮前へ名駅18または神宮11系統で行けます。名駅18系統は名古屋駅にも行けますが,1時間1本程度しかありません。

写真使用数:31

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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