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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市天白区:相生山コースAIOIYAMA

2015年1月探訪。2015年7月6日作成
2018年1月27日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約5.9km
 島田バス停から区南部の景勝地である相生山をめぐり,野並駅に至るコースです。相生山の豊かな自然と文化を感じながらウォーキングできます。

名古屋市バス・島田バス停〜島田城跡〜菅田神社〜双子池〜相生山緑地オアシスの森(双子池口〜トンボ池〜見晴らしの丘〜相生口)〜葉書塔〜徳林寺〜相生山神社〜千秋家の墓〜梅野公園〜鎌倉街道〜野並八剱社〜地下鉄・野並駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋市営バス・島田バス停



 今回のスタートは名古屋市営バスの島田バス停です。八事駅から八事11系統が1時間に1時間に4本程度,八事12系統が1時間に2本程度あり,ここからのアクセスが一番便利です。新瑞橋駅から幹新瑞1系統が1時間に2本程度,植田駅から植田11系統,天白巡回系統で1時間に合計2本程度あります。アクセスは難しくありませんが,時刻をあらかじめ調べておくと安心です。

島田城址
島田5-1106



 島田バス停のある「島田」交差点から野並方面(南西方向)に100mほど進み,2本目の筋を左折して,さらに2本目の筋を右折します。すると50mほど左手に島田城跡の案内板と小高い丘があります。室町初期の築城といい,当時尾張の守護職を務めた斯波高経が,島田が鎌倉街道を押さえる要衝の地であるために設けた城と考えられ,斯波氏の一族である牧氏の居城となりました。牧氏は島田神社を崇敬し,島田地蔵寺を開くなどがわかっており,この付近の開発に携わったと考えられます。その後,牧氏は織田信秀と婚姻関係を結び,その際も島田城は要衝として一族に守らせたといいます。城の規模は東西70m,南北180mにおよぶ城でしたが,現在は城のあった部分に小さな神社があるだけです。

菅田神社
菅田2-103





 島田城跡から450mほど直進して突当りを左折し,続く筋を右折します。さらに3本目の筋を左折して,道なりに100mほど進んだ突当りを右折すると,右手に菅田神社があります。創建は不詳ですが,尾張氏の娘が生んだとされ、尾張と関係が深い仁徳天皇を主祭神として9柱が祀られています。明治5年(1873年)に若宮八幡社と称して村社となり、その後明治42年(1909年)に島田の熊野社と合祀されて島田神社と改められ,大正12年(1923年)に現在の菅田神社と改められたといいます。



 神社の西には安産薬師如来が祀られています。

相生山緑地オアシスの森
菅田3





 菅田神社から東方向に戻り,2本目の信号を右折して200mほど上り坂を進んだところに双子池があります。周囲が300mほどの農業用のため池で、水がきれいな池としても知られているといいます。高台にあり,開放的な景色も楽しむことができます。



 双子池から奥に進むと,相生山緑地オアシスの森の双子池口があります。相生山緑地オアシスの森は,周辺の宅地化が進む中で昔ながらの雑木林の風情を残す貴重な森となっています。元々は戦時中の昭和15年(1940年)に防空緑地として計画され,その後数度の都市計画により現在の123.7haの形になったといい,平成10年(1998年)に開園しました。名古屋周辺にはかつて薪や炭をとったり,農用林として用いられたりした人々の生活に深くかかわった雑木林が多くありました。しかし,生活様式の変化により人の手が入らなくなり林は荒れるようになり,やがて住宅化も進んで林はめっきり減ってしまったそうです。この森では雑木林の環境を残すために人間が手を加えながら整備しています。そのため昔ながらの豊かな自然を感じられ,雑木林ならではの木や昆虫なども見られるそうです。





 双子池口から入って右方向に道なりに進んで上り坂を上がっていきます。尾根に出たらそのまま右方向に進み,少し先にある左手に進む細い道を下って谷筋の道に合流すると,カブトムシの幼虫が住む場所になっているビートルアパートがあり,さらに炭焼き窯が設けられています。様々なワークショップでも用いられるようです。



 戻って谷を下っていくとトンボ池があります。トンボの生育のために手作りで設けられた池だといいます。





 トンボ池のところの分岐を左に進んで上り坂を進んでいくと,やがて頂上にある見晴らしの丘があります。展望台からは名古屋市内が見え,晴れた日には遠く御嶽も望めるといいます。また西方向の散策路の先にあるアカマツののぞき窓からは、名古屋駅のビル群や遠く養老山地も望めるといいます。見晴らしの丘から東方向に進んだ先には,つどいの広場があります。





 その先には梅林の小径があって,梅の花が楽しめる道になっており,その先には緑地のシンボルともいえるコナラの大木があります。



 ここから南方向に下って,最後は竹林の中の趣きのある道を進んでいくと、やがてオアシスの森の相生口に出てきます。この相生口のところには緑地を東西に貫く道路の工事現場があります。ヒメボタルの生態を破壊するとして平成26年(2014年)に道路工事の中止が決定しましたが,跡地の公園整備のめどはまだ立っていないようです。

葉書塔
天白町野並相生



 オアシスの森の相生口からそのまま相生小学校の脇の道を300m弱進んで史跡散策路の案内板にしたがって右に曲がって細い道を進んでいくと,約100mで左手に葉書塔が見えてきます。昭和2年(1927年)に当時の新愛知新聞社(中日新聞社の前身の1つ)が,市民から愛知県の新十名所を募集したところ,この相生山が風光明媚な場所として新十名所に選ばれました。この葉書塔にはその際に相生山に投票された850万枚余りの葉書がおさめられており,そばにはこの地は風光明媚,春秋の遊覧に適すとこの地が名所の一つに選ばれた理由が書かれた碑が立っています。当時はここから戸笠池を見下ろし,田園の向こうに遠く笠寺台地を望む眺望が見られたといいますが,今は木がおおい茂ってしまい,その面影はありません。その後,近くの徳林寺が葉書供養塔として修復し,思い出の葉書を供養する施設にもなっているようです。

徳林寺
天白町野並相生28-340 [公式HP(外部リンク→)]



 葉書塔から250mほど西に進んだ次の筋を左折すると,やがて徳林寺(曹洞宗)があります。相生山と号し,大正12年(1923年)に高岡徹宗氏が相生山を観光や別荘地として開発するに当たり,土地を寄進して千葉県から移して建立したといいます。広い境内では春は桜,秋には紅葉が楽しめ,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。本堂には釈迦如来が安置され,境内には平成3年(1991年)にネパール人が日本で亡くした子息の菩提を祈願して建立されたという小仏塔があります。





 南側にはベトナムで作られたという特徴的な鐘楼と大梵鐘があり,木造2建てで八角形の珍しい建物になっており,ここからは南方向の緑区方面の眺望も楽しむことができます。境内では春の花まつりなど様々なイベントも行われるといいます。

相生山神社
天白町野並相生



 徳林寺から北側の入り口のところに戻り,左折して道なりに西に進みます。約100m進んだ交差点の先にはドングリ広場があります。豊かな自然が背景に広がる公園です。



 ドングリ広場の先には相生山神社があります。秋葉神社などこの付近の神社がまとめられて設けられた神社といい,昭和42年(1967年)に宗教法人として祀られたといいます。祭神として秋葉三尺坊のほかに天照大神が祀られています。かつては鳥居がなかったそうですが,最近になって小さな鳥居が設けられたといいます。



 神社の先には観音堂が設けられており,この地域にあったお地蔵さんなどがまとめられ,地域の人々に信仰されています。





 相生山神社の先の筋を右折し,200mほど細い道を進んだ突当りを左折して進みます。この付近は名古屋市の風致地区に指定されていて,昔ながらの農村風景が残る貴重な場所です。



 さらに道なりに進んだところには相生山桜並木が約300m続きます。野鳥の鳴き声も聞きながらゆっくりと散策することができます。





 桜並木から400mほど進んで突当りを史跡散策路の案内板にしたがって左に進み,200mほど進んだ右手に相生山緑地の多目的広場があります。広場の周りに桜並木が続き,シーズンになると花見客も訪れるといいます。

千秋家の墓
野並4



 相生山の多目的広場の西側に進んで,道なりに駐車場を越えて進むとすぐ右手に千秋家の墓があります。織田信長から野並など3カ村の所領を拝領した旧熱田大宮司の千秋家とその分家の墓といい,地元では千秋(せんしゅう)さんと呼ばれています。ただし,江戸時代には墓標を建てることは許されず,松の木を植えて埋葬地にしたといい,現在の墓標は明治以降のものといいます。千秋家は,元々藤原氏だったといい,源義朝の正室で頼朝の母となった由良御前が一族の娘にいたといいます。また,一族の大宮司季忠は,羽豆岬(南知多町)で権勢をふるっていた海賊を退治し,桶狭間の戦いにも加わったと記録されています。現在も野並には千秋家の子孫の方が住まれているといいます。



 千秋家の墓から西に進むと梅野公園があります。トイレもありますので休憩地点として活用しましょう。この付近にはかつて「尾張名所図会」にも描かれた上野山の聖松という松の老木があったといい,鎌倉街道を行き交う人々の目印にもなっていたといいます。しかし昭和初期に枯死してしまい,現在は宅地造成が進んで元々の場所もわからなくなってしまったといいます。

野並八剣社
野並3-239





 梅野公園の手前の交差点から史跡散策路の案内にしたがって左折し,200m弱下った先の3つ目の筋を右折します。さらに300mほど下った先にある左に入る細い筋が,かつての鎌倉街道に当たります。京と鎌倉を結んだ鎌倉街道は,この付近では上野道と呼ばれ,鎌倉時代には中区古渡から瑞穂区大喜,井戸田を通り,南区桜を経由して野並まで結ばれていたといいます。それ以前は八事付近まで深くあゆち潟(愛知県の語源)と呼ばれる入り江が入り込んでいたこともあり経路も変遷していました。現在は街道の跡はほとんど残っておらず,この付近は街道のおもかげがある貴重な場所です。





 鎌倉街道を100mほど進むと野並八剱社の裏手に出ます。日本武尊,天照大神など7祭神がおり,野並が熱田大宮司の千秋家の領地であったことから,熱田神宮の別宮である八剣社の分神をまつったのが始まりと考えられます。現在は野並付近にあったいくつかの神社も合祀されているといいます。

ゴール:地下鉄桜通線・野並駅



 八剱社の南側から出て,右方向に進んでいくと100mほどで地下鉄桜通線の2番出口に到着します。桜通線を利用すれば,名古屋駅まで約27分で行くことができます。本数は平日は1時間に8本程度,土曜休日は1時間に6本程度です。

写真使用数:33

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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