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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市天白区:植田コースUEDA

2015年1月探訪。2015年6月27日作成
2018年1月23日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約7.1km
 植田駅から植田川と天白川の流域をめぐります。川沿いに発達した植田地区の文化財と,2つの川沿いや天白公園の自然を満喫できるコースです。

地下鉄・植田駅〜稲葉山公園〜栄久寺〜泉弥寺〜全久寺〜植田八幡社〜本長寺〜天白川沿い〜天白川であい公園〜天白区役所〜島田地蔵寺〜島田神社〜政林寺〜松和花壇〜教心寺〜天白公園〜天白スポーツセンター〜地下鉄・植田駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



  

スタート:地下鉄鶴舞線・植田駅



 地下鉄鶴舞線の植田駅がスタート駅になります。地下鉄鶴舞線を利用して,名古屋市の中心駅である伏見駅からは約20分で来ることができます。地下鉄は平日が1時間に8本程度,土曜休日が1時間に6本程度運転されています。植田駅の1番出口から出てスタートしましょう。

稲葉山公園
植田1









 植田駅1番出口からまっすぐ北方向に200mほど進み,3つ目の植田南コミュニティセンターの手前を左に入ります。その先の分岐を右に進み,寺の前の突当りを道なりに右に進むと,やがて左手に稲葉山公園の入り口が見えてきます。高台に設けられた展望台から360°の眺望を楽しむことができ,天白区随一の夜景の名所としても知られます。この稲葉山は猿投山を主峰に日進市から天白区を通って知多半島の背骨となる尾張丘陵の1つで,約200万年前に出現したといいます。かつては小さな山がいくつか区内にあったのが,昭和36年(1961年)頃から始まった土地区画整理事業で削られてしまったといいます。公園からは天白区内がぎっしりと住宅地で埋まってしまった様子がよくわかります。

栄久寺
植田1-307







 稲葉山公園の展望台から南側に下りて,道に出たら右に進むと100m弱先の左側に栄久寺(真宗高田派)があります。松雲山と号し,文明12年(1480年)に植田城主の家臣であった室賀多門(法名,永照法師)が今まで草庵であったところに御堂を建てたのが始まりと伝わります。当初は飯田街道(国道153号線)の南側にあったといいますが,天白川の度重なる洪水があったために,文化3年(1806年)(寛延3年(1750年)という説明もある)に現在地に移転したといいます。本堂や庫裡は明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊し,その後昭和初期にかけて再建され,さらに平成初年にかけて大修理が行われたといいます。高台に建ち,眺望も楽しむことができます。

泉弥寺
植田1-309





 栄久寺の境内を下って正面から出たところを左折して100mほど進むと泉弥寺(真宗大谷派)があります。常喜山と号し,創建は不詳ですが元は天台宗だったといい,大永3年(1523年)に本願寺の実如上人に帰依して改宗したといいます。当初は南の植田八幡宮近くの飯田街道沿いに近くにあったものが,享保19年(1734年)に天白川の洪水の被害から逃れるために現在地に移したといいます。本堂は嘉永7年(1854年)に再建されたものといい,本堂横には脇堂の丈右衛門堂があります。丈右衛門堂は横地丈右衛門氏が自分の屋敷で祀っていた御堂といい,格子天井に64枚の油絵があるといいます。

全久寺
植田1-311





 泉弥寺の先の筋を左に入って進むと,全久寺(曹洞宗)があります。福田山と号し,文明3年(1471年)に植田城主の横地秀綱が室町将軍・足利義政の命により創建したといい,横地氏が元々勢力を持っていた遠江国横地村(現,静岡県菊川市)にあったという全久寺を模して建立したといいます。この寺も元々は飯田街道沿いにあったものが,寛政4年(1792年)に天白川の氾濫を避けて植田村が山麓に移動した際に現在地に移転しました。本堂は昭和48年(1973年)に改築された鉄筋コンクリートの近代的なものです。また寺には植田城主の横地氏歴代の位牌や家臣だったという梶田七之助忠家の肖像などがあるといい,墓地には横地家の子孫で全久寺の再興にも尽力したという権蔵秀明の墓石があるといいます。境内には植田観音堂があり十一面観音が祀られているといいます。大昔に植田東部にあったという光谷山山谷寺の本尊だったといい,鎌倉時代の新仏教におされて慶長年間(1595〜1615)に廃寺になったと伝わっています。

植田八幡社
植田西3-605





 全久寺の南側の出口から出て,その先の突当りを右折し,続く筋を左折します。ここから100mほど南下し,信号を越えて進むと右手に植田八幡社があります。創建は不詳ですが,天正8年(1580年)に植田城主の家臣だったという室賀久太夫が収蔵したと伝わり,尾張に関連が深いという応神天皇を祀っています。



 大正天皇が皇太子だった明治41年(1908年)に陸軍大演習をご覧になった際,愛馬「藤園」に乗られた場所に記念碑が建てられています。境内にはかつて植田八幡社古墳という前方後円墳があったといいます。約1500年前の古墳時代中期の築造といい,前方部の長さが約40m,後円部の高さが約6m,全長が約80mにも及ぶ大古墳だったといいます。被葬者はこの付近の豪族だったと考えられ,副葬品は見つかっていませんが,その規模から広い地域を支配した一族の墓とも考えられます。しかし幾度の改修により古墳は大きく削り取られ,特に昭和49年(1974年)の社殿改修で残された後円部が大きく削り取られてしまい,今では社の後ろの部分にわずかに痕跡が残されている状態だそうです。古墳の先端にあったネズの古木は,現在は参集殿の床柱として用いられているといいます。



 植田八幡社から東へ100mほど進んだ郷薮公園付近は,かつて植田城があったといわれる場所です。土居や濠をめぐらした東西約60間(約90m,南北約40間(約72m)にも及ぶ城だったといい,横地秀綱が文明3年(1431年)に将軍・足利義政の命により築城したといい,約130年間続いたといいます。横地秀綱は元々遠江国東横地村(現,静岡県菊川市)の出身といい,将軍の求めに応じてこの地を守り,全久寺の建立や植田八幡社の修造など地域の発展に貢献したといいます。その後,子孫の5代秀政は元亀元年(1570年)に当時尾張を支配していた織田信長の求めに応じて姉川の合戦に赴きますが,その際に戦死し,子の秀房は天正8年(1584年)の小牧・長久手の戦いに続く蟹江の戦いにて討ち死にしたといいます。その後,江戸時代になって城は廃城となり,その子孫の横地権蔵なるものがこの地に住んだといいます。徳川家康が駿河に下る途中,権蔵は金のわらじを献上し,その際に家康から先祖の忠勤をほめられ,植田村の農民は東海道の助郷を免除されたことから,植田八幡社に横地権蔵が合祀されるようになったといいます。



 植田八幡社の東側から南下し,「植田」交差点で県道を渡った次の交差点の所には本長寺(日蓮正宗)があります。徳久山と号し,昭和60年(1985年)に建てられたという新しい寺院です。

天白川であい公園
植田南1-512付近



 「植田」交差点に戻り,左折して県道の左側を300mほど西に進みます。「植田西」交差点を越えた次の植田川を渡る橋の手前の筋を左折して植田川沿いの道を進みます。桜並木が続く,天白川の自然が感じられるウォーキングになります。





 植田川沿いを300mほど進むと左手に天白川であい公園があります。天白川と植田川の合流地点に位置し,名古屋市上下水道局の植田処理場の還元施設で,テニスコートや多目的広場など様々な設備があり,市民の憩いの場になっています。







 さらに200mほど進むと川の合流点になり,左手にある寄鷺橋を渡ります。東海地方では珍しいニールセンローゼ型という人道橋といいます。この橋から下流方向を見ると,植田川と天白川が合流している様子がよくわかります。天白川の合流点の先には,馬蹄形の階段上の特徴的な川の流れを実現した河川管理施設があります。ここちよいせせらぎの音を実現した秀逸な施設ということで,名古屋市都市景観大賞を受賞しています。





 この先,天白川のそばには天白川緑地が広がり,カモメやカモなど季節に応じて様々な鳥も飛来し,自然を感じることができる場所になります。川沿いの遊歩道は緑区まで続き,桜並木も続いて春には花を楽しみながら歩くことができます。



 寄鷺橋から下流に向かって川沿いを300mほど進み,県道に突き当たったら左折して進むと天白区役所があります。天白区の行政の中心で,各種資料などを手に入れることができます。天白区は昭和50年(1975年)に昭和区から分区して生まれた名古屋で最も若い区で,その名前の由来は天白川にあります。天白川は河口付近(緑区鳴海町天白橋)に天白神が祀られていたことに由来し,その後愛知郡天白町となって現在の天白区になりました。

(島田)地蔵寺
島田3-113 [公式HP(外部リンク→)]





 天白区役所から県道約200m,「島田」の交差点を越えて進むと左手に地蔵寺(曹洞宗)があります。嘉吉2年(1442年)に,斯波一族でのちに戦場で手傷を負って仏門に入ったという樵山和尚が島田山広徳院として創建したといいます。延徳5年(1491年)に天白川の大洪水のために寺殿がことごとく破壊されましたが,明応9年(1500年)に鳴海の瑞泉寺の秀建和尚が本殿を再建し,その際に島田山地蔵寺と改称して地蔵尊を本尊にしたといいます。天文10年(1541年)には当時島田城主だった牧右近太夫義次が堂宇を修理したといいます。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際に兵火にかかって焼失しますが,その後島田城主の牧氏らによって再建されたといいます。元々は東の天白小学校付近にあったと考えられています。名前の由来となった境内の地蔵尊は「毛替地蔵」と呼ばれています。これは,昔,熊坂長範(ちょうはん)と大泥棒がこの付近に住んでいて,盗んだ馬を売ろうとしたところ,見つかって売れなかったため,このお地蔵様に念じたところ,馬の毛が変わり売れるようになったという伝説があります。尾張六地蔵の札所にもなっていて,御朱印めぐりで訪れる人も多そうです。他にも寺宝として,江戸時代の遊行僧である木喰上人作という地蔵菩薩図[市文化]があり,現在は名古屋市博物館に寄託されています。

島田神社
島田3-301







 地蔵寺の入り口のバス停のところから左に入った先には島田神社があります。創建は不詳ですが,貞治年間(1362〜67)に島田城が築かれるにあたって,牧氏の祖先にあたるという斯波高経が,城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていたといいます。その後,江戸時代には地蔵寺が管理していましたが,明治の神仏分離で地蔵寺から分かれ,明治42年(1909年)に神明社,八幡社,天神社などが合祀されて南東の黒石地内に移され,大正12年(1923年)に現在地に移されて,大正15年(1926年)に天神社,秋葉社がさらに合祀されて,現在の島田神社に改称されたといいます。近年,島田神社の氏子が神社改築造営を祝して棒の手の奉納をさせたといいます。棒の手は木刀や槍などで連続技を行うもので,かつては区内各地で行われたといいます。近年になって保存会などが結成されて民俗芸能として復活させる動きがあるといい,区内には4つの流派があって免許皆伝の巻物を持つ人もいるといいます。

政林寺
土原1-105







 島田神社の正面からそのまま南方向に進んで,先の信号を左折して150mほど進んだ「島田東」交差点の分岐を右に300m弱進んだ先に政林寺(臨済宗妙心寺派)があります。周岳山と号し,元亀元年(1570年)に熱田船津の豪族であったという加藤図書助順政が建立したといいます。平成3年(1991年)に現在地に移されました。天白島田丘陵のちょうど西端に位置しており,眼下の新をはじめ天白区の住宅地が広がる様子が境内から一望できます。境内坂道を上がる左手には熱田伝馬町の俳諧師である梅谷の「雪ばやはしたひながら鳶の舞」という歌碑が設けられているといいます。

松和花壇
土原3-115付近





 政林寺から県道を南下して道なりに500mほど進むと松和花壇のバス停があります。昭和初期,桑名の松本繁一氏によって設けられた松本住宅という貸別荘群が設けられ,ガレージ付きの家が80戸余り設けられたといいます。レストランやピアノを備えたダンスホール,競馬場などがあって大歓楽街となって栄えたといい,八事までの広い道路が整備されたといいます。戦争と共に衰退し,昭和12年頃には住宅も分譲されたといいます。現在はバス停に松和花壇の名前が残って,当時の繁栄に思いをはせることができます。



 松和花壇のバス停から「土原」の交差点に戻り,北上して突当りを右折し,続く筋を左折して100mほど進むと右手に教心寺(真宗大谷派)[公式HP(外部リンク→)]があります。昭和8年(1933年)に設けられた説教所が前身といい,昭和39年(1964年)に現寺号になったといいます。

天白公園
天白町島田黒石 他









 教心寺から北上した100mほど先の突当りを左折し,続く筋を右折すると天白公園に入っていきます。天白区のほぼ中央に位置する広さ26.5haに及ぶ公園で,平成2年(1990年)に開園しました。農業用のため池として設けられた大根池を中心に3つの雑木林の山が残されており,デイキャンプ場や大型遊具広場などの設備が整い,多くの家族連れで賑わいます。大根池は現在は治水目的の池になっていますが,多くの渡り鳥も飛来して自然を感じられる公園になっています。東の山には広国押建金日命を祀るという中山神社が設けられています。トイレなども完備し,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。





 天白公園を駐車場のある北側出口から出て,左手の道を道なりに北上し,300mほど先の「溝口」交差点を越えてさらに400m弱進みます。植田川沿いの道に突き当たったら右折し,川沿いの道を進みます。この植田川沿いの道も春には桜並木が続き,見事な景色になります。



 その先の橋を渡って,250m北上して「天白スポーツセンター南」の交差点をこえて進むと,右手に天白スポーツセンターがあります。プールや体育設備などが備えており,ウォーキングのマップも売られています。

ゴール:地下鉄鶴舞線・植田駅



 天白スポーツセンターからさらに北上して,「植田駅東」交差点を左折すると,50m強先にゴールの植田駅の3番出口があります。鶴舞線を利用して伏見駅まで約20分となります。

写真使用数:46

←前:八事・塩竈コース / 名古屋市天白区 / 次:平針コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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