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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市天白区:八事・塩竈コースYOGOTO & SHIOGAMA

2015年1月探訪。2015年6月22日作成
2018年1月20日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約7.7km
 八事駅からかつての景勝地である天白渓,音聞山,御幸山などをめぐって塩釜口駅を目指します。景勝地ゆかりの社寺や史跡などを訪ねます。

地下鉄・八事駅〜八事霊園〜東連寺〜浄久寺〜聖徳寺〜常楽寺〜一心寺〜五社宮〜高照寺〜(八事)善光寺〜日光院〜大学院〜佛地院〜八事神社〜塩竃神社〜御幸山公園〜御嶽神社〜名城大学天白キャンパス〜地下鉄・塩釜口駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄名城線/鶴舞線・八事駅



 今回のスタート駅は地下鉄鶴舞線と名城線が交差する八事駅になります。名古屋駅方面からは鶴舞線の利用が便利で,伏見駅から約16分で来ることができます。八事駅自体は昭和区にありますが,駅の東側は天白区にあたり,天白区西側を訪れる際にも拠点駅になります。八事駅の5番出口を出てコースをスタートさせましょう。八事駅の5番出口を出たところには中京大学のキャンパスがあり,若者が多い活気あふれる場所になっています。

八事霊園
八事山裏山117



 八事駅5番出口から50m強進み,歩道橋を渡ってその先を右折します。100mほど進んだ左手には八事霊園が広がります。大正時代から昭和30年代にかけて名古屋市が整備した霊園で,市内では平和公園に次ぐ巨大墓地になっています。八事霊園の北東は,尾張百景のひとつの「天白渓」と呼ばれた地域で,松林に囲まれて2つの池や滝などがあり,文化人が風雅を楽しんだ場所といいます。2つの池には貸しボートもあり,池の間には竜頭をかたどった船が人々を往復し,その途中には「竜宮城」と呼ばれた建物もあったといいます。周辺には料理屋やカフェが立ち並び,芝居小屋もあって人々の憩いの場になっていたといいます。渓谷には青山の滝と呼ばれる滝があり,天保3年(1832年)にはこの滝で水行をして妙見山浄昇寺(現,昭和区妙見町)の開山となった日諦上人の逸話が残されているといいます。古くは古墳時代から窯業の産地として知られ,多くの古窯跡も見つかっているといいます。特に12世紀代にはこの付近で作られたとみられる瓦が京都や鎌倉周辺,熱田神宮などへ運ばれていることが知られており,この付近の窯業が日本全体の政治・経済にも深くかかわっていたといいます。



 50mほど進んだ左手には宝生院(大須観音)墓域があり多くの文化財があります。宝生院開山塔[市文化]は,大須文庫の創始者と伝え,宝生院開山の能信上人の墓と伝えられる宝篋印塔で,高さは137cmほど,上人の没年という正平9年(1354年)の銘があります。また宝生院逆修塔[市文化]は寛永14年(1637年)の銘がある高さ150cmほどの塔で,清洲越を済ませて名古屋に寺を定着させた中興開山という印雅上人の逆修塔といい,江戸初期の五輪塔としても貴重なものといいます。他にも墓域には江戸中期の儒教者で尾張藩校の明倫堂の教授を務めた岡田新川の遺愛碑や,数学者の関孝和の百年祭に当たる文化4年(1807年)に建立された関孝和百年祭碑があるといいます。これらは元々宝生院(大須観音)の境内にあったものが,移築されたものといいます。

東連寺
八事山109



 八事霊園の宝生院墓地から50mほど進んだ左手に東連寺(曹洞宗)があります。日岳院と号し,天正2年(1574年)に清須にて創建されて,慶長年間(1610年頃)の清須越にて名古屋に移転され,現在の中区白川公園付近にあったという南寺町の一角に移転したといいます。その後,大正3年(1914年)に現在地に移転され,現在の本堂は平成元年(1989年)に建てられたものといいます。境内には「剣塚」があり,尾張刀工と言われた氏房・信高の墓があります。もう一人の政常の墓は昭和区の西光院にあるといいます。

浄久寺
八事山144





 東連寺から少し先の右手には浄久寺(曹洞宗)の裏口が見えてきます。宗源山と号し,永禄11年(1566年)に清須城下に建立されました。清須越にて慶長15年(1610年)に名古屋の南寺町に移転し,大正12年(1923年)に現在地に移されました。昭和20年(1945年)の空襲で庫裡などは焼失しましたが,山門は焼失をまぬがれて清須から移転した当時のものと伝わり,簡素ながらも貴重な文化財といいます。本尊は釈迦牟尼仏といい,他に戦災で焼失をまぬがれた約1mの千手観音があり,恵心僧都の作と伝わっています。千手観音の腹部には胎蔵仏があり,悪七兵衛として知られる平景清が熱田に住んでいた際,矢尻で彫ったものと伝わっています。また,境内には歌舞伎振付師の西川鯉三郎の碑が立てられています。



 浄久寺の正面から出て西側に行ったところには名城大学薬学部があります。薬学部は昭和29年(1954年)に設けられ,この地域では歴史ある薬学部として人気があるといいます。

聖徳寺
八事山552



 浄久寺から国道153号線を東へ300m強進んだ左手に聖徳寺(真宗大谷派)があります。七宝山と号し,寛喜年間(1229〜32)に美濃大浦郷(現,岐阜県羽島市)に建立されたといい,山号は開基の閑善が親鸞聖人から七種の宝物を賜ったことに由来するといいます。永正年間(1504〜21)に中島郡富田村(現,一宮市)に移転し,江戸時代に現在の東別院ができるまでは尾張領内における真宗大谷派の中心寺院として重要な役割を果たしたといいます。天文18年(1549年)にこの寺で織田信長と美濃の斎藤道三が会見し,信長がうつけ姿から素早く正装に着替え,斎藤道三を唸らせたという話は非常に有名で,現在も聖徳寺跡の碑が残されているといいます。その後慶長7年(1602年)に清須に移され,さらに寛永15年(1638年)頃に名古屋七間町(現,中区錦3丁目)に移されますが,昭和20年(1945年)の空襲で本堂を残して焼失します。その後,再建されますが平成5年(1993年)に現在地に移されました。近代的な本堂には,本尊の阿弥陀如来が収められており,さらに寺宝として開基の閑善上人木像や徳川家光の朱印,豊臣秀吉や石田三成に関する古記録もあるといいます。

常楽寺
八事山144



 浄久寺から国道153号線を東に200m強進み,「八事裏山」交差点を右折します。この道はかつての飯田街道の八事旧道に当たり,往時は桜も植えられて多くの人々で行き交ったといいます。
 150mほど進んだ右手には常楽寺(真宗高田派)があります。得性山と号する尼寺で,阪種一族の菩提寺といいます。邸宅風の入り口を持ち,立派な鐘楼があるといいます。

一心寺
八事石坂107



 常楽寺から300mほど進んだ左手に一心寺(真宗大谷派)があります。即徳山と号し,明治32年(1899年)に説教所として創建され,昭和33年(1958年)に宗教法人となって,昭和37年(1962年)に現在の寺号に改められたといい,昭和43年(1968年)に現在地に移されたといいます。ビル2階建ての本堂というおもしろいお寺で,かつては八事の文化センターとして若い人が学んだといいます。





 一心寺の先の「八事」交差点を左折し,八事駅の2番出口の前を通って進みます。その先には,八事八坂の案内板があります。坂の集まっている八事の坂を紹介した案内板で,今回は山手坂を上って塩釜坂を下り,続いて天道坂と音聞坂に進んでいくことになります。



 先の「八事南」交差点で山手グリーンロードの左側の筋に入ったコンビニの前には,天道山大門の碑があります。この先にある天道山高照寺へと続く道の入り口に当たる場所です。



 この碑のある先の分岐を左に進んだところには,地蔵道の石坂と善光寺大勧請出張所の碑があります。善光寺の碑は,この先にある八事善光寺への入り口を示す碑になっています。

五社宮
八事天道322





 天道山大門の碑に戻り,分岐を右に進んで50mほど先の右手に五社宮があります。日社・月宮・星宮・神明宮・天王社の5つが祀られていることから五社宮の名前があるといいます。元々は天道宮と称し,丹羽郡寄木村(現,江南市)にあったものが寛保元年(1741年)に南にある高照寺とともに移され,元々は高照寺の境内にあったものが明治の神仏分離令により現在地に独立しました。現在の社殿は平成3年(1991年)に竣工したものといいます。

高照寺
八事天道815





 五社宮から200mほど進んだ右手に高照寺(臨済宗妙心寺派)があります。天道山と号し,元々は丹羽郡寄木村(現在の江南市)にあって,旧名は稲木神社と呼ばれ,平安時代の「延喜式神名帳」にも記載のある古社であったといいます。享保9年(1724年)に天道山高照寺と改められ,寛保元年(1741年)に現在地に移されたといいます。往時は広大な寺域を誇り,五社宮から八事駅の付近までもが境内であったといいます。『尾張名所図会』に「あま寺は きり花にして おしろいも 紅も仏に たてまつらむ」とあり,古くから尼僧が守っていたという尼寺といいます。尾張藩ともゆかりがあり,御祈願所としての格式を持っていたといい,寺運が盛んだったといいます。境内には神式の拝殿があり,その奥に仏式の本堂がある珍しい形式になっています。本堂は天道宮ともいわれ、本尊の天道大日如来がまつられています。また現在も境内には小堂や石仏が立ち並び,繁栄を物語っています。旧10月の祭日には大いに人で賑わうといいます。

(八事)善光寺
八事表山2-347



 高照寺の前からのびる東に進む細い道を進み,上り坂をすすんで250mほど進むと突き当りになります。ここを左に曲がり,すぐに善光寺の案内板にしたがって右に入ると,(八事)善光寺(天台宗)があります。明治43年(1910年)に信州善光寺から善光寺如来を勧請して開山しました。参道には88体の石仏が並んでいるのが印象的で,せまい境内ですが四季折々の自然も楽しめ,境内東方向の眺望もなかなかのものです。



 高照寺から善光寺にかけては,かつて「尾張名所図絵」にも紹介された遊行地で,春には山々には人々が酒肴をもって集まり,谷あいにあった池にはボートも浮かべられて楽しむ人々が集まったといいます。今池方面から市電がいち早く設けられ,大正元年(1912年)には南側に八事遊園地が作られて競馬場や子供向けの遊具も設けられて賑わったといいます。この一帯では八事の蝶々というみやげものが売られていたといい,これは柳三右衛門なるものが始め,明治初期の士族の内職として盛んにつくられるようになったといい,大正時代が最盛期だったといいます。きびがらを蝶々の胴にみたて,竹ひごで羽根枠を作って,これに羽を見立てた半紙を張って作られたといいます。大いに賑わった八事遊園地も昭和12年(1937年)に東山動物園が開業すると,しだいにすたれていきました。

日光院
表山1-1903





 善光寺の入口に戻り,ここから左に曲がって住宅街を南方向に進んでいきます。約200m進んだ表山小学校の先の交差点を直進方向に細い道に進み,さらに2本目の右に入る道を進んで約250mほど進んだ3つ目の筋を左に入ると日光院(天台宗)があります。創建は不詳ですが,大正2年(1913年)に中区東新町から現在地に移転しました。平成22年(2010年)に本堂と庫裡が改築され,きれいな境内になったといいます。





 日光院から250mほど戻って右に曲がったところに戻り,今度は戻った方向から右に曲がって南に進みます。次のやや広い道を左に曲がり,さらに次のところを右に曲がると,約100mで表山緑地があります。ここから見える南方向の住宅街は,かつては八事遊園地の敷地が広がっていたといいます。

大学院
元八事1-197





 表山緑地から道なりに左に進む道に進み,次の右に入る道に入り下り坂を進みます。さらに250mほど進んだ突き当りを右に曲がり,続いて左に進んで350mほど進んだ「池見一丁目」の交差点の次の交差点を右に進むとすぐに大学院(真言宗醍醐派)があります。不動山と号し,寛永18年(1641年)に善能法師がこの地に草庵を結び,本尊の青面(しょうめん)金剛(庚申さま)を奉安して創建されたといいます。東海36不動の14番札所に指定されています。大祭が毎年初庚申の時に行われ,護摩焚きが行われて供え物を焼いて本尊に供養するといいます。この付近では庚申の日に会を持つ庚申講も行われていたといい,この寺院が関連したものともいわれています。かつて八事には大聖寺と呼ばれる天台宗の野田密蔵院に属したという巨刹があり,大学院は大聖寺に関連して設けられた寺院とも考えられています。大聖寺がいつ廃寺となったかは不詳ですが,江戸末期ころまで続いたといい,明治の廃仏毀釈で廃寺になったとも考えられています。



 「池見一丁目」交差点に戻って右折し,400mほど東に進んだ先の信号を左折し,さらに2本目の筋を右折して150mほど道なりに進んだ先には観音寺(曹洞宗)があります。住宅地に囲まれた静かな寺院で,本尊は十一面観音といいます。

佛地院
音聞山1324









 観音寺から西に戻って2本目の広い筋を右折して北上し,200mほど進んだ左手には佛地院(曹洞宗)があります。音聞山(おんもんさん)と号し,明徳4年(1393年)に開創した真言宗の一大本山の寺がその前身といい、当時は陶金山と号して末寺が十ヵ寺もあるという大寺院だったといいます。その後曹洞宗に改宗され,大正7年(1918年)に鶴峯和尚が元々南の天白川の北側付近にあったものが、現在地に移されたといい,その際に音聞山と山号を改称したといいます。
 寺院のある音聞山は平安・鎌倉時代から景勝地として知られ,歌枕として多くの歌に詠まれました。かつては熱田の海が見渡せ,鳴海潟の海鳴りの音が聞こえたことから音聞山と呼ばれるようになったといい、「絶景は言葉に尽くしがたし」といわれました。明治・大正時代は文化人が集まって俳句をたしなんだといい,かつてはそれにちなんだ俳句神社が境内の西北隅にあり,芭蕉が祀られていたとも考えられています。景勝地として,そして桜の名所としても知られた音聞山でしたが,戦後は俳会も行われなくなり,近年は宅地化も進んで当時のおもかげは全く見られなくなりました。なお,かつての俳句神社の傍らには「月白し峡の奥なる一枚田」の句碑が設けられているといいます。

八事神社
御幸山1339







 佛地院から南に戻って2本目の八事東小学校を越えた先の十字路を左折し,東に250mほど進んだ2つ目の筋を左折すると,50mほど先に八事神社があります。創建は不詳ですが八幡社が明治3年(1870年)に現在地に移され,明治43年(1910年)に同じ地区の一の御前社と高峯大神が現在地に合祀されて現在の社名に改称されたといい,現在はこの地区の氏神になっているといいます。境内には音聞山勝碑の碑があり,かつての景勝地だった音聞山の往時の名残を伝えます。その隣には重さ100kgに及ぶ力石があり,江戸時代に力比べに用いたものといい,こうして残されているものは珍しいといいます。神社の西隣の個人宅には,名古屋市の指定文化財にも指定されていたという南天の古樹があったといいますが,残念ながら枯死してしまったといいます。

塩竈神社
御幸山1328 [公式HP(外部リンク→)]





 八事神社の出口から左手に出て東に進み,100mほど先の突当りを左折して50mほど上り坂を進むと塩竃神社があります。弘化年間(1844〜47)に天白村の山田善兵衛が宮城県の塩竃神社から分霊を勧請して創建したといい,以来安産と子どもの神様として,また海の神様として名古屋市を中心に近隣からも厚い崇敬を受けている神社です。神社からの展望もよく,多くの参拝客が訪れる活気あふれる神社で,南側の入り口には名古屋市の保存樹ともなっている藤があります。毎年4月第1日曜日の護児祭や10月10日の例祭にはとりわけ多くの人で賑わうといい,桜や紅葉の名所としても知られるといいます。





 塩竈神社の右手の出口から出て右側の登り坂を進み,御幸山公園を目指します。この付近は東方向の眺望がすばらしく,夜景も見事です。眺望を楽しみながら上り坂を進んでいきましょう。

御幸山公園
御幸山1321付近





 塩竃神社から登り坂を150mほど進むと左手に御幸山公園があります。かつての音聞山の山頂に設けられた公園で,眺望にすぐれ夜景の名所としても有名です。音聞山と呼ばれたかつての景勝地は,明治・大正の両天皇が当時の日本陸軍の演習をこの地でご覧になり,御野立所として統監したことをきっかけに御幸山と呼ばれるようになりました。公園内には明治天皇御野立所碑と御総監査碑の2つの碑があり,これらは明治23年(1890年)と大正2年(1913年)にそれぞれ明治天皇,大正天皇がこの地で御統監された記念に,大正4年(1915年)に村民が設けた碑といいます。





 御幸山公園の先の十字路を左折して50mほど進むと御嶽神社があります。創建は不詳ですが堀川のそばにあったものを明治21年(1888年)に現在地に移したといいます。平成9年(1997年)に境内が整備され,御嶽信仰にまつわる神社として人々から崇敬を受けているといいます。



 御嶽神社から北に戻ってそのまま交差点を直進し,下り坂を進んだ突当りを右折して300mほど進み,3つ目の筋を左折して200mほど進むと国道153号線の飯田街道に戻ってきます。この左の「名城大学前」交差点を渡ったところには名城大学天白キャンパス[公式HP(外部リンク→)]があります。中部地区最大級の総合大学であり,多くの学生でいつも賑わっており,学生向きのお店も多く設けられています。

ゴール:地下鉄鶴舞線・塩釜口駅



 名城大学天白キャンパスから国道153線を東に進むと,少し先に地下鉄鶴舞線の塩釜口駅があります。鶴舞線を利用して,伏見駅までは約17分で戻ることができます。本数は平日が1時間に8本程度,土曜休日は1時間に6本程度です。

写真使用数:45

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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