本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市昭和区:川名西コースKAWANA EAST

2015年1月探訪。2015年6月8日作成
2015年12月23日再構成

【コース】 距離:約6.7km
 川名駅から庶民信仰の生きる飯田街道・塩付街道の周辺の社寺をめぐります。その後,景勝地として知られた檀渓跡と南山学園周辺をめぐります。

地下鉄・川名駅〜マンドリンの音の博物館〜太平寺〜川原神社〜(飯田街道・塩付街道)〜なごや福祉用具プラザ〜白山社〜善昌寺〜古観音廃寺跡〜藤成神明社〜檀渓跡〜昭和美術館〜カトリック南山教会〜地下鉄・いりなか駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・川名駅



  今回は地下鉄鶴舞線の川名駅がスタート。鶴舞線を利用して,伏見駅の所要時間は12分になります。土休日の運転間隔は10分ごとなので,時刻に注意して乗車しましょう。川名駅の1番出口から出てスタートしましょう。

マンドリン音の博物館 [有料施設]
川名本町6-38 [公式HP(外部リンク)→]



 川名駅1番出口を出て左側に進み北に向かいます。最初の信号で旧飯田街道と交差するので,ここを左に曲がり,旧飯田街道を進みます。約150m,山崎川を越えて進んでいくと,左手にマンドリンの音の博物館があります。楽器のマンドリンに関する展示がある博物館で平成7年(1995年)に開館しました。館長の南谷博一氏は有名なマンドリンの奏者といい,館長のコレクションで古くは大正10年(1921年)のものからあるレコードやCDの一部を視聴(有料)できるほか,イタリアの名器と呼ばれる「ガエタノビナッチァ」(1926年製)をはじめとした貴重なマンドリンが展示されています。

太平寺
川名本町4-24-7



 そのまま約100m進んだ2本目の左に入る筋を進むと,50m強で地下鉄が走っている山王通に戻ってきます。ここを左に曲がって約50m進んだ,昭和警察署の道路をはさんだ反対側の木のたもとに3体の石仏がおさめられたお堂があります。もともとは昭和警察署のそばにあり,熱田神宮へ向かう宮参り道沿いに建てられていたもので,奥の地蔵には「左あつた道」と刻まれており道標だったことがわかります。この昭和消防署付近は川名南城跡になっており,消防署をよく見ると城跡だった名残が少しうかがえます。







 戻って西に200m弱進むと,右手に太平寺(曹洞宗)が見えてきます。護邦山と号し,創建は不詳ですが,戦国武将の佐久間氏や地域の人々の信仰から建立されたと伝わり,室町時代の一石五輪塔も残されています。境内には佐久間権平の墓があり,彼が創建者という伝説もあります。天文2年(1533年)に開山の卍室長吉大和尚がなくなり,その後,小牧・長久手の戦いの際に焼失して,龍興寺(御器所台コースにて訪問)の末寺となりました。伊能忠敬が尾張地方の測量の際に,ここで中食をとったことが記録されています。明治の神仏分離令により,川名弁天本尊が川原神社からここに移され,神社と分離されました。現在の本堂は昭和6年(1934年)に再建されたものになります。

川原神社
川名本町4-4-11 [公式HP(外部リンク)→]





 太平寺の右側の細い道を約100m進むと,旧飯田街道に出たところに川原神社があります。平安時代初期の「延喜式」に「愛智郡川原神社」と記載がある由緒ある神社で,創建年代は不明ですが,鎮火の神として昔から篤い崇敬を受けています。川名村の氏神として村の人々から信仰され,境内に弁財天を祀ったことから「川名の弁天さま」と呼ばれていましたが,現在は太平寺に移されています。慶長6年(1601年)に徳川家康の四男である松平忠吉が神領を寄進し,藩主徳川光友は千種区猫ヶ洞の灌漑工事の完成の折に,お参りして豊作を祈願したという記録があるなど,尾張徳川家が歴代にわたって篤く崇敬したといいます。元は飯田街道から離れた場所にあったようですが,街道が整備され,街道沿いに神社が移されたといいます。境内には摂社,末社を合わせて11の社があり,様々なご利益を求めて多くの人が参拝します。本殿は太平洋戦争の戦禍にあい,その後平成4年の火災で焼失したため,平成10年(1998年)に再建された新しいものになります。毎年10月17日には例祭が行われ,毎月3と8のつく日には「三八の市」の縁日が行われ,地域の人々に親しまれています。

飯田街道







 川原神社から出て右に進み,北西方向に進みます。この道が旧飯田街道にあたり,昔ながらの街道の面影を残します。飯田街道は名古屋と信州の飯田とを結ぶ街道で,背中に荷をつけた馬が盛んに行き来したことから中馬街道ともいいました。東海道のような関所のわずらわしさもなく,信州との交易に大いに利用されていたということです。現在の国道153号線に当たり,昭和区内を斜めに横切るように通っています。明治・大正期には,「花見通り」の異名もあり,八事付近に向かう人々でにぎわったといいます。



 川原神社から少し進んだ先の左手に飯田街道の馬頭観音があります。明治42年(1909年)に馬車運送業を営む服部文五郎氏によって設置されたもので,飯田街道をその後約100年以上も見守り続けています。



 さらに少し先に進んだ右手には称名寺(真宗大谷派)があります。平成元年(1989年)に再建された新しい本堂を持ち,本尊は阿弥陀如来で地域のお寺として知られています。

塩付街道



 川原神社から400mほど飯田街道を進むと「川名本町1」の交差点があります。ここを左折した道が塩付街道です。塩付街道は昭和区の中央を南北に貫いている街道で,南区の星崎付近でとれた塩を運ぶのに使われたことからこの名前がついたといいます。街道沿いには道中の安全を祈って地蔵菩薩や馬頭観音などが安置されていましたが,今でも一部残っています。



 街道を進んで山王通に合流する途中の団地前の公園のところを右に曲がり,少し進んだ右手の個人宅の前のところに,昭和区の名木に指定されているウバメガシがあります。



 塩付街道を歩いて山王通に出たらすぐに左手のところに正覚寺(真宗大谷派)[公式HP(外部リンク)→]があります。昭和になってから尾張北部から移転してきた小さなお寺で,地域の人々の信仰の場になっています。

なごや福祉用具プラザ
御器所通3-12-1 御器所ステーションビル3階



 山王通を戻って西に進み,次の信号を右に曲がってすぐのところに6mの戦役記念碑があります。日露戦争に御器所村から出征して犠牲になった14名の人々の霊をなぐさめるために1909年に建立されたものです。裏面には戦没者の名前が刻まれています。





 戻って山王通の信号を南に渡り,西へ50m強進むと,左手に御器所ステーションビルがあります。この3階にはなごや福祉道具プラザがあり,車いすや介護用品など約1000点もの福祉用具を展示・販売しているほか,介護実習などの講座も行われており,福祉について用具を中心に学ぶこともできます。



 さらに先に進むと「御器所」交差点があり,地下鉄の御器所駅があります。この交差点の北西側と南東側にモニュメントが設置されており,北西側には御器所が伊勢神宮の土器づくりをしていたことから生まれた地名ということで,土器にちなんで「土」をテーマにしたものが立ち,南東側には「自然の摂理」をテーマにしたものが設置されています。



 「御器所」交差点を右折した先100m強進み,次の「阿由知通4」交差点で左折すると,すぐ先に台町ふれあい公園があります。平成7年(1995年)に完成し,地域の人々とアイデアが入った手作りの公園といい,建設大臣より「手作り郷土賞」を受賞しているといいます。

白山社
石仏町1-71



 台町ふれあい公園の先,約100mの次の信号を左折し,続く交差点を右折します。さらに100m先の塩付街道に突き当たったところの左手のマンションの裏には,石仏の地蔵があります。塩付街道沿いにあった地蔵で,今はマンションのたもとでひっそりと旅人を見守っています。昭和区から瑞穂区にかけての塩付街道には昔ながらの地蔵が多く残されており見どころになっています。





 右折して塩付街道を約250m南下し,スーパーのある交差点を過ぎて3つ目の右に入る筋を進むと,この先訪れる善昌寺の弘法堂があります。この付近の塩付街道は昔ながらのムードが残され,楽しい街道歩きをすることができます。





 さらに100mほど塩付街道を南下した右手に,白山社があります。石川県白山の信徒が白山信仰を布教した貞享年間(1684〜87)頃に御神体を安置したといい,この付近の石仏村の氏神として崇敬されています。元々は隣の善昌寺の境内にありましたが,明治の神仏分離の際に東隣に移されました。境内はもと,白山社古墳と呼ばれる前方後円墳があったところで,社殿は後円部分に建てられています。境内には若者が力比べに用いたという力石が残されています。

善昌寺
石仏町1-80-2





 白山社の西隣に善昌寺(曹洞宗)があります。慈雲山と号する御器所の龍興寺の末寺で,明暦元年(1655年),石仏観音をまつった庵を修理して慈雲庵とし,その後寛文3年(1663年)に千山和尚が堂宇を建立して現在の寺号にしたといいます。その後,一時無住となりましたが,天明6年(1786年)に再建されました。一方,「尾張志」によると慶長13年(1608年)に佐久間氏の後に御器所を支配した服部善昌の子が出家して建てたといい,善昌寺という寺号はこれにちなむようです。この付近の土着の人には,今でも服部という名字が多いそうです。明治5年(1872年)に現在の広路小学校の前身の松栄学校という区内で最初の学校がここに設けられました。境内には観音堂があり,秘仏の石像の千手観音と円空作の薬師如来像がおさめられているそうです。また,地名の石仏の名前の由来となった地蔵尊があります。

古観音廃寺跡
長戸町1-80-2



 善昌寺から塩付街道に戻り,さらに塩付街道を南下して,次のやや広い道を右折します。50m強進んだ「塩付通5」から左方向には,昭和区の木にも指定されているハナミズキの並木が立ち並び,4〜5月には赤い可憐な花を咲かせます。



 「塩付通5」の交差点の先付近は,古観音廃寺跡に当たります。天平年間(729〜49)に,この付近には観音寺という寺があったといわれ,大正期に発掘された鬼瓦などが現存しています。天平文化の影響が尾張地方まで及んでいたことがわかる貴重な資料で,鬼瓦は現在白山社にて保管され,複製が名古屋市博物館に展示されています。最近の研究では,ここで出土した軒丸瓦がすぐ近くの若宮瓦窯で焼かれ,他の寺の瓦にも用いられていることから,かなりの財力を持った有力豪族の存在が想像されています。かつては,跡地に石地蔵がまつられていましたが,残念ながら撤去されてしまいました。かつては古観音という地名にも残されていたといいます。



 「塩付通5」から南に約250m進むと,右手に藤成神明社があります。万治元年(1658年)にこの付近は藤成新田として開発され,その際に,川原神社の分霊をまつって創建されたといい,主神は天照大神です。伊勢神宮を農耕神としてまつった神明社はこの地域でよく見られますが,その1つと考えられます。神社の前には塩付街道の案内板が立てられています。藤成新田は犬山城主の成瀬家によって開発され,その後成瀬家の菩提寺の白林寺(現,中区)の寺領であったことが確認されています。

壇渓跡
五軒家町 西側付近





 藤成神明社の手前の横断歩道を東に渡り,100m戻って2本目のドラッグストアの手前の交差点を右折して東に600m余り進みます。この途中の長戸町付近は,縄文時代中期の遺跡が発見されており,区内では最古の遺跡になります。山崎川の台地上に位置するこの付近は,古くから人々の生活の営みの場だったと考えられ,周辺部にも同時代の小規模な遺跡が残されています。
 東に進んで山崎川を渡った先に,檀渓跡の碑があります。この付近が「尾張名所図会」などで述べられている名所の檀渓で,碑がその名残を伝えています。それによると『川名川の下流にして深淵なり。〜(中略)〜土橋を架し樋を伏せて幽遼いふばかりなし』とあり,湾曲する山崎川付近の峡谷を景勝地として文人や墨客が楽しみ,詩歌を詠んだといいます。藤成新田に東の隼人池から水をひいた懸樋があったことも伝えられています。中区の白林寺の檀渓和尚が庵を結んだことから,この名前がつきました。碑が傷んでいるのは,戦争による爆撃の被害を受けたからだといいます。



 檀渓跡の碑から川沿いに南に進み,次の筋を左折したところに鈴木家住宅[国登録]があります。八事丘陵に昭和初期に建てられた住宅のおもかげを残すもので,戦前期の名古屋に建てられた典型的な住宅が残っており貴重な建物です。



 碑に戻りさらに東に進んだ左手に五軒家神明社があります。五軒家の名前の由来は,川の東側に家が五軒あったことからと言われ,やはりこの付近が開発されたときに豊作祈願のための設けられた神明社にあたります。隣接して,尚文寺(浄土宗)があります。

昭和美術館 [有料施設]
汐見町4-1 [公式HP(外部リンク)→]





 五軒屋神明社の入り口のところから南に折れ,200m弱進んだ3本目の筋を左折すると,約150m先に昭和美術館があります。昭和53年(1978年)に開設した財団法人後藤報恩会による私立美術館で,約2200坪の広大な敷地を誇り,茶道具などを中心に800点余りの館蔵品を有しており,その中には紙本墨書源家長筆熊野懐紙[国重文]など,国の重要文化財の書跡3件を保有しています。本館の展示室では,茶道具や書跡など約60点を展示しており,季節に合わせた企画展も行われています。本館を抜けた先には庭園が広がり,3つの茶室が設けられています。そのうち,南山寿荘は裏千家11代玄々斎の兄で,尾張藩の家老であった渡辺規綱(又日庵)が天保3年(1832年)に建てたという別邸で,「捻駕籠(ねじかご)の席」[県文化]と呼ばれる茶室が知られ,昭和10年(1935年)頃にここに移築されました。また,有合庵は尾張藩家老の屋敷を移築したもので,落ち着いたたたずまいをしています。

カトリック南山教会
隼人町1 [公式HP(外部リンク)→]



 昭和美術館の先の信号を左折し,約150m進んだ次の信号を右に曲がります。そのまま50m強進むと,左手に南山学園のライネルス館[国登録]が見えてきます。昭和7年(1932年)に建設された当時の南山中学校の本館で,建物の名前は南山学園の創立者のヨゼフ・ライネルス神父にちなむものです。南山学園は戦後,女子部を併設し,その後大学や小学校も併設して名古屋では随一の総合学園になっています。



 そのまま講堂などの歴史ある建物を左に見ながら進んでいきます。周囲の閑静な雰囲気とあった建物になっています。



 そのまま先の信号の手前を「南山教会」の案内にしたがって右側に進んで上り坂を進むと,カトリック南山教会があります。昭和25年(1950年)に南山学園の職員の聖堂として建てられました。最初の建物は,アメリカ軍のカマボコ兵舎を利用した簡素で小さなものでしたが,昭和33年(1958年)に現在の聖堂が完成しました。南山中学や高校などの行事もあわせて,多彩な行事を行っています。

ゴール:地下鉄・いりなか駅

 カトリック南山教会から下りて信号のところに戻り,そのまま「杁中」交差点まで進みます。交差点で国道を渡り,すぐに右に進むと,ゴールの鶴舞線のいりなか駅に到着します。鶴舞線を利用して,伏見駅までは約14分です。土曜・休日は10分間隔で運転されています。

写真使用数:40

←前:御器所台コース / 名古屋市昭和区 / 次:川名東コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>