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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市昭和区:御器所台コースGOKISODAI

2015年1月探訪。2015年6月6日作成
2015年12月23日再構成

【コース】 距離:約4.3km
荒畑駅から御器所の社寺をめぐります。古くは佐久間氏の居城の御器所城があり,庶民に長く信仰されてきたであろう社寺を多く訪れます。

地下鉄・荒畑駅〜龍興寺〜宗円寺〜久松寺〜尾陽神社〜浄元寺〜西福寺〜寿栄寺〜龍福寺〜箸蔵寺〜御器所八幡宮〜神宮寺〜堪忍寺〜御所屋敷跡〜地下鉄・荒畑駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・荒畑駅



 今回は地下鉄鶴舞線の荒畑駅がスタートです。鶴舞線を利用して,中心部の伏見駅から8分です。荒畑駅の4番出口からスタートです。駅を出るときれいな並木が続く鶴舞・八事緑道がのびています。

龍興寺
御器所3-1-29



 荒畑駅4番出口からそのまま約50m進んだ最初の筋を左に進み,続いて右に曲がります。すると少し先の右手に八大龍王社があります。この付近は龍興寺ヶ池という大きな池がかつてあり,そこにまつられていた龍神が鎮座しています。現在は御器所2丁目という地名ですが,もともとは天池という地名で,今でもビルの名前などに地名が残っています。



 そのまま50メートルほど進むと,階段の上に龍興寺(曹洞宗)があります(ここの南側の門は閉められていることが多いので,中を見学したい場合は北側に回り問い合わせましょう)。瑞雲山と号し,元々は小さな庵だったのを天文8年(1539年)頃,御器所の豪族での佐久間盛次が建立し,一族の菩提寺にしたといわれています。川名の太平寺の和尚である卍室長吉和尚を開山としています。周辺の宗円寺や浄元寺など多くの末寺を持つ御器所の中心寺院の1つです。昭和20年(1945年)の空襲で寺域の多くが焼失し,建物はそれ以降の再建になります。客殿となっている旧藤山家住宅日本家[県文化]は,昭和7年(1932年)に大日本製糖(株)社長などを務めた藤山雷太が東京の白金台に建てた邸宅で,の邸宅を昭和53年(1978年)に移築したもので,もともとは東京の白金台にあったものだそうです。外国客に日本文化を示す目的で建てられたという近代和風建築で,設計は近代建築の推進をはかり,名古屋高等工業学校(現在の名工大)の教授も務めた武田五一です。



 南側には特徴的な八角堂が立ち,入口には「御器所城主佐久間氏菩提寺」の碑が立てられ,佐久間氏ゆかりの寺として現在も御器所の地に息づいています。

宗円寺
御器所3-19-18



 龍興寺の先の突当りを左に曲がり,続く交差点のところの右側には天池通商店街があります。先に述べたように,元々この付近に池があって,その名前が商店街に残されています。



 さらに約100m直進すると,左側のマンションの1階に宗円寺(曹洞宗)があります。先の龍興寺の末寺で,同寺4世を開山とします。寺の南西の小堂には宝篋印塔[市文化]があり,元々は広見池畔(現在の桜山中学校付近)の野墓にあったものを管理の都合上移したもので,応安年代(1368〜75年)頃のものといい,市内で最も古い宝篋印塔で南北朝時代の完全な形を見る例として貴重なものです。印塔に「右為通安 応安三 平○○」とあり,この地を支配した佐久間氏が平氏を名乗っていたことから,佐久間氏にゆかりの深い人物の墓とも考えられています。

久松寺
御器所3-35



 宗円寺の先の交差点を左折した先の右手に,久松寺(曹洞宗)があります。亀齢山と号し,元和2年(1616年)に龍興寺の末寺として建立され,龍興寺の八世和尚が開祖といい,当初は久松庵と称しました。境内には地蔵堂や五輪石塔もあるムードある寺院であり,本堂にはモザイク造り釈迦八相の図があるといいます。

尾陽神社
御器所2-9-19 [公式HP(外部リンク)→]







 久松寺から戻って,そのまま西へ200mほど進むと,右手に尾陽神社があります。尾張徳川の祖の徳川義直公と最後の尾張徳川家藩主の徳川慶勝公を祭神とする神社で,名古屋開府300年を記念して明治43年(1910年)に創建されました。当初は中区の東照宮に合祀されていましたが,大正13年(1924年)に社殿が完成し現在地に移転しました。尾陽という名前は徳川義直公の愛称である尾陽公からとられています。昭和20年(1945年)の戦災と,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で被害を受け,現在の社殿は昭和45年(1970年)に再建されたものです。入り口は徳川家に縁が深いこともあって葵の紋が施されています。境内の本殿手前には徳川本邸から遷されたというお稲荷様である栄世稲荷神社や,大国主命の知恵袋と言われた久延彦がまつられた久延彦神社があり,最近は受験シーズンなどに参拝客で賑わいます。別殿は奈良の春日大社の社殿を移したもので,大阪枚方市の山田神社に天明6年(1786年)に春日大社から旧社殿を譲り受けたものを,さらに譲り受けたといいます。
 この地は嘉吉年間(1441〜44)に佐久間氏が創建したという御器所西城跡になっています。四方に堀を構え,土居を巡らし北には断崖を望む要塞であったといい,不明な点も多いですが,一部の空堀が残されています。神社の御神木にもなっているという市内最大級のオガタマノキをはじめ,境内には木におおわれた静かなムードになっています。
 御器所の地名は,新しく開墾した場所の意味である「興所(おきしょ)」が変化したという説と,熱田神宮の支配下だった時代に,年中行事に用いた土器を製作する場所だったので,それが地名になったという説があります。

浄元寺
村雲町14-17



 尾陽神社から出て,そのまままっすぐ進むと1つ目の交差点付近に尾陽神社の碑があります。ここを右折して約100m進んだ2つ目の交差点の右にはお地蔵さんがあり昔ながらの信仰を感じられます。



 お地蔵さんからさらに1つ先のコンビニに先の交差点を左折します。ここから200mほど進んだ3つ目の筋を左折すると,亀口の泉の碑と延命地蔵があります。亀口の泉は御器所台地にわく三名水の1つで地域の人々の生活の糧となってきました。延命地蔵尊は文化元年(1804年)に建てられたものです。





 さらに少し進んだ先の左手に浄元寺(曹洞宗)があります。清沢山と号し,龍興寺の末寺で文禄年間(1592年頃)に創建されたと伝わり,山号は亀口の泉にちなみます。山門は延享4年(1747年)に建立されたという本瓦葺きの一間薬医門の趣深いものです。以前は鎌倉様式の古風な本堂があったそうですが,残念ながら戦災で燃えてしまいました。境内には長寿のお祝いの品をたまわった記念に作られたというイチョウに囲まれた姫塚があります(由来には諸説あります)。この付近には7世紀後半に創建されたという極楽寺という大伽藍の寺院があり,瓦などが出土しています。

西福寺
円上町11-14





 浄正寺の前の階段を上がってそのまま進み,100mほど進んだ次の十字路を左折します。100m弱進んだ次の筋を右折し,約150m先の突当りを左折し次の筋を右に曲がると,すぐに右手に西福寺(真宗大谷派)があります。大澤山と号し,天長6年(829年)に弘法大師が建立したと伝わり,当初は真言宗でしたが,後に永禄5年(1562年)に真宗大谷派に変わり現在地に移転したといいます。その後天正8年(1580年)に兵火にかかったが元禄3年(1690年)に再建されました。門前に立つと上部が破損しボロボロになった寺標が見えますが,これは名古屋空襲の際,爆撃を受けた標柱をそのまま残しているといい,空襲の悲惨さを今に伝えています。

寿栄寺
円上町10-14



 西福寺から少し進んだ左手に寿栄寺(曹洞宗)があります。明治期に設立した尼寺で,先に訪れた久松寺の末寺です。山門前には出世地蔵のいわれをもつ石地蔵が立てられており,地域の人々の信仰を集めています。

龍福寺(りょうふくじ)
滝子町30-25




 
 寿栄寺から100mほど進んだ突き当りを左に,続く突き当りを右に進みます。さらに100mほど進むと,左手に龍福寺(真言宗)が見えてきます。元禄2年(1689年)に八事の興正寺開基の天瑞和尚の生母普照尼が草創しました。これは当時八事山興正寺が建てられた際,女人禁制であったために設けられ,当初は普照庵とも呼ばれました。かつては尾張三弘法や三河三弘法の前身にあたる三弘法の元祖と呼ばれる古い札所で,多くの参拝客を集め,現在も名古屋21大師霊場の20番札所に当たります。境内にはお地蔵さんがたくさんあり,由緒が感じられます。



 龍福寺から手前の交差点に戻り,左に曲がって西に少し進んだ先を左折すると箸蔵寺別院(真言宗御室派)[公式HP(外部リンク)→] があります。徳島県三好市にある金毘羅の奥の院に当たる箸蔵寺の名古屋別院に当たり,大正5年(1916年)に西区にて創建され,その後信者の増加により昭和4年(1929年)に移転しました。

御器所八幡宮
御器所4-4-24 [公式HP(外部リンク)→]



 龍福寺の北の交差点から東へ約300m進んだ4つ目の筋を左折し,150m北に進んだ2つ目の筋を右に行ったところに恵林寺(真宗大谷派)があります。平成13年(2001年)に改築された真新しい本堂には,3階の屋内に鐘がある珍しいものです。





 恵林寺から西に戻って150m強進み,来た交差点から3つ目の筋を右折し,200m強北上すると御器所八幡宮があります。創建は不詳ですが,嘉吉元年(1441年)に佐久間美作守が領内の総鎮守の神として八所大明神を修造したという棟札があり,それ以前の創建と考えられます。以降,八所大明神と称せられましたが,江戸時代の万治2年(1659年)以降の棟札には八幡宮と呼称されました。歴代の佐久間氏の崇敬も篤く,御器所村の精神的な中心神社として現在も親しまれています。木造小型の仏像を6体所蔵しており,当地域の神仏習合の具体的遺例として貴重です。社務所横の樹高20mのツクバネガシの巨木をはじめ,境内は木におおわれ神聖な雰囲気になっています。昭和59年(1984年)には馬の塔神事が再開され,毎年10月の例祭前に行われています。

神宮寺
御器所4-4-22



 御器所八幡宮の右側に神宮寺(真言宗豊山派)があります。医王山と号し,9世紀に仁明天皇の勅願により,熱田神宮の別当補佐職が,修法祈願所として建立されたといい,それ以前は嵯峨天皇の勅願により常盤山神宮寺と呼ばれた時期もあったといい,御器所の最古の寺院になります。当初は慈覚大師作という阿弥陀仏を本尊としていましたが,現在は秘仏の薬師仏を本尊としています。元々は熱田神宮のそばにありましたが,嘉元2年(1304年)に現在地に移されました。毎年11月8日の秘仏開帳の際は,薬壺を模して作られた「やっこ餅」がふるまわれます。

勘忍寺
御器所4-11-5



 神宮寺からそのまま約150m進み,4つ目の左に入る筋を進みます。すると約50m進んだ左手に堪忍寺(真言宗)があります。八事山興正寺の末寺で,もともとは西区紙漉町(現在の西区城西)にありましたが,戦後になって現在地に移されました。家康の家臣であった保忍法浄(ほにんほうじょう)が開基で,寺号は家康の家訓であった「堪忍」をとって名づけたとされます。



 堪忍寺から先に進みやや広い道を左折して約100m進むと,右手に大樹に守られるように小さな社があります。お参りするとイボが取れるという伝説があり,イボ神様として親しまれています。社の前に役行者が腰掛けた姿の像があります。

御所屋敷跡
御器所3-22



 イボ神様のところを右折して,そのまま進んで3つ目の左に入る筋を進みます。すると約50m進んだ右手に御所屋敷跡があります。豊臣秀吉の母の大政所がここで生まれたという伝説の地で,「御所屋敷跡,伝白持萩中納言宅跡豊公母住干此」の碑と小社がまつられています。大政所の素性ははっきりわからないところがありますが,天保年間(1830〜44)に尾張藩でまとめられた「尾張志」には,大政所は御器所村の人で,この地で秀吉を生み御所屋敷と呼ばれるようになったと記されています。しかし,これを裏付ける当時の史料がないため,異論もあります。



 御所屋敷跡の先を右折し,そのまま約100m進むと,引接寺(真宗大谷派)があります。



 引接寺の次の交差点を右折し,2つ目の交差点を左折すると,少し先の左手の公園のところに屋根神が祀られています。昭和5年(1930年)に作られたもので,民家の軒先にありましたが,のちに現在の場所に移されました。

ゴール:地下鉄・荒畑駅

 屋根神のところを越えた先の突当りを右折し,次の筋を左折して100m弱進むと山王通の緑道に戻ってきます。ここを左折するとすぐに荒畑駅の4番出口になります。地下鉄鶴舞線を用いて戻りましょう。

写真使用数:29

←前:鶴舞公園コース / 名古屋市昭和区 / 次:川名西コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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