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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市瑞穂区:山崎川南コースYAMAZAKI RIVER SOUTH

2015年2月探訪。2016年1月11日作成

【コース】 距離:約6.0km
 瑞穂区南東部の瑞穂古墳群,大曲輪遺跡,あゆちの水伝承地,中根城跡などの史跡と周辺社寺をめぐります。山崎川や弥富公園の桜も見事です。

地下鉄・瑞穂運動場西駅〜瑞穂古墳群〜下内田貝塚〜大曲輪遺跡〜あゆちの水伝承地〜瑞穂運動場東駅〜弥富公園〜宝泉院〜大泉寺〜行信寺〜東八幡社〜観音寺〜西八幡社〜宝蔵寺〜中根銅鐸発見地〜市バス・弥富通2丁目バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・瑞穂運動場西駅



 地下鉄桜通線の瑞穂運動場西駅がスタート駅になります。名古屋駅から20分の使用時間で,土曜・休日は10分間隔での運転です。瑞穂運動場西駅の1番出口を出てスタートしていきましょう。

瑞穂古墳群
豊岡通3





 駅の1番出口を出て左手に進み,南に約100m進んで「瑞穂運動場西」交差点の1つ手前の筋を左折します。約400m進んだ「瑞穂野球場西」交差点を右折し,瑞穂球場の西の道を進みます。ここはみずほの森として,公園の遊歩道として整備されています。瑞穂球場や瑞穂運動場などこのあたり一帯はスポーツ施設が集まっており,パロマ瑞穂スポーツパーク[公式HP(外部リンク→)]として整備されています。



 みずほの森の歩道を南下した先,右手にある豊岡小学校の校内には,瑞穂古墳群の1号墳があります。今は形が変わってしまっていますが,元は高さ4m,直径20mもあったといい,土師質の円筒埴輪が出土しています。規模や古墳の並び方から6〜7世紀の古墳時代後期のものと考えられています。



 この東側の瑞穂公園の南児童遊園の北側には,瑞穂古墳群の2号墳があります。この古墳も原型はとどめていませんが,元は高さ7m,直径30mに及んだといい,やはり古墳時代後期の建造と考えられています。もとはこの北の瑞穂球場の付近に3号墳があり,総称して三ツ塚と呼ばれていましたが,昭和16年(1941年)の球場建設の際に取り壊されてしまいました。

下内田貝塚
萩山町4



 瑞穂古墳群のところから左に曲がって瑞穂公園を東に進み,山崎川を渡る瑞穂橋のところに来ます。すると,橋の北側に下内田貝塚の案内板があります。山崎川を望む段丘上にある貝塚で,山崎川の改修に先だって昭和14年(1939年)に発掘調査が行われました。貝塚,人骨,土器,石器などが見つかり,貝塚はカキやハマグリなどからなることがわかり,主に縄文時代後期のものと考えられています。貝塚の名前は明治期の字名からつけられたといいます。





 ここから山崎川を瑞穂橋で渡ります。この付近の山崎川は桜並木が続き,山崎川四季の道として整備され,日本のさくら100選にも選ばれています。春になると多くの花見客で賑わいます。

大曲輪(おおぐるわ)遺跡
山下通5-1





 瑞穂橋を渡って,運動場の右側に進んだところに大曲輪遺跡[国史跡]の案内板があります。昭和14年(1939年)に瑞穂運動場建設に際して発見され,名古屋で珍しい縄文時代の遺跡として,昭和16年(1941年)に国の史跡に指定されました。縄文時代前期の貝塚を中心とする遺跡で,縄文時代早期の土器なども発見されています。昭和55年(1980年)に行われた競技場改修の際の発掘調査により,縄文時代前期の貝塚が良好に残存していることがわかり,埋葬された人骨や縄文〜古墳時代にかけての住居跡が発見されました。特に保存状態のきわめて良い完全な人骨1体が発見され,その際に胸の上に犬の骨が1頭分あったことから同時に埋葬されたのではないかと注目されました。その人骨の模型が近くに収められ,出土品については市博物館に保管されています。

あゆちの水伝承地
師長町



 大曲輪遺跡のところから戻り,瑞穂運動場を右に見ながら東へ進んでいきます。すると瑞穂運動場の北西の交差点を東に進んだところに,あゆちの水伝承地の碑と案内板が建てられています。あゆちの水は尾張の名水の1つと言われ,万葉集で小治田の年魚道の水と呼ばれている名水はここであるといわれています。直径1m,深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったといわれています。戦後,荒れ果てていましたが,昭和52年(1977年)に記念碑や井戸などを復元し,現在の姿になりました。『万葉集』巻十三には「小治田(おわりだ=尾張田)の 年魚道(あゆち=愛知)の水を 間(ひま)無くぞ 人は汲むとふ 時じくぞ 人は飲むとふ 汲む人の 間(ひま)なきがごと 飲む人の 時じきがごと 吾妹子(わぎもこ)にわが恋ふらくは やむ時もなし」とあります。

弥富公園
彌富ヶ丘町3





 あゆちの水伝承地の先を右折し,そのまま300m弱進むと山手グリーンロードに突き当たるので,左折して「山下通」交差点に進みます。ここの南西角には道分け地蔵というお地蔵さまがあります。また,ここには名城線の瑞穂運動場東駅があります。





 さらに山手グリーンロードを直進し,「八勝通3」の交差点を右折します。ここから弥富公園まで500m弱に渡っては桜並木が続き,春にはきれいに彩ります。途中には道心寺(日蓮宗)もあります。



 その先の弥富公園も桜の時期は花が彩ります。山崎川と並んで,桜の名所としても知られています。秋の紅葉もきれいといい,四季を感じることができます。もとは大根池と呼ばれる池があり,そこに設けられた公園になります。この付近は近年になって開発された新しい住宅が続き,高級住宅街として知られるようになりました。

宝泉院
岳見町4-41



 弥富公園の右側の道を道なりに400mほど進むと,左手に宝泉院(曹洞宗)があります。慧岳山と号し,永禄元年(1558年)に清須外町にて織田信長の命にて創建されたといいます。その後,清須越にて中区大須の裏門前町に移転し,多数の参拝客で賑わったといいます。昭和16年(1941年)に大須仁王門通の都市計画で現在地に移転し,結果として戦災から免れることとなり,貴重な寺宝が残されることになりました。本尊の阿弥陀如来は「尾張名陽図会」によると,創建時に織田信長から賜ったといい,清須の守護仏といわれ,室町前期の作といいます。本堂正面の慧岳山の額は黄檗山万福寺二世木庵によるもので,本堂,山門ともに清須越時代のものが移築されたもの,江戸時代の仏具も多く残るといいます。



 戻って1つ目の病院の前の信号を左折して,200m進むと「弥富通5」の交差点を右折して約150m進むと右手に大泉寺(真宗大谷派)があります。光明山と号し,昭和19年(1944年)に大谷本願寺から寺号を賜ったといいます。

行信寺
丸根町1-71



 大泉寺から400mほど進んだ「弥富通3」交差点を左折し,約100m進んだ2本目を左折します。するとすぐ右手に行信寺(真宗大谷派)があります。横超山と号し,寺伝によると元禄13年(1700年)に本願寺第十六代一如上人より布教伝道を始めたといい,昭和10年(1935年)に現本堂と庫裡が建立されました。
 この中根村内にはかつては天白川の西側を守った織田方の中根城という城があり,「尾張志」によると中根南城,中ノ城,北城があったといい,この付近に中ノ城が,弥富公園の南に北城があったといいます。北城は村上小膳が城主で東西28間(約51m),南北29間(約53m)の大きさで,中ノ城は村上弥右衛門が城主で東西26間(約47m),南北30間(約55m)だったといいます。この付近は東西勢力の接点で,砦が多く築かれたと考えられます。

東八幡社
中根町3-40





 行信寺から東へ3本目,200m弱進んで右折し,さらに約150m進んだ3本目の筋を右折したところに東八幡社があります。創建は不詳ですが中根村の鎮守として長く親しまれ,明治10年(1877年)に東山神社と白山権現社をここに合祀した際に現在の東八幡社に改められました。中根北城にもとあったという白山社が合祀されています。境内には中根の見当流棒の手[市民俗]の碑があります。熱田神宮に馬を奉納する際の警護役が武術を披露する中で生まれた棒の手はこの地方に様々な流派がありますが,中根の棒の手は天文23年(1554年)に生まれたといい,中根城主の織田信照が奨励したのが始まりといいます。毎年,神社の祭礼の際に奉納演技が行われます。

観音寺
中根町3-40



 東八幡社から200m強進んで「弥富通3」から伸びるコミュニティ道路に突き当たったら,左折して100m強進むと,左手に観音寺(浄土宗)があります。北条山と号し,慶長10年(1605年)に性高院(現,千種区)の末寺として創建されました。本尊の阿弥陀如来は初代尾張藩主の徳川義直から与えられたものといい,厨子に由緒が記載され,扇には葵紋があるといいます。観音堂には元和8年(1622年)に井戸から発見されたという千手観音像が収められています。また龍頭弁天という晩年の作と考えられる円空仏があり,頭の上に龍が乗る珍しいものです。この地はかつて,織田信長の弟を名乗った信照が築城したという中根南城があり,東西51間(約93m),南北49間(約89m)を誇ったといいます。



 寺の西側に北条八幡社が祀られていますが,これは中根南城の鎮守神ともいわれています。もと城の西南隅にあったという黒松があって,樹齢400年を数えた巨松で天然記念物にも指定されましたが,昭和33年(1958年)の暴風で枯死してしまい,今は切株だけが残されています。嘉永3年(1850年)に寺子屋が開かれ,明治6年には弥富小学校の前身が境内におかれました。

西八幡社
軍水町3-17





 観音寺から200m強進んだ右手に西八幡社があります。入り口から43段の階段を上がって境内に入ります。創建は不詳ですが中根の集落が発展して東西に分かれたので,西側に氏神を建立したのが始まりといい,文政5年(1822年)本殿修理の棟札があります。境内に明治44年(1901年)建立の寺嶋梅吉氏改良土臼発明碑、及び維新の井の碑があるといいます。

宝蔵寺
軍水町3-3



 西八幡社の境内を抜けて奥に進んでいくと,宝蔵寺(曹洞宗)があります。中根山と号し,天文12年(1534)に大安守公なるものが創建したといい,熱田円通寺の末寺といいます。境内には弘法大師を祀った弘法堂と,歴代の法主の墓石も並べられた地蔵堂があります。また,文政12年(1829年)創建という古い宝篋印塔があり,平成23年(2015年)には大改装が行われました。



 寺を出て左に進んだ仁所公民館の前に,中根銅鐸発見地の案内板があります。明治3年(1870年)の道路改修工事中に発見された弥生時代のもので,高さ83.2m,大型の耳を持たない三遠式銅鐸に分類されます。袈裟襷文で六つに区画された中を三段ずつの連続渦巻き紋で飾り,雷文を並べた施文が特徴といいます。現在は兵庫県西宮市にある銅鐸のコレクションで有名な辰馬考古資料館が所有し,国の重要文化財に指定されています。実際に発見されたのは案内板から西に200mほどのところで,中根小学校の玄関には銅鐸の複製が置かれています。

ゴール:市バス・弥富通2丁目バス停



 仁所公民館の先の交差点を右折して北に400mほど進み,弥富通に出たら左折して100mほど進むと,ゴールの弥富通2丁目バス停です。幹新瑞1系統が新瑞橋駅まで3分,1時間に4本程度出ています。新瑞橋駅を経由して名鉄神宮前駅に行く神宮11系統も1時間に2〜3本運転されています。

写真使用数:28

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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