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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市瑞穂区:瑞穂ヶ丘コースMIZUHOGAOKA

2015年2月探訪。2016年1月11日作成

【コース】 距離:約5.9km
 瑞穂区北西部の弥生時代の遺跡や古墳から,巨大十一面観音がある金龍寺や乳母薬師で有名な海上寺など庶民信仰の生きる社寺をめぐります。

地下鉄・桜山駅〜摂取院〜神明社〜信正寺〜八高古墳〜金龍寺〜盛屋寺〜八剱社〜信楽寺〜高田城跡〜冨士八幡社〜神之内八幡社〜観音堂〜一之御前神社〜大悲堂〜直来神社〜海上寺〜薬師寺〜眞好天神社〜地下鉄・瑞穂区役所駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄・桜山駅



 今回のスタート駅は,地下鉄桜通線の桜山駅です。桜通線を利用して,名古屋駅から17分の所要時間で,土曜休日は10分間隔で運転されています。桜山駅の3番出口を出てスタートしましょう。(写真は4番出口です)

名古屋市立大学病院
瑞穂町川澄1 [公式HP(外部リンク)→]



 駅の出口から出たところに,名古屋市立大学病院があります。昭和6年(1931年)に瑞穂区瑞穂通に名古屋市立病院として開院し,その後昭和25年(1950年)に現在の名称になりました。昭和41年(1966年)に新病院となって現在の位置に移転しました。名古屋市立大学の本部が置かれている川澄キャンパスの中にあり,医学部,看護学部の大学生がこの中で学んでいます。

摂取院
駒場町2-2



 南に進んだ「市大病院前」交差点で横断歩道を渡って右折し,100mほど進んだ2本目の筋を左折し,さらに次の筋を右折します。この左手には熱田長屋と呼ばれる神社に似た意匠の古い住宅が建っています。



 そのまま50mほど進むと右手に摂取院(浄土宗鎮西派)があります。正保2年(1645年)に開山し,もともとは中区白川町にありましたが,昭和18年(1943年)に建物疎開のために現在地に移転しました。寺伝によると本尊の阿弥陀如来は朝倉氏からの寄進といいます。元亀元年(1570年)に姉川の合戦にて朝倉氏は織田信長に敗れ,その朝倉氏の一族である朝倉正興は大津,大坂を経由して藩主義直の時代に尾張に逃れてきたといいます。そして京都の仏師である弘教法師の作という阿弥陀如来を明暦2年(1656年)に寄進したと伝わっています。

(中山)神明社
中山町2-5





 摂取院から先に進み,100m先の突当りを右折してさらに次の突当りを左折すると,約50m先の右手に(中山)神明社があります。寛文7年(1667年)に養林寺(現,昭和区西畑町)の開山専誉上人が,約200m西方の高田村藤塚の八高古墳に祠を建てたのが始まりといい,明治40年(1907年)に県立熱田中学校の建設にあたって現在地に移されました。例祭は毎年10月中旬に行われます。境内に龍神社があり,大楠をご神木として祀っています。本社左側には,元禄5年(1692年)に合祀された熱田社,昭和14年(1939年)に合祀された秋葉社と天王社があります。昭和62年(1987年)には大宰府天満宮が勧請され,合祀されました。

信正(しんしょう)寺
中山町2-27-2



 神明社の先の交差点を左折すると,少し先の右手に信正寺(浄土宗)があります。林栖山と号し,開山は不明ですが,碑文には宝永3年(1707年)に中山村の人々が村民の招福除災を祈願して建立したとあります。元々養林寺(現,昭和区西畑町)の末寺で,この付近に養林寺領があったことから,寺の隠居所として隣接墓地に歴代和尚の墓が建てられたといいます。寺宝には鋳物師頭水野太郎左衛門藤原貴正とある半鐘があり,元文5年(1740年)の銘があります。明治期には瑞穂小学校の分校がここにおかれました。門前には千手観音,十一面観音,如意輪観音の三体の野仏がまつられており,これらは村境に奉置されていたものが耕地整理,区画整理のために2回設置場所を移したものといいます。また,慶応4年(1868年)の青松葉事件で処刑された榊原勘解田の碑があります。

八高古墳(名市大古墳)
瑞穂町西藤塚 名古屋市立大学滝子キャンパス内





 信正寺の先の交差点を右折すると,やがて名古屋市立大学の滝子キャンパスの前に出ます。この門を入って右手に八高古墳があります。この地がかつて旧制第八高等学校の敷地だったことからこの名前があり,瑞穂台地の北に築かれた前方後円墳で,全長70m,後円部の直径が35m,前方の幅28m,高さ5mを測り,前方部分は学生食堂が作られたため損なわれています。詳しいことはわかっていないそうですが,古墳内に粘土槨が設けられていることから,5世紀中頃の築造と考えられています。なお,大学構内にはこの他にも80mほど北にも直径30mほどの円墳1基があります。また,かつては南の高蔵高校や瑞穂ヶ丘中学校付近にもいくつかの古墳があったといい,古墳群となっていたと考えられます。また,旧第八高等学校の正門は文化財として移設され,現在は犬山市の明治村の正門になっています。

金龍寺
亀城町5-31



 滝子キャンパスの門から南下し,次の交差点を右折して200m弱進むと,左手に金龍寺(真言宗)があります。瑞穂山と号し,昭和15年(1940年)に高野山大師教会名古屋支部として高野山から認可されたのが始まりといいます。本尊は昭和31年(1956年)に奈良長谷寺本堂東脇の夫婦楠を頂戴し,中川区尾頭の仏師小山亀三郎が彫刻したという十一面観世音菩薩で,高さ7.6m,背光も入れると9mになるといい,屋内仏としては市内最大の高さを誇り,像の内には10分の1の大きさの胎内仏が収められています。脇仏には五色不動明王,薬師如来,毘沙門天があります。弘法大師がめずらしく火焔を背負っている「火防大師」という像があり,名古屋21大師の第19番札所として賑わっています。

盛屋(せいおく)寺
太田町4-7





 金龍寺の先の突当りを右折し,続いて左折して約100m進むと右手に盛屋寺(曹洞宗)があります。月桂山と号し,天正2年(1574年)に虎岩禅師によって建立され,昭和区の龍興寺の末寺です。門前には庚申塔があり,この付近は庚申信仰が盛んだったといいます。また門前左側には2体の青面金剛の石像があります。寺の墓地には京都生まれの尾張の焼物師として知られ,豊楽焼を広めたという大喜豊助の4代前に当たる加藤利慶(1708〜69)の墓があります。彼は中区大須に住み,前津にあった大池という池の近くで焼き物を焼いたといい,楽焼風の茶器や土風炉などを作ったといいます。

八剱社
御剱町2-18





 盛屋寺の先のT字路を左折し,道なりに100mほど進むと右手に八劔社があります。天喜4年(1056年)に熱田神宮の下の宮である八劔宮から勧請されて,新八劔宮と呼ばれたといいます。明治44年(1911年)に旧地名瑞穂高田上ノ切にあったという熱田社を合祀(永禄8年(1564年)勧請という)しました。社殿は小高い丘のコンクリート造りであるが,木も生い茂って趣があります。境内社に源太夫社,白山社,山上社があり,神楽殿の前に秋葉大権現の礎石があります。また,庚申像を描いた掛け軸が4幅あり,現在も庚申講が行われるなど庚申信仰が盛んだった面影を残します。地名の御劔町はこの社にちなんでつけられたと考えられています。



 八劔社の先,4本目の一方通行の道を左折した少し先の左手に信楽寺があります。もと豊明市大脇町にあり,大正9年(1920年)に中川区西日置町に移され,その後大谷派信楽教会を開設,昭和48年(1973年)に現在地に移されました。現在は真宗系の単立寺院になっています。

冨士八幡社
雁道町4-35



 信楽寺の先を左折し,400mほど先の信号を右折すると,左手に御剱小学校があります。かつてここには,高田城という城があったと伝えられ,「尾張志」によると東西約100m,南北50mに及び,「尾張徇行記」によると村瀬浄心なる人物の居城だったが,御器所城主に攻められて城は陥落したといいます。





 御剱コミュニティセンターの先を右折し,その先を左折し,さらに先の突当りを左折すると,少し先の左手に冨士八幡社があります。鎌倉時代に宇佐八幡宮の分霊と冨士浅間神社の分霊をそれぞれ勧請して創建されたのが始まりといい,高田城の鬼門に当たるところに祀られ鎮守の森とされました。文政9年(1826年)に現在地に合祀され,両出名をとって社名としました。本社の東に津島社,秋葉社が,西に伏見稲荷が勧請され,東に隣接して弘法大師堂があります。大正初期までは夏祭りに男獅子が奉納されました。

神之内八幡社
北原町1-14-4



 冨士八幡社の先を左折し,道なりに左,右,さらに交差点の先を右に進み,船原公園の突当りを左に進んで,次の十字路を左折します。さらに次の筋を左折して100mほど進むと,左手に神之内八幡社があります。創建は不詳ですが,明治10年(1877年)頃までは6月16日の天王提灯祭に多くの人が集まり,この神社に提灯を奉納して「提灯ヨ,バイバイヨ…」というと,熱田神宮に提灯を奉納したのと同じ御利益があるという代参の習わしがあったといいます。



 境内には肴翁(なべ)石があり,これは弘法大師が諸国をめぐった際に海上寺に立ち寄られ,石を叩いた音を聞いて「これは珍しい唐より伝わる肴翁石」といったといい,これをなでて頭痛,歯痛,腰痛を祈願するといいます。

観音堂
船原町7-23



 神之内八幡社の先を右折し,続く筋を右折します。その先の交差点の先にある左右の分岐で右の細い道に進み,突当りまで進んだところに宮参り道の観音堂があります。先の交差する道は宮参り道といい,熱田神宮へ参拝する人々が通った道で古くからの面影を残します。かつてはこのような観音堂が多くあったそうですが,立ち消えになったものが多く,この観音堂は地元有志が大正3年(1914年)に改築して現在まで守っているものです。堂内には様々な仏像が集まっており,堂の前には最近設けられたみや道の道標が建てられています。

一之御前神社
平郷町5-13





 観音堂のところを左折して,50m強進むと,右手に一之御前神社が見えます。創建は不詳ですが,「尾張志」には永禄7年(1564年)に高田城の城主である成瀬浄心が勧請したといい,古い歴史を持つ神社です。一之御前の祭神は日本武尊の荒魂といい,熱田神宮も一之御前の摂社を持っています。拝殿前には黒龍姫,白龍王天神をまつり,拝殿東には津島社,秋葉社が祀られています。境内にある保存樹のクスノキが印象的です。

大悲堂
豆田町2-16



 一之御前神社の前を右折して約300m進み,6本目の筋を左折します。さらに150mほど進むと左手に伏谷商店[公式HP(外部リンク→)]があります。伝統的な手作り提灯の製造と販売を行っています。



 そのまま200m弱,信号を渡って進むと,右手に大悲堂があります。大悲堂はりゅうせんきのが開祖の如来教の寺院で,文政9年(1826年)に教祖が入滅した際に火葬された聖地に建てられたものです。本山は熱田区旗屋の青大悲寺で,ここは教祖の在世中の住処でした。なお,境内の拝観はできないので注意してください。
 この付近は,蛇塚遺跡といい明治末から昭和初期にかけて多くの遺物が出土し,弥生後期の土器片から古墳時代の須恵器まで多種にわたり,一部が南山大学人類学博物館に保存されています。かつてこの付近に牛巻淵という水が深くよどんだ地があり,そこに大蛇が住んでいて人々を困らせたといいます。弘治2年(1556年),熱田神宮神官の大原真人武継が神宮の帰り道に弓矢で大蛇を退治し,人々はたたりを恐れて死がいを傍らにうめ,蛇塚として祀ったといいます。これが蛇塚の名前の由来は,かつてはこの付近の地名になっていました。

直来(なおらい)神社
直来町4-23



 大悲堂の先の交差点を左折し,200m強進むと左手に直来神社があります。木曽義仲が都で義経軍らと争って敗れ,一族の女たちが木曽に逃れる途中,桂姫がこの地でできもののために亡くなったといい,それを祭ったのが神社の始まりといいます。その後,神木の下で小石をなでて奉納するとおできが治るという信仰がめばれ,おできの神様として知られています。直来の由来は2説ほどあり,1つは祭事の際にお供えの御下がりで食事をする直會が行われたからというのと,もう1つはかつて本願寺がこの付近にあり,阿弥陀如来が本尊だったことから「にょらい」が転じたというものです。昭和34年(1959年)それまで直會社であったものが直来神社と改められました。

海上寺
直来町5-5



 直来神社から150mほど東に進むと,海上寺(真言宗豊山派)があります。龍王山と号し,かつて寺の西の辺に潟があって,その海に臨んだ高台の寺であることから海上寺と名づけられたといいます。寛永16年(1639年)に中興し,その後享保年間(1716〜36)に本堂が再建され,天保6年(1835年)に修復されたといいます。表門・本堂・厨子は典型的な江戸時代建築であり,表門は一間薬医門で18世紀前半の建立の様式といい,厨子は寛永中興当時のものと考えられています。



 本堂の本尊は弘法大師作と伝わる薬師如来で,古来より粟を備えて家内安全や無病息災を願ったことから粟薬師の名で知られています。



 また,明治40年(1907年)建立という客殿があり,こちらには乳花(ちばな)薬師で知られる薬師如来が祀られています。この薬師如来は明治初年に廃仏毀釈で廃寺となった東光寺(現在の中区栄3丁目にあった)から来たもので,母乳満足と幼児の息災守護を祈って堂前に乳房の形の作り物が奉納され,乳が多すぎる人は乳預けもするという珍しい信仰になっています。境内には大正8年(1919年)に建立された高田獅子連記念碑があります。この付近は馬の塔が他村の喧嘩,不行跡があったために禁止され,明治以後は嫁獅子が流行し,この付近では天白区菅田のものと並んで有名であったといいます。この碑は,嫁獅子の黄金時代を記念して建立されたといいます。

薬師寺
本願寺町2-22



 海上寺から200mほど進んだ3本目の筋を曲がり,少し進んだ左手に八幡社・白山社があります。創建は不詳ですが寛文末期(1670年頃)に鎮座の記録があり,それ以前からの歴史があります。現在は2つの祭神が本殿に祀られています。拝殿右手の神木は樹齢300年といい高さ14mを誇り,名古屋市の保存樹に区内で最初に指定されました。境内に庚申塔が設けられています。





 社のところで左折し,次の突当りを右折,さらに先の突当りを左折します。すると約100m先のコンビニの左手に薬師寺(真言宗智山派)があります。瑠璃山と号し,寛文元年(1661年)に建立と伝わっています。「尾張徇行記」には先ほどの八幡社をはじめ,周辺の神社を支配していたことが記されています。

眞好天神社
瑞穂通4-34





 さらに東に200m強進むと環状線に突き当たるので,ここを右折して,先の「瑞穂通4」交差点で南東側に進むと,眞好天神社があります。言い伝えでは,江戸末期の天保年間(1830〜44)にはおどり山(現在の村上神社)に祀られていましたが,御神託により明治2年(1869年)に現在地に移されました。現在の拝殿と神殿改築は昭和37年(1962年)に完成したものです。祭神は菅原道真と俗にいわれ,智恵の神様として敬われています。境内社に秋葉社,津島社,熱田社があります。

ゴール:地下鉄・瑞穂区役所駅



 環状線を北に300m強戻ると瑞穂区役所があります。地図などの情報が必要な場合は立ち寄るといいでしょう。



 ここにある桜通線瑞穂区役所駅の2番出口がゴールです。名古屋駅まで約18分で戻ることができます。

写真使用数:36

←前:[昭和区]八事山コース / 名古屋市瑞穂区 / 次:堀田コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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