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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市南区:星崎コースHOSHIZAKI

2015年2月探訪。2016年2月4日作成

【コース】 距離:約6.1km
 区南東部に当たる星崎地区をめぐります。星崎の名前の由来になった古社の星宮社を代表とする社寺や星崎城跡などの史跡がみどころになります。

名鉄・本星崎駅〜石神社〜光照寺〜蒼竜寺〜常徳寺〜正行寺〜鹿島稲荷社〜西来寺〜牛毛神社〜鳴尾公会堂〜地蔵寺〜喚続神社〜稲荷社〜大江川湊跡〜中井用水緑道〜星宮社〜善住寺〜星崎城跡〜海隣寺〜名鉄・本星崎駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄・本星崎駅



 今回は,名鉄名古屋本線の本星崎駅がスタート駅です。金山駅から約15分,名古屋駅から約20分の所要時間で,普通列車のみの停車です。駅の西側に出てスタートします。

石(いし)神社
星崎町阿原338



 駅を出て左手の突当りを右に進みます。この道はかつて知多郡道または知多街道といい,笠寺と知多方面を結ぶ主要街道で笠寺一里塚の南で東海道から分岐していました。



 50mほど進むと左手に石神社があります。石をご神体とした神社で,歯痛,神経痛に霊験があるといい,お礼にしゃもじを供えたことから「オシャモジ様」と呼ばれました。

光照寺
星崎2-61





 石神社から約200m,「名南工高西」交差点を越えて進むと,やがて右手に光照寺(浄土宗)があります。摂取山と号し,当初は高田派で顕正寺といい,承久の乱で朝廷方の武士として活躍した山田重忠が建保元年(1213年)に創建したという伝承があり,重忠ゆかりの品も蔵するといいます。その後,慶安4年(1651年)に建中寺(東区)の末寺となり,浄土宗に改宗しました。「尾張徇行記」によると明暦2年(1656年)の再興といいます。寺の東のお堂に並ぶ多くの石仏は百観音と呼ばれます。かつては目の前の知多郡道を行き交う人々の休憩場所として賑わったといいます。

蒼竜寺
星崎2-47



 光照寺の手前を右折して100m弱進むと,蒼竜寺(浄土宗)があります。当初は山田重忠の守り本尊と伝わる薬師仏が安置された阿弥陀薬師堂がここにあったといいます。明治5年(1872年)に建中寺の御霊屋の一部を廃棄した際に譲り受けて本堂とし,拝殿を外陣に,合の間を内陣に使用しています。現在も当時の面影を残す貴重な建物になっています。





 蒼竜寺の先の国道1号線の歩道橋を渡った先に常徳寺(真宗高田派)があります。法輪山と号し,寺伝によると下野国芳賀郡(現栃木県)の専修寺3世の創建で,文亀年間(1501〜04)に中興されたといいます。常徳寺の入り口のところを左折して少し進むと右手に市杵島社があります。山田重忠による建立と伝えられています。

正行寺
星崎1-172





 歩道橋のところに戻り,さらに1号線を進んで,次の筋を右奥方向に進むと,約100m先の左手に正行寺(浄土宗)があります。称名山と号し,寺伝によると建保5年(1217年)に山田重忠による創建といい,当初は高田派で信楽寺と称しました。慶安4年(1651年)に建中寺の末寺となり,浄土宗に改宗した際に現在の名前に改められました。本尊の阿弥陀仏は重忠所持のものと伝わっていますが,この付近は室町初期に陸化したと考えられているため,時代が合わないといいます。

鹿島(かのしま)稲荷社
星崎2-98先



 1号線に戻ってさらに東に進み,先の「星崎二丁目」交差点で1号線を渡り,さらに東に進んで,先の筋を左に曲がると鹿島稲荷社があります。天白川の砂州が発達したかつて「鹿の島」と呼ばれた場所に立っています。蟹江氏の祖という久太夫が建立したといいます。彼の妻は狐の化身だったといい,正体を見られたため姿を消す際に一晩で田植えを行い,その年は狐が植えた田だけ豊かに実ったという伝説があり,別名久太稲荷と呼ばれています。

西来寺
元鳴尾町424



 1号線に戻り,さらに150mほど進んだ「大慶橋北」交差点を右折して50m強進むと,左手に若宮八幡社があります。享保年間(1716〜36)創建といい,境内社の鳴尾社・加具土・多度社は明治10年(1877年)に本社内に移したといいます。



 さらに約100m弱進んだ2本目の細い筋を左折し,約50m進むと左手に西来寺(真宗大谷派)があります。小藪山と号し,三河針崎(現,岡崎市)の勝鬘寺の末寺で,創建は大永年中(1521〜28)とも,天文年中(1532〜55)とも伝えるなど由緒は不詳です。



 明治期の小説家の永井荷風(1879〜1959)の生家の菩提寺で,境内には荷風の「人生の真相は、寂寞の底に沈んで初めて之を見るであろう」という言葉が刻まれた追慕碑があります。堀口大学による筆で,昭和50年(1975年)に建立されました。



 西来寺から道路向かいの反対に永井星渚(ながいせいしょ)の屋敷跡があります。星渚は永井荷風の先祖に当たり,宝暦11年(1761年)にこの地に生まれ,尾張の儒学者として活躍しました。13歳で鳴海にて滞在中の儒学者市川鶴鳴について教えを受け,その後,荻生徂徠の古文辞学派の学問にすぐれたといい,門下に伊藤両村などを輩出しています。

牛毛(うしげ)神社
元鳴尾町218





 西来寺の前から南に入る道を約200m進み,3本目の筋を左折して,さらに松風公園の前を右折し,公園の先の交差点を左折し,さらに続く筋を右折します。そのまま100mほど進むと牛毛神社があります。この付近の牛毛・荒井村など天白川の砂州上に発達した集落を水害などから守るために堤防上に設けられた神社で,創建は太閤検地(1582〜95)以前と推定されており,祭神は須佐之男命です。明和6年(1769年)に奉納された手洗い鉢やムクノキの大木が境内にあります。

鳴尾公会堂(旧鳴尾学校舎)
元鳴尾町138



 牛毛神社の参道を進んで新幹線の線路側に出て,右折して線路沿いに約100m進み,3つ目の筋を右折します。すると50m強先に印象的な鳴尾公会堂の建物が見えてきます。明治4年(1871年)の廃藩置県の際に,県の出張所として知多郡横須賀町(現,東海市)に建てられたもので,明治15年(1882年)に現在地に移設され,第31番小学校鳴尾学校の校舎になりました。明治期の建物がそのまま残り,当時の官庁建築の特色を残す貴重なもので,明治期の建物として名古屋市最古ともいわれています。正方形の皿形の板を3枚重ねた玄関柱,網代式(あじろしき)の玄関天井,ベランダ風の廊下など随所に洋風建築のデザインがみられるといいます。

地蔵寺(喚続地蔵)
鳴尾1-235





 鳴尾公会堂の手前の筋を左折し,その先の新幹線と東海道線の線路をくぐって先を右折すると,左手に地蔵寺(曹洞宗)があります。延命山と号し,正保2年(1645年)の創建と伝わります。本尊の呼続地蔵は秘仏で8年ごとに開帳されます。この呼続地蔵は,元和元年(1615年)に大坂落城の落ち武者新藤半兵衛がこの地を通りかかった際,海辺に立っていた石地蔵の霊験を試そうと槍で突いたといい,その後地蔵は二つに割れたが,半兵衛も血を吐いて落命したと伝わっています。寺の南側に血塚畑(ちづかばた)と呼ばれる場所があり,供養の碑が立っています。

喚続神社
星崎1-146





 地蔵寺から線路に平行して100m弱道なりに進み,広い道に合流したら線路をくぐって,さらに2本目の筋を左折します。そのまま300mほど進んだ星崎第1公園の入り口手前の交差点を右に曲がったところに喚続神社があります。社伝では大永3年(1523年)の創建といい,神社西側海岸の堤防が何度も決壊したことから,伊勢神宮で1万回の祓いを受けて,その神徳から堤防が完成したことから,伊勢神宮に向けて社殿を建てたと伝わり,南野村の氏神として崇敬を受けています。境内には星石と呼ばれる寛永9年(1632年)に落下したという隕石が祀られ,ご神体となっています。重量は1kg余りで黒褐色であり,国立科学博物館の鑑定によると年代が明白な隕石としては日本最古のものといいます。毎年10月第2日曜日に例祭が行われ,布袋や福禄寿などの大人形が見られるといいます。

稲荷社(福井八左衛門供養塔)
南野2-70付近





 星崎第1公園に戻り,線路沿いに進んで右折します。100m強進んだ次の筋を左折して線路の高架をくぐり,400m強進んだ南野2丁目公民館のところを右折すると,少し先の左手に稲荷社があります。嘉永年間(1848〜54)の創建といい,境内入り口左手に福井八左衛門の供養塔があります。南野村の庄屋であった福井八左衛門は,瀬戸内海で製塩が発達するのをみて製塩業に見切りをつけ,私財を投じて正徳6年(1716年)にこの付近に八左衛門新田を開拓しました。この供養塔はその遺徳をしのんで大正3年(1914年)に建立されたものです。隣接して弘心寺(浄土宗)があります。大正10年(1921年)に八左弘法堂として建立されました。

大江川湊跡
南野1





 稲荷社から100mほど直進し,広い道に突き当たったら右折し,先の「南野1丁目」交差点を左折します。300mほど進むと大江川緑地に到着します。大江川緑地は新田に設けられた大江川を暗渠にして設けられた緑地で,昭和55年(1980年)に整備されました。この付近は,かつて大江川湊と呼ばれる港があり,寛文年間(1661〜1672)には,佐屋街道の「万場の渡し」の応援や津島祭の車船として出ていたと「尾張徇行記」にあるといい,この付近の年貢米を藩の蔵に送ったり,鳴海の荷物を運搬したり,三重県の多度方面との往来もあり大変賑わっていたといいます。
 この付近は,古い時代は製塩が盛んな場所として知られ,南野町遺跡などの中世から近世にかけての塩屋などの遺構が発見され,近世の製塩業の内容を明らかにする重要なものが見つかっているといいます。この付近で作られた塩は,北に続く塩付街道を通って各地に運ばれました。

中井用水緑道





 大江川緑地の北東側から出て,そのまま交差点を東側へ渡り,大江川の右側の歩行者道路を進みます。ここには名古屋市の大江川のポンプ所が設けられており,中井用水緑道が延びています。大江川の上流部に当たる中井用水は天白区を水源として流れる用水で,現在は緑道として整備され,大江川に沿って道が設けられているこの付近は桜の名所としても知られています。ここから緑道を500mほど東海道線の線路や国道1号線を越えて進んでいきます。緑道はさらに地下鉄鶴里駅付近までずっと続いています。

星宮(ほしのみや)社
本星崎町宮西620





 中井用水緑道を進んでくると左手に星宮社が見えてきます。社伝によると舒明天皇(629〜41)の頃の創建といい,星崎城が築城された際に現在の笠寺小学校の敷地から移転したといいます。かつては星崎の岬の最南端に位置し,灯台の役割を果たす常夜灯が設けられたといいます。境内社の上・下知我麻神社は,鎌倉時代に熱田神宮に移された後,故地に設けられた元宮と言われています。境内の浜主社には,この地で製塩を人々に教えたという伊奈突智老翁(いなづちのおじ)がまつられています。





 星宮社の左手の細い道を100m強進むと右手に幸蓮寺(真宗高田派)があります。白色山と号し,鳴海の万福寺の末寺で,元禄11年(1698年)に万福寺の境内にあった蓮乗坊を移して創建したといいます。

善住寺
本星崎町寺坂670





 幸蓮寺の先の交差点を右折すると,すぐ左手に善住寺(浄土宗)があります。法王山と号し,元は西光坊と号する高田派の寺院でしたが,慶安4年(1651年)に建中寺の末寺となって浄土宗に改宗し,現在の寺号に改称されました。本堂と表門は,享保18年(1733年)に西の水袋新田や弥次衛新田を開拓した本地村の庄屋の中村弥次右衛門によって再建されたと伝わります。





 境内には良縁をもたらすという伝説があり,深紅の花を咲かせることから名前の由来になっている愛染椿,養蚕が盛んだったころに,幼い子を亡くした母が桑畑の中で涙を流して菩提を弔ったという伝説のある桑子地蔵,仏教の六道を表したという六地蔵などがあります。

星崎城跡
本星崎町本城765





 善住寺から先に進むと,左手に笠寺小学校があり,小学校を過ぎた先の階段を上がったところに星崎城跡の碑があります。星崎城は標高10m程度の台地の先端に築かれたもので,古図によれば城域は東西約350m,南北約450mに及び,城と一体化した総構えの堀を持つ堅牢な城であったといい,本丸は現在の笠寺小学校の場所に位置していたといいます。今の住宅地一帯に二の丸,三の丸,侍屋敷,大手門などを備えた本格的な城で,名古屋台地南部の拠点城郭の風格を備えていました。創建は不詳ですが,山田重忠が治承年間(1177〜81)に創建したとも伝わります。戦国期になって城主は織田,今川の争いの中で交代し,永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際は織田方の岡田直教(なおのり)が城主となりました。その後,織田方の岡田重善,重孝が城主となり,重孝は織田信雄の重臣として尾張国の検地を分担するなど活躍しましたが,天正12年(1584年)に豊臣秀吉への内通が疑われて伊勢長島城で自害し,これが小牧・長久手の戦いのきっかけとなりました。その後,山口重政が城主となりましたが,重政が伊勢国に移動したため天正16年(1588年)に廃城となりました。



 星崎城跡から進んで名鉄の踏切の前を右折すると,100mほど先で中井用水緑道と合流します。この左手の緑道と名鉄の線路の交差点には,線路の直下を通る名物の歩道があります。

海隣寺
本星崎町大道414



 中井用水緑道を越えて,本星崎駅に向かう線路沿いの道から右に分岐する細い路地に入って200mほど進むと右手に海雲山と号する正覚寺(曹洞宗)があります。



 その先には,海隣寺(真宗高田派)があります。古くは星崎道場といいましたが,永禄6年(1563年)に現在の寺名に改めたといいます。境内にある薬師堂は,かつて長命井戸という井戸のそばにあったといいます。隨円という尼が井戸の水で136歳まで生きたという伝説があり,現在も付近に残っているといいます。織田信長にこの井戸の水を毎年献上していましたが,ある年,水を城まで運んでいったところ,桶が空になっていたといい,不思議に感じていると本能寺の変が起こって信長は家来の明智光秀に殺されてしまったといいます。

ゴール:名鉄・本星崎駅



 海隣寺の先の筋を左折して道なりに進み,100m弱先の分岐を右折し,その次の筋を左折すると,スタートした名鉄・本星崎駅に戻ってきます。名鉄の普通列車を使って戻りましょう。おおよそ15分間隔で運転されています。

写真使用数:42

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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