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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市南区:豊田・道徳コースTOYODA & DOTOKU

2015年2月探訪。2016年1月24日作成

【コース】 距離:約6.8km
 区北西部の豊田・伝馬・明治・道徳の各学区をめぐります。江戸時代の新田開発の際に創建された各新田の神社や碑をめぐるコースです。

市バス・千竃通2丁目バス停〜南図書館〜忠次稲荷神社〜戸部下神明社〜御替地神明社〜古伝馬神社〜伝馬神明社〜紀左衛門神社〜若宮八幡社〜道徳稲荷社〜道徳公園〜山神社〜東昌寺〜市バス・泉楽通4丁目バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:市バス・千竃通二丁目バス停

 スタートは,市バスの千竃通二丁目バス停です。栄または堀田駅から基幹1号系統の利用が便利です。本数は日中およそ10分間隔であります。金山駅から金山18系統も利用できますが,こちらの本数は1時間に1本程度しかありません。

南図書館・南文化小劇場
千竃通2-10-2 [公式HP(外部リンク)→]



 千竃通二丁目バス停の南行き乗り場のところには,南図書館と南文化小劇場があります。南図書館は昭和39年(1964年),名古屋市で4番目の図書館として,地元の実業家の田中均一郎氏の尽力で設立されました。現在の姿になったのは平成4年(1992年)で,図書館の上に文化小劇場がある今の姿になります。館内には伊勢湾台風資料室があり,昭和34年(1959年)に発生した伊勢湾台風関連の写真や新聞記事などが展示されています。南区は伊勢湾台風で貯木場の木材が流出するなどして1417名もの死者・行方不明者を出し,その記憶を風化させないようにと様々な取り組みも行われています。

忠次(ちゅうじ)稲荷神社
忠次2-2



 200mほど南に進んだ「千竃通3」交差点を右折し,300mほど進んだ山崎川を渡る橋の前を左に進んだ新幹線の高架下には青峰山観音があります。三重県鳥羽市の青峰山正福寺から勧請した観世音菩薩像で,かつて南区の村々が海に面していたころには水難を防ぎ,海の安全を祈願するために,船が出入りする場所や新田の堤防上に多く設けられていたといいます。この対岸にもかつては船着場があったといいます。



 戻ってそのまま忠次橋で山崎川を渡り,橋の先を左折して次の右側の階段を下ると忠次稲荷神社があります。この付近の忠治新田を開発した井上忠治(一説には忠次郎)を祀っています。この忠治新田は享保12年(1727年)熱田神官の田島肥後が開発を始めましたが失敗し,その後,井上忠治が享保20年(1735年)に開発したといいます。境内にはその後,新田を譲渡された滝定助,春日井丈右衛らが作ったという献燈があり,昭和の初めに奉納された灯籠の台石には,当時の小作人60人の名前が刻まれているといいます。

戸部下神明社
戸部下1-3-41





 階段を戻って左折し,山崎川の堤防沿いの道を北に向かい,250m弱新幹線の高架をくぐって進み,JR東海道線の線路の手前の左手の階段を降りて,400mほど線路沿いに進んで次の筋を右に曲がって高架をくぐると,先の左手に戸部下神明社があります。境内にはこの付近の戸部下新田の開発の歩みを示した碑があります。戸部下新田は元禄11年(1698年)に山崎村理兵衛らによって開発され,当初は祐竹新田といいました。しかし,作物が十分に育たず,宝永7年(1710年)には高潮で堤防が決壊したため,享保13年(1728年)に赤塚町の大野屋嘉兵衛に譲渡され,新田が完成され,寛保2年(1743年)に年貢高が確定し,戸部下新田に改称されました。この神社は,享保13年(1728年)の創建といい,境内社に秋葉社があります。新田北の堤防には古地図に御川を記された場所があり,尾張の殿さまがこの付近でカモ猟を行ったと伝わっています。

御替地(おかえち)神明社
豊田2-8





 戸部下神明社から西向きに戻って約500m進み,左手に公園が見えたら左折して少し進むと,御替地神明社があります。この地域の道徳新田は,当初は戸部下前新田と呼ばれ,寛保元年(1741年)に尾張藩によって開発されました。天白川の流れを変えて山崎川に合流する流路変更を行いましたが,たびたび堤防が決壊したため,流路を元に戻しました。その際に天白川古新田が取り潰されたためにその替地として設けられたため,御替地新田と呼ばれ,以前には地名にも残されていました。この神社は寛保2年(1742年)に新田の氏神として創建されました。日照りに悩まされた人々が安永9年(1780年)に荒子観音寺から勧請したという円空作の竜神像が収められています。境内の常夜灯は天保10年(1839年)の寄進といい,文化9年(1812年)に道徳新田に改称されたという碑が立っています。境内社には竜神社など6社が合祀されており,主に18世紀のもので,稲荷社は昭和8年(1933年)に合祀されました。

古伝馬神社
豊1-35-17



 そのまま進んで新幹線の高架をくぐったさきの交差点を右折し,さらに次の十字路を右折します。ここから300m強,東海通を越えて道なりに進み,突当りを左折したすぐの「伝馬小学校前」を太い道に沿って右側を進んで北に300mほど進み,「豊1」交差点を越えて2つ目の筋を左折すると,約50m先に古伝馬神社があります。寛文13年(1673年)に熱田宿の伝馬を助成する目的で開発された古伝馬新田の豊作と安全を祈願して,永禄元年(1558年)に創建されたといいます。明治時代には熱田社として現在地に移転し,大正末期に社殿を修造して古伝馬神社とし現在地に移転しました。古伝馬新田は,寛永4年(1627年)の地震,正徳4年(1714年)の大風,享保7年(1722年)の暴風高波などでしばしば堤防が決壊した記録があり,先人の苦労がしのばれます。

伝馬神明社
豊2-3



 そのまま道なりに300mほど進んだ突当りを左折し,続いて右折して200mほど進むと名鉄常滑線の高架に突当ります。ここから右に行ったところには,豊田本町駅があります。





 左に曲がって線路沿いに100m強進むと左手に江戸街園があるので,その手前で左折し,さらに左折すると,左手に伝馬神明社があります。境内には長三郎新田の郷土碑があります。長三郎新田は,当初は新伝馬新田といって元禄9年(1696年)に熱田宿駅伝馬の助成を目的に開発されました。しかし,たびたびの天災で何度も堤防が決壊したため,正徳4年(1714年)に熱田材木町の商人である江戸屋長三郎に300両で売却され,長三郎新田と呼ばれるようになりました。

紀左衛門神社
内田橋1-33



 西に戻って,名鉄の線路に突き当たったら左に進むと,すぐに国道247号線に突き当たります。ここを右折して200m強進んだ「内田橋1丁目」交差点を左折し,350mほど道なりに進むと,右手に紀左衛門神社があります。寛政6年(1794年)に紀左衛門新田の開発が完了した際,開発を行った熱田の土豪加藤紀左衛門の功績をたたえて創建されたといいます。元は神明社といいましたが昭和34年(1959年)に現在の名前に改称されました。なお,新田はのちに徳川家の所有となったといいます。境内には白龍社があり,役行者像や庚申塚の碑があります。役行者像は聖観音菩薩像とともに長三郎新田の堤防上にあったもので,白龍が住んだという行者さんの松という大松の根元の祠にあり,庚申塚の碑は青峰観音とともに長三郎新田の排水路に設けられたといいます。昭和20年(1945年)の戦災で被害を受け,その後新幹線の開通に伴って昭和37年(1962年)に現在地に移されました。また,紀左衛門新田の青峰観音も伊勢湾台風で被害を受け,道路整備にともなって昭和38年(1963年)に現在地に移されました。

若宮八幡社
豊2-26-13





 東に戻って,次の信号を右折し,250mほど進むと,「紀左ヱ門通」交差点に着きます。ここを左折して東海通を東へ300m強進み,名鉄常滑線の線路をくぐった先を左折し,続いて右折すると少し先の国道247号線に突き当たる手前に若宮八幡社があります。安政3年(1856年)に創建されたといい,境内には明治37年(1904年)建立という氷室長冬開墾地の碑があります。氷室新田は同年に名古屋末広町(現,中区)の若宮八幡社の神官氷室長冬が旧山崎川跡に開発した新田で,川跡で砂が多く水田化は困難を極め,40年間無年貢の時期が続いたといいます。碑の裏面には開拓に協力した10人の名前が刻まれています。



 先の国道247号線を右折し,先の「氷室」交差点で国道を東側へ渡ります。さらに100m南下すると左手に豊徳寺(真宗大谷派)があります。

道徳稲荷社
豊田1-20-21



 豊徳寺から300m弱進んだ「道徳駅前」交差点の先に道徳稲荷社があります。この付近の道徳前新田が文政4年(1821年)に完成した際に,村の守護神として創建されたといいます。境内には海運安全を願って祀られた観音像を移して作られた青峰山の観音堂があります。

道徳公園
道徳新町5



 道徳稲荷社の前の歩道橋を渡り,「道徳駅前」交差点を左折して西に進みます。50m強進むと,名鉄常滑線の道徳駅があります。



 線路の高架をくぐってさらに100m強進みます。この付近は道徳銀座と呼ばれる商店街になっています。





 商店街を進むとやがて左手に道徳公園が見えてきます。南区内で最も古い公園で,昭和6年(1931年)頃から公園として開放され,昭和16年(1941年)にはボート池や鯨池などが整備されました。鯨池のクジラは開園当初からある貴重なもので,名古屋市の認定地域建造物に指定されています。昭和初期には,現在の道徳小学校と大江中学校付近に映画の撮影所が作られ,その後,現在の道徳銀座のお店も立ち並び名古屋でも有数の繁華街となっていました。



 公園内には鷲尾善吉翁の頌徳碑があります。この付近の道徳前新田は,寛政4年(1792年)に海西郡塩田村(現在の愛西市)の豪農の鷲尾善吉が着工して,文政4年(1821年)に完成しました。面積は125町(約124ヘクタール)に及び,南区に残っている新田では最大の大きさを誇ります。その後,風水害などで堤防が決壊したため,尾張藩御小納戸が管理するようになり,御小納戸の新田とも呼ばれました。碑の裏には開発当初に移住したとみられる42名の名前があり,開発当時から大正期までの新田の歴史が刻まれています。道徳の名前は,徳川家の家訓の「道義を以て徳を施す」が由来といいます。





 公園を南に抜けてコミュニティ道路の文政のみちを南下していきます。先の「道徳小学校南」交差点を右折して約50m進むと右手に山神社があります。昭和5年(1930年)に地元有志が建てた神社で,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で被害を受け,昭和38年(1963年)に再建されました。参道の敷石は市電でかつて使われていたといいます。

東昌寺
観音町2-14





 そのまま200m強進んだ2つ目の信号を左折し,さらに300m進んだ5つ目の交差点を右折すると,少し先に東昌寺(曹洞宗)があります。かつて,この付近には道徳観音山という人工の山があり,伊勢湾を望む風景の良い場所として賑わい,プールやスケートリンク,泉楽園という旅館も設けられたといいます。山の山頂と中腹に観音像が置かれたことから,観音山と呼ばれました。その後,昭和39年(1964年)に運営していた名古屋桟橋倉庫が解散したため,山は取り壊されて宅地となり,現在は当時の面影はありません。その時の観音像の1つが東昌寺に祀られており,道徳観音として親しまれています。

ゴール:市バス・泉楽通4丁目バス停





 直進してバス通に出て,左折して200m弱進むと,泉楽公園があります。この公園の近くにある市バスの泉楽通4丁目バス停がゴールになります。終点のバス停で,栄21系統が地下鉄伝馬町,金山を経由して栄まで運転されており,昼間は30分間隔で運転されています。さらに金山19系統が金山まで1時間に1本程度運転されています。

写真使用数:27

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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