本文へスキップ

ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市緑区:扇川周辺コースOGIGAWA RIVER

2015年4月探訪。2016年5月16日作成

【コース】 距離:約10.9km
 緑区中心部の相原郷,扇川周辺,大清水,滝の水地区の名所と史跡をめぐります。住宅開発された中,昔を想像できるスポットもあります。

市バス・緑市民病院バス停〜相原観音堂〜浄蓮寺〜(相原郷)諏訪社〜扇川緑道〜八ツ尾八幡社〜大清水おヒジリ様〜水広公園〜報恩寺〜平手神明社〜篭山神社〜滝ノ水緑地〜融傳の泉の碑〜滝の水公園〜市バス・滝の水公園バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:市バス(名鉄バス)・緑市民病院バス停



 スタートは緑市民病院のバス停です。地下鉄桜通線の鳴子北駅から幹鳴子1,鳴子13,鳴子14,鳴子15系統など1時間に6本程度運転されているので,これが一番便利です。所要は約10分です。鳴海駅から新瑞12系統および名鉄バスの便もあり,こちらは1時間に2〜4本程度です。こちらも所要は10分程度です。

相原観音堂と観音山弘法堂
潮見が丘2



 緑市民病院バス停のところの「潮見が丘」交差点から東へ200m強進んだ左手に相原観音堂があります。創建は不詳ですが,相原郷の集落の西側高台に当たるこの位置に古くからまつられていたといい,かつては弥陀堂と称していたといい,嘉永5年(1852年)に改装されたという記録もあります。明治9年(1876年)に無住廃寺法によって浄蓮寺に移され,その後昭和50年(1975年)に老朽化により門横に移転されましたが,平成20年(2008年)に町内会によって本来あったこの場所に堂が新築され移されました。境内には天保12年(1841年)の銘のある手水鉢があります。観音堂の北には弘法大師をまつった弘法堂が設けられています。



 観音堂のところの筋を左折して北に100mほど進んだ2つ目の交差点を右折して100mほど進むと左手に後山墓地があります。ここには道しるべの地蔵があり「左なるみ道」「右みや道」と刻まれています。この南の早稲屋の三叉路付近にあったといい,かつての鎌倉海道の道しるべといいます。

浄蓮寺
相原郷1-302





 後山墓地から200m弱進んだ5本目の筋を右折すると,すぐに浄蓮寺(真宗大谷派)があります。相原山と号し,天正3年(1575年)に今川義元の家臣であった慶念が主君の霊を弔うために相原村に草庵を結んだのが始まりといい,それ以前は東海道の中島橋(鳴海東コースにて訪問)にあって光泉坊と称しました。当初は高田派であったといいますが,文久2年(1862年)に真宗大谷派となり,現在の寺号に改めたといいます。本尊は行基作と伝わる阿弥陀如来で,境内には元弘法堂にあったという千手観音の石仏があります。

(相原郷)諏訪社
相原郷1-1706







 右折する前に戻って,そのまま道なりに東に進んで,そのまま道なりに右折し,広い道に突き当たったら左折して,先の「相原郷」交差点を越えて先に進んだ左手に(相原郷)諏訪社の入り口があります。創建は不詳ですが,元々は相原郷の氏神として神ノ倉の熊野社が鎮座していましたが,のちに戦いの神として信仰の厚い諏訪上社の祭神建御名方神(たてみなかたのかみ)を勧請したといいます。そのため,熊野社は神ノ倉の奥地へ移転しました。境内には山神社など多数の神社が鎮座しています。相原村は元々鎌倉海道沿いに古くから開けた鳴海村の中の集落で,慶長13年(1608年)に独立しました。鳴海絞の本場であることから名前の元となった藍の原の地名がついたともいいます。



 さらに100mほど進んだ左手には相原郷の庚申堂があります。手水鉢に観音堂と同じ「天保12年(1841年)」の銘がありますが,創建は20世紀初頭と伝わっています。



 その先の筋を左折し,約150m進んだ3本目の筋を右折して100mほど進んだ左手には緑スポーツセンターがあります。平成4年(1992年)に竣工した各種競技大会ができる総合スポーツ施設で,トレーニングジムや温水プールもあります。ウォーキングのガイドブックも販売されており,この地域の探索の拠点となります。

石神堂公園
相原郷2





 緑スポーツセンターのところの交差点を右折し,150mほど進んで県道に突き当たったら左手の横断歩道を渡って右折します。そのまま250mほど西に進んで,「相原郷」交差点の1つ手前の筋を左折すると,約100m先の右手に石神堂公園があります。この地域を開拓したであろう頃の農民を表した「豊穣の里」の碑が設けられています。





 その先,扇川に突き当たったら左折して,川沿いの緑道を進んでいきます。この扇川沿いの道は桜の名所としても知られ,四季折々の表情も見せて楽しくウォーキングすることができます。扇川は上流の神ノ倉にある熊野社の祭礼で落とした扇の美しさにちなんで名づけられたといい,緑区の中心部を流れて大高川と合流し,その後天白川と合流して名古屋港に注ぐ2級河川です。



 扇川沿いを約600m,名古屋第二環状自動車道をくぐって進むと,右手に砂田橋があります。元は少し下流にあって,上流には水車小屋なども設けられており,川が蛇行していましたが,改修工事が行われ昭和53年(1978年)に現在の橋が設けられました。



 この付近の白土道(県道36号)と鎌倉海道の分岐に道しるべの地蔵があったといいますが,現在は北の鴻仏目交差点に2代目の地蔵が置かれているといいます。

八ツ尾八幡社
八つ松1





 右折して砂田橋を渡り,すぐに左折してさらに2本目の筋を右折し,約250m先の3本目の筋を左折します。さらに100m先の信号を渡って,その次の筋を左折し,さらに次の筋を右折して100m弱進むと正面に八ツ尾八幡社があります。元は蔵王堂といい,鎌倉海道の古跡で旅の守護神である蔵王をまつったものといい,その後八つ松と尾崎山という2つの地名から現在の名前になったといいます。かつては広大な鎮守の森があったそうですが,現在は開発されて参道の周りわずかだけになりました。かつては鎌倉海道沿いに松が植えられており,義経甲懸松があったとの言い伝えもあります。



 神社の奥には八ツ松西公園が整備され,眺望を楽しむことができます。

大清水のおヒジリ様
大清水5-1316付近



 八ツ松西公園の奥から出て右手に100m進み,突当りを左折して400mほど進んで,突当りを右折し,続いて左折します。この道は昔の鎌倉海道に当たり豊明市の二村山に続きます。この道は現在,緑区と豊明市の境になっており,右手には中京競馬場の障壁があります。



 約350m進んだ右手に駐車場が見えたところで左折し,続く分岐を左に進むと,次の突当りの手前右手に大清水のおヒジリ様があります。かつては鎌倉海道沿いにあった聖観音菩薩の石像で,天保7年(1836年)の銘があります。古道を利用する旅人が安全を願って建立したと考えられていますが,現在は交通量が多くなり現在地に移されました。





 おヒジリ様のところを右折し,続いて道になりに左折し,突当りを右折します。その先の突当りを左折して500m弱進むと,右手に水広公園の入り口があります。雑木林なども残る市民の公園で,緑区では大高緑地や新海池公園に次ぐ広さを誇る公園です。公園の中央には面積2.5万平方メートルに及ぶ水広下池があり,扇川に注いでいます。この水広下池は宝暦6年(1756年)に南区の柴田新田が開発された際にため池として計画され,その後寛政4年(1792年)に完成したといいます。

報恩寺
平手南1-902



 水広公園の入り口から300mほど進んだ「大清水小北」交差点を右折し,400mほど進んだ扇川を渡って2本目の筋を右折し,道なりに左折した先の突当りを右折し,続く筋を右折すると報恩寺(真宗高田派)があります。江戸時代には平手の阿弥陀堂といい尼僧が守っていたといい,天保の頃には寺子屋が設けられました。明治期には鳴海万福寺の平手説教所となりました。その後地元の人々によって昭和61年(1986年)に往時の寺子屋の雰囲気を残す形で報恩寺として設けられました。境内にはかつて平手の交差点に設けられた「東白土,西モロノキ」と刻まれています。

平手神明社
平手南1



 右折する前に戻り,さらに戻って分岐を今度は右に進み,次の筋を左折して100mほど進むと右手に平手神明社があります。この付近は承応2年(1653年)に開発され鳴海村から独立した平手新田であり,その氏神として勧請されました。昭和62年(1987年)に本殿と拝殿が造営され,境内には「平手新田造営奉賛碑」「平手の町と神社の由来碑」があります。



 東に戻って次の筋を左折し,続く県道を右折して約200mの「平手」交差点を左折します。さらにその先の筋を右折し,続く分岐を右折して上り坂を少し進むと左手に清兵衛先生顕彰碑と忠魂碑があります。東の鳴海東部中学校で30年に渡って学童教育に情熱を傾けた江戸期の庄屋の孫六代清兵衛をしのんで,昭和2年(1927年)に教え子たちが建立したものです。







 顕彰碑の先の突当りを左折し,その先の突当りを左折して400m進んだ突当りを左折します。その先篭山神社の案内に従って,右右左右左と進むと右手に篭山神社があります。幕末にこの地が開墾された際に設けられた山神社がその起源で,昭和55年(1980年)に土地の寄進を受けて現在の社殿が設けられました。平手北部,池ノ水の土地区画整理事業の竣工記念碑が境内にあります。

滝ノ水緑地
滝ノ水2





 篭山神社の右側の筋を進んで突当りを右折し,約100m進んだ「小坂一」交差点を左折して,200mほど進んだ「滝ノ水緑地南」交差点を越えて緑地を越えた先の筋を右折して100mほど進むと滝ノ水緑地の入り口があります。平成3年(1991年)に開園し,かつての里山が残されてできた緑地で,雑木林や小規模な湿地が残されて木道の散策路でめぐることができます。シラタマホシクサなど,絶滅危惧種にもなっている貴重な植物も自生します。昭和38年(1963年)にこの地区が名古屋市に合併しその後住宅開発が急速に進む前は,このような里山が広がっていたといいます。滝の水という地名は,この付近に小さな2段滝があったためと言われています。



 滝ノ水緑地の入り口から進んで道なりに右に曲がって約50m先の筋を左折し,続く筋を右折して300m弱,神沢三丁目のバス停の信号を渡って進むと右手に神沢南公園があり,公園内には融傳の泉の碑があります。融傳は祐福寺(現,東郷町)の和尚が熱田神宮に参詣するためにこの付近を通った際,のどが渇いたためにこの付近で杖を地面にたたくとたちまち清水があふれ,道行く人々にも大変喜ばれたという伝説が残っています。元々この碑は享保13年(1728年)にその遺徳をしのんで設けられたものだそうですが,風化して文字が判読できなくなってしまったので,平成15年(2003年)に新しく台座を設けて立て直されたものです。この地域の開発前は融傳にまつわる史跡がいくつか存在したようですが,今は失われてしまいました。

滝の水公園
篠の風3



 神沢三丁目のバス停のところに戻り,さらに西へ400m強進むと,右手に滝の水公園への階段があります。なお途中には税務大学校名古屋研修所があります。









 滝の水公園は人工的な高台の上に設けられた公園で,360度の眺望を楽しむことができ,夜景や初日の出の名所としても知られています。昭和6年(1931年)から昭和26年(1951年)まで,この地には名古屋薬学専門学校がありました。公園の西隅にはその碑も建てられており,現在の名古屋市立大学薬学部の前身となっています。その後,空き地となっていたこの場所には昭和34年(1959年)の伊勢湾台風の際に出た大量のがれきが積み上げられ,その上に土がかぶせられて平成元年(1989年)に現在のような眺望のよい公園として整備されました。今でも公園にはゴミのガス抜き管が設けられて公園の成り立ちを物語っています。

ゴール:市バス・滝の水公園バス停

 公園の南東側の「滝の水公園南」交差点の方に下ると,ゴールの滝の水公園のバス停があります。鳴子12および鳴子14系統が地下鉄鳴子北駅まで運行されていて,1時間に各1本程度,所要は10〜15分です。他に地下鉄相生山,徳重駅や大高駅に向かう便もありますが,本数は各1時間に1本程度。時刻はあらかじめ調べておいた方がいいでしょう。


写真使用数:37

←前:有松・桶狭間コース / 名古屋市緑区 / 次:徳重コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
□は@に代えてください。

*このページは個人作成のページです。ページに関する内容を,管理者以外に問い合わせないでください。
*個人利用を超える利用をされる場合は,事前にご連絡をお願いいたします。
*永続的なサイト運営・更新を目指してバナー広告が挿入されています。ご理解とご協力をお願いいたします。



































【バナー広告】
<HP作成関連>










<旅行関連>



<お役立ち情報>