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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市名東区:一社・上社コースISSHA-KAMIYASHIRO

2015年3月探訪。2015年5月19日作成
2018年2月16日再構成・地図掲載

【コース】 距離:約9.3km
 一社駅から一社・上社地区の社寺・公園と猪高緑地の自然をめぐります。新しい住宅街をめぐり,名東区の風を一番感じられるコースといえます。

地下鉄・一社駅〜西一社中央公園〜貴船神社(一社)〜神蔵寺(一色城址)〜一社公園〜明徳寺(下社城址)〜貴船社(貴船)〜猪高緑地(緑地内周遊)〜上社公園〜観音寺〜名東区役所〜日吉神社〜猪高村役場跡〜地下鉄・上社駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄東山線・一社駅



 今回のスタートは地下鉄東山線の一社駅になります。地下鉄東山線の藤が丘行に乗車して,栄駅から約17分,名古屋駅から約22分で来ることができます。東山線は電車の本数も多く,日中は4〜5分ごとに運転されており便利です。バスターミナルのある一社駅の2番出口から出てスタートしましょう。駅のところには,昭和44年(1969年)に一社〜藤が丘が開通した際の,東山線の開通工事の様子を解説した銘板が設けられています。まだまだ未開発だった当時と比較すると,現在の発展ぶりは目を見張るものがあります。

貴船神社(一社)
一社3-14



 一社駅から南下して,バスターミナルの先の交差点を左折して東へ進みます。道なりに200mほど進んだ右手に西一社中央公園があります。広い敷地を持った公園で,名東区の住環境の良さをうかがうことができます。





 そのまま250mほど進んで西一社中央公園を越えた先の2本目の一方通行の筋を左折し,さらに2本目の筋を右折すると,左手に貴船神社があります。名東区出身の柴田勝家が,賤ヶ岳の戦いで敗れて北ノ庄城(福井市)で最期を迎えるに当たり,郷土を懐かしんで一振りの刀を一色,上社,下社の総代に渡したといい,その形見を3村の中心に祀って氏神としてまつっていたといいます。文化3年(1806年)頃に3カ所に分祀してこの神社が設けられたといいます。雨の神様をまつっているといい,かつて農耕が盛んだったこの地域は水に困ることが多く,雨の神が盛んにまつられてため池なども設けられたといいます。秋祭には五穀豊穣を祈って「馬の塔(オマント)」が奉納され,棒の手なども奉納されていたといいます。境内には西一社土地区画整理事業の完了記念碑があります。

神蔵寺
一社3-11





 貴船神社の東に隣接して神蔵寺(曹洞宗)があります。龍華山と号し,15世紀末に9代将軍足利義尚の家臣であった柴田勝重によって一色城の内部に創建されたといいます。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際に一色城とともに戦火にあったため,御器所龍興寺(現,昭和区)の空巌和尚が再興し,正徳3年(1713年)には龍興寺の末寺となって龍興山神蔵寺と称したといいます。享保19年(1734年)に現在地に移転し,明治6年(1873年)には客殿を建立して,龍華山と現在の山号に改めました。平成12年(2000年)には創立500周年を記念して堂宇の補修が行われたといい,その際の碑も設けられています。境内は山門前の区の指定保存樹という数本のクロマツがあり,厳かな雰囲気になっています。また薬師堂が設けられ,東海49薬師霊場の第27番札所に指定されています。本尊の石仏は弘法大師作と伝わって33年ごとの開帳といい,区内一の大きさという等身大の薬師如来木像もあるといいます。境内の東側にはかつて一色城という城があったといいます。この城は今川氏などの三河地方の勢力に備えるために尾張守護職の斯波氏の命令で,柴田勝重が築城したといい,小牧長久手の戦いの際に豊臣方の先鋒隊によって落城したといわれています。

一社公園
亀の井3



 神蔵寺から南方向に伸びる道を南へ500mほど進みます。途中には名東小学校もあり,コミュニティ道路になっています。





 名東小学校を越えた先の交差点を左折し,下り坂を約200m進むと左手に一社公園があります。テニスコートや広場,遊具などを備えた機能的な公園で,区民の憩いの場になっています。公園の先に進むと植田川を越える貴船橋があり,周辺は桜並木になっており,季節にはカモも見られるなど自然を感じられる場所になっています。

明徳寺
陸前町1310



 植田川を渡る貴船橋を越えて東へ100mほど進み,国道302号線に突き当たったら歩道橋を渡って国道を越え,その先を右折して南下し,続く筋を左折して進みます。ここから明徳寺に上っていく坂道は,通称勝家坂と呼ばれています。







 勝家坂を上った先の左手には明徳寺(真宗高田派)の入り口があります。正暾山と号し,明徳2年(1391年)に明見寺として創建されたといい,慶長元年(1596年)に明徳寺と改めて高田派に改宗したと伝わっています。山門前には下社城址と柴田勝家公生誕地の石碑が建てられています。戦国時代の武将として有名で,織田信長の重臣として活躍して天下統一事業に大きな役割を果たしたことで知られる柴田勝家は,享禄3年(1530年)にこの地にあった下社城で生まれたと伝わっています。下社城は柴田勝家が北ノ庄城(福井市)に移った際に廃城となりましたが,古城のなごりの古井戸や勝家手植えの松が残されていたといいます。階段を上がった先にある本堂は1860年頃に建立されたという古い建物になっています。本尊は阿弥陀如来で,勝家像や勝家に関する文献など,柴田勝家ゆかりの寺院として寺宝を多く所有しているといいます。



 高台にあるため,ここから眺める名東区の景色も見事で,寺の見所の一つといえそうです。



 本堂左には十王堂があり,中には昔病気がはやった際に設けられたと伝わり,中には十王像[市民俗]がまつられています。元々現在地の北西にあったものが,戦争で堂が爆破され,中の仏像が無事だったことから像を明徳寺内に移設して再建したといいます。いわゆる地蔵信仰の1つで,毎年8月24日にはお祭が行われて賑わうといいます。



 明徳寺からさらに東へ200mほど進み,貴船小学校に突き当たったら左折して150mほど進んだ2つ目の交差点を右折します。50mほど進んだ右手の墓地には浄泉安立の墓塔があります。かつての明徳寺があった旧地と伝わっています。

貴船社(貴船)
貴船2-1901



 浄泉安立の墓塔のところから50mほど進んだ左手に貴船社があります。昔,武内宿彌がこの地の荒れた田野を見て,水神を祀るように白羽の矢を一本授けられて設けた神社といい,当初は矢白神社と呼ばれました。この付近は「やしろ村」と呼ばれ,現在でも一社,上社,高社など「社」がつく地名が多いのはそれが由来しているといいます。慶長年間(1595〜)に神社が暴風雨で倒壊しますが,明徳寺の僧義春が村人を説いて現在地に祠を建てたのが現在の貴船社のはじまりといいます。毎年体育の日に体育の日に例祭があり,鷹羽検藤流棒の手[市民俗]と、かつて馬の塔に使用された豪華な大鳥毛馬標及び馬道具[市民俗]が披露されます。昭和53年(1978年)には境内を一新したといいます。

猪高緑地
猪高町足廻間







 貴船社から100mほど東に進み,2つ目の交差点を右折して200m進んだ「貴船3」交差点を左折します。400mほど進んだ「障碍者スポーツセンター」交差点を直進すると,やがて猪高緑地の入り口があります。面積は66haに及ぶ広大な緑地で,市街地化によって失われいる貴重な雑木林が残されています。鳥の鳴き声を感じながら緑地内を散策することができ,市民の憩いの場になっています。



 緑地ではいくつかの散策コースが設けられていますが,まずは進んだ先を右手に進んで南側に向かいましょう。道なりに南方向に進んでいくと,やがて名東スポーツセンターのところに突き当たります。



 そのまま太い散策路を進んでいくと,花木園があり,さらに進んでいった先にはミニスポーツ広場と遊具広場があります。







 ここから左手の尾根筋を辿るコースに上っていくと,木々の間を通る散策路になっており,展望デッキもあって眺望も楽しめる縦断コースになっています。





 さらに進んで勢子坊の竹林を抜け,井堀分岐を右に進んでいくと,井堀の大クスがあります。さらに進んでいくと井堀上池,井堀下池というため池が続きます。





 その先には井堀の棚田と広場が広がります。ここを左に進んでハンノキ湿地を抜け,さらに北口広場のところを左折してシダレザクラの里を進んでいきます。





 その先には左手に塚の杁池があり,その先には森の集会所があります。このように緑地をぐるっとめぐると約4kmほどの行程になり,十分に自然を楽しむことができます。



 森の集会所から先に進んで,猪高緑地の北西側の出口から出たところには名東生涯学習センターがあります。センター内の集会所では様々な講座やイベントが行われます。



 名東生涯学習センターの先の筋を右折して200m強進んだ右手には名古屋市高年大学の鯱城学園の楽陶館があります。鯱城大学は60歳以上の高齢者が新たに教養を身に着けるために設けられた教育施設で,この楽陶館では作陶などに関する講座が行われています。市民が参加できる公開講座も行われるといいます。

上社公園
上社5





 楽陶館から100mほど先の2つ目の交差点を左折し.「社が丘3」交差点を越えた次の筋を右折して,続く筋を左折して100mほど進むと大きな時計塔がシンボルとなっている上社公園があります。きれいに整えられた並木や広い広場,コミュニティセンターなどが設けられ,区民がゆっくりと過ごせる場所になっています。公園北側にはいこいの園があり,名東区身体障がい者福祉街づくり推進事業の一環として作られたという庭園で,四季折々の花などを楽しむことができるといいます。

観音寺
上社3-1601





 上社公園の北西側の出口から出て,そのまま道なりに200mほど進み,突当りを左折して続く筋を右折すると,右側に観音寺(臨済宗妙心寺派)があります。萬松山と号し,言い伝えによると養老年間(717〜24)に行基が十一面観音を彫刻して創建されたという古刹で,当初は萬松山円福寺と称したといいます。その後,再建を繰り返しますが,寛文7年(1667年)に上社の地頭であった小瀬新右衛門による再建の際に萬松山観音寺と称したといいます。本堂前には区の保存樹となっているクロガネモチがあり,大きなアクセントがあり秋には紅葉の名所としても知られます。本堂横には建久2年(1191年)に設けられたという観音堂があり,秘仏の寄木の十一面観音がまつられています。名古屋城東観音21番札所になっているといい,17年ごとに御開帳が行われるといいます。山門下石段の左側には石仏の馬頭観音がまつられ,これはかつて上社にいた岩や木を運ぶ馬方が建てたものと伝わっています。観音寺の南には上社城があったと伝わります。別名前山城とも呼ばれ,城主の俗名は加藤勘三郎と伝わっているといいます。



 観音寺から出てそのまま右に曲がって北上し,道なりに進んで続くT字路を左折すると「本郷西」交差点があります。交差点を直進して東山線の高架をくぐって少し進んだ右手に名東区役所があります。名東区のマップなどが必要な場合は手に入れることができます。

日吉神社
上社2-45-1 [公式HP(外部リンク→)]





 名東区役所の道路をはさんだ西側には日吉神社があります。創建は不詳ですが,古く寛永17年(1640年)の棟札が存在し,それ以前からの鎮座という古社です。古くから上社地区の氏神として篤い崇敬を受け,江戸時代は山王権現と呼ばれていました。明治42年(1909年)に日吉社と,昭和40年(1965年)には本殿などが改築されて日吉神社と改められました。地域からは「日吉山王さん」と呼ばれて親しまれ,農業や商売の神様である大己貴神など3柱がまつられています。また,江戸末期以降上社周辺にあった神社が合祀されたといいます。

猪高村役場跡
上社3-1601



 日吉神社の南西側の出口から出て,西に150mほど進むと「上社駅東」交差点に至ります。ここを右折して上り坂を200m強進むと,猪高村役場跡があります。猪高村は明治39年(1906年)に高社村と猪子石村が合併して成立し,現在の名東区の区域の大部分を村域とし,大正3年(1914年)にこの地に村役場が設けられました。昭和30年(1955年)に名古屋市と合併すると,役場は千種区の猪高支所が設けられました。昭和50年(1975年)に名東区が千種区から分区して誕生しました。付近には名東区40周年記念で設けられた銘板がありますが,その変貌ぶりには驚くばかりです。

ゴール:地下鉄東山線・上社駅



 「上社駅東」交差点まで戻り,右折して西に進むと左手にゴールの地下鉄東山線の上社駅があります。バスターミナルが入ったビルには名東文化小劇場もあり,文化の交流施設となっています。栄駅まで東山線で約19分,名古屋駅まで約24分で行くことができます。本数も昼間は4〜5分運転されており,非常に便利です。

写真使用数:43

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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