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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

名古屋市千種区:古井・丸山コースKOI / MARUYAMA

2015年3月探訪。2015年4月17日作成
2016年10月5日再構成

【コース】 距離:約7.0km
 区南西部の千種駅,今池駅,池下駅の南側の地域をめぐります。旧古井村,丸山村にあった社寺・史跡をめぐり,昔ながらの信仰を感じます。

地下鉄/JR・千種駅〜高牟神社〜光正院〜光専寺〜芳珠寺〜今池地蔵〜(吹上)八幡社〜吹上観音〜中小企業振興会館(吹上ホール)〜法応寺〜塩付街道の馬頭観音〜光明寺〜松林寺〜丸山神明社〜一畑山薬師寺〜地下鉄・池下駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:地下鉄 / JR ・千種駅



  今回のスタートは,千種駅です。地下鉄東山線とJR中央線が利用できます。名古屋駅からは,JRを利用しても地下鉄を利用しても9分で到着しますので,利用しやすい方を使ってください。千種駅は駅の西側が中区と東区,駅の東側が千種区になり,今回は駅の東側をめぐっていきます。JRの地上口から出て左手に進んだ,地下鉄の4番出口を出て進んでいきます。

高牟神社
今池1-4-18



 4番出口を出て先の信号を右折した先の「千種駅前」の交差点で広小路通りを渡って左折し,約50m東に進んだ次の筋を右折すると,約100m先の左手に高牟神社があります。成務天皇時代(131〜192年頃)の創建と伝わる古社で,平安時代の延喜式神名帳にも記載がある式内社です。古代,この付近には尾張物部氏の武器庫や農機具庫があったことから武器の意味である「高牟」と呼ばれるようになったといいます。祭神は高天原の神である高皇産霊神(たかみむすびのかみ),神皇産霊神(かんみむすびのかみ)で,清和天皇の貞観7年(865年)頃に誉田別命(応神天皇)が合祀されたため,八幡宮とも呼ばれ,地名から古井の八幡とも呼ばれました。応神天皇の神像が船に乗った姿であることから船出八幡の異名があります。嘉吉元年(1441年)以降,社殿が修復された記録があり,特に天和3年(1683年)には尾張藩主徳川光友が社殿を造営し,城南鎮護の神として厚く崇敬したといいます。現在の社殿は戦災で焼失し,その後再建されたものです。





 境内には,この付近の古井村の名前の由来になったともいわれる井戸と,元古井伝説地の碑があります。古くはこの付近は常世の草香島と呼び,各所から清泉が湧き出る井戸があり,応神天皇が誕生した際にこの霊水を献上したと伝わります。また,この高牟神社の古井戸は,「恋」とかけて恋愛スポットとして定着しており,千種区内の城山天満宮,北区の山田天満宮との3社で「恋の三社めぐり」が行われ,若い女性を中心に人気があるようです。

光正院
今池1-5-26



 高牟神社の東側の出口から出て,そのまま直進方向に100m弱進むと左手に光正院(曹洞宗)があります。玉龍山と号し,尾張志によると永正10年(1513年)に創建され,安永9年(1780年)に現在地に移されたといい,釈迦仏が本尊として安置されています。院内には弁慶が手堀りしたと伝わる井戸が残されているといい,その清水で主君義経の武運を祈願し,大般若経50巻を書写したと伝えています。





 光正院からさらに約50m進み次の交差点を右折し,さらに100mほど進むと左手に今池公園があります。公園東に郷土偉人塔が建てられています。



 今池公園の先の交差点を右折して50mほど西に進むと善久寺(曹洞宗)があります。住龍山と号し,天正19年(1591年)の創建といい,11月26日の秋葉堂火祭りは賑わいをみせます。境内には,明治時代の小作争議の指導者である小塚鉞助(えつすけ)の碑が建っているといいます。

光専寺
今池2-10-15 [公式HP(外部リンク)→]



 善久寺から50mほど進んだ信号を左折し,約150m進んだ「今池中学西」の交差点を右折します。曲がって約50m先の右手に光専寺(真宗大谷派)があります。宝林山と号し,「尾張志」によると文禄2年(1593年)に加藤清正の弟の祐正により創建したということで,この付近に多くの信徒を持つ寺院だったということです。近世には知多郡大野(現,常滑市)の光明寺の末寺だったといいますが,戦災にて本堂などが焼失し,古い記録が失われたために詳しいことはわからないといいます。

芳珠寺
今池2-16-13





 光専寺から150m強進んだ2つ目の交差点を左に曲がると,すぐに右手に芳珠寺(臨済宗妙心寺派)があります。金龍山と号し,創建は不詳ですが,本尊の木彫りの延命地蔵菩薩は小野篁(たかむら)(仁寿2年(852年)没)の作と伝わり,この当時から存在していたとも考えられ,当初は法相宗の大寺だったといいます。その後,天和2年(1682年)(慶長年中という説もある)に曹洞宗として再興され宝珠寺と称し,延享3年(1746年)に臨済宗に改宗して,翌年に現在の寺号となりました。本尊の地蔵菩薩はその後の水災,文政4年(1821年)の火災,太平洋戦争の戦災に寺が焼失した際も無事で,尾張六地蔵の1つに数えられています。

今池地蔵
今池3-20



 「今池中学西」の交差点まで戻り,南に進んで,次の今池中学の前の左に入る筋に進むと100m弱先の交差点のところ右手に今池地蔵があります。かつてこの付近には「今池」の地名の由来になった馬池があり,その池で溺れた人の菩提をとむらうために明治時代に建立されたものです。馬池は東西180m,南北100mにおよび,かつては名古屋宿に出す馬の洗い場になっていました。開発の際に埋め立てられて現在は今池中学校になっています。



 今池地蔵のところを右に進み,さらに次の交差点を右に進みます。ここから約150m,広い通りを越えて進んだ突き当りを左へ進み,ここから約650m道なりに進みます。途中の国道153号線は飯田街道と呼ばれ,正式には岡崎街道といい徳川家康が開かせた道で,平針を経由して長野県方面,岡崎方面に通じていました。この進んでいる道は愛知郡道と呼ばれたものの一つで,この付近から昭和区などを通り南区の呼続まで通じていたそうです。

吹上八幡社
千種2-18-14



 愛知郡道を進んだ先のところに吹上八幡社があります。安政5年(1858年)に御器所に勧請され,応神天皇を祭神とします。明治19年(1886年)に現在地に移転されました。正式には八幡社ですが,この付近の地名をとって吹上八幡社とも呼ばれています。



 八幡社から約50m進んだ先の「吹上ランプ北」および「吹上ランプ南」の交差点で,広い若宮大通を渡ります。渡った先を右に曲がって若宮大通を進み,次の筋を左に入るとすぐに右手にコンクリート作りの吹上観音の建物が見えます。石造りの千手観音像で,今の昭和区南山地区を支配していた名古屋新田頭の小塚家の屋敷に立っていたと言われ,文政4年(1821年)作の銘が刻まれています。

名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール)
吹上2-6-3 [公式HP(外部リンク)→]



 「吹上ランプ南」の交差点に戻り,そのまま若宮大通の南側を東に300m弱進むと,名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール)があります。現在の建物は昭和58年(1983年)に竣工した黒川紀章による設計の特徴ある建物で,3つの大きなホールと展示場や複数の集会施設を備え,市内の中小企業経営者に対して相談を行う「中小企業振興センター」もあります。名古屋では就職関連のイベントがよく行われることで知られています。トイレや休憩所もありますので,ウォーキングの際の中継地ともなります。



 名古屋市中小企業振興会館に隣接して,吹上公園があります。交通量の多い若宮大通に隣接していますが,噴水もあって都会のオアシスになっています。公園の南側は昭和区になっており,昭和スポーツセンターがあります。



 吹上公園の先の「吹上公園」交差点で横断歩道を渡り左折します。さらに「吹上公園北」の交差点から国道153号線に入ったすぐの右の筋に入り,約200m進んだところに中道公園があります。大勢の子どもで賑わうことの多い公園です。



 中道公園の手前の交差点を右に曲がり,約100m進むと,環状線との「千種通5」交差点のところに千種文化小劇場があります。蔦のからまった外観と中の円形ホールが印象的で,地域の様々な団体が公演を行っています。

法応寺
青柳町6-25



 千種文化小劇場から先の横断歩道を渡って約150m進み,斜めに通っている道を200m強進むと「青柳町6」の交差点で若宮大通に再び合流します。ここから若宮大通を約50m東に進むと,左手に法応寺(西山浄土宗)があります。林光山と号し,天正15年(1589年)に清洲の朝日に僧空郭により建立され,慶長年間(1610年頃)に清洲越で名古屋南寺町(現在の白川公園付近)に移転しました。府下36地蔵の第14番として一般市民からの信仰が厚かったといいますが,戦災にあって現在地に移転しました。境内には江戸期の伊賀出身の俳人で芭蕉に学んだ月空庵露川(享保3年(1743年)没)の句碑があります。「丸屋こそよけれ四角な冬ごもり」の句が刻まれ.門下の白梵庵馬州により延享元年(1744年)に建立されたもので,最初は大須の七寺に建てられたといいます。



 法応寺の先の「春岡通6」の交差点を左に曲がり,さらに300m弱進むと「春岡二丁目」の交差点があり,その南西角に法蔵寺(浄土宗)があります。万徳山と号し,天正10年(1582年)創建といいます。

塩付街道の馬頭観音
春岡2-25



 「春岡二丁目」の交差点を右折し,次の交差点ですれちがう道が塩付街道になります。塩付街道は星崎(南区)付近でとれた塩を内陸に運ぶために使われた道で,室町時代から江戸時代にかけて盛んに用いられたといいます。街道の道中安全を願って街道沿いにお地蔵さんや馬頭観音が設けられたといい,交差点を北に少し進んだところに区内に残された馬頭観音が安置されています。この南の昭和区や瑞穂区にもお地蔵さまなどが残り,旧街道の雰囲気を感じさせる場所があります。



 塩付街道から戻って,東に250mほど進むと右手に南明公園があります。静かな住宅街の中の公園です。

光明寺
南明町2-5





 南明公園の手前の道を右に曲がり,200m弱進むと,左手に光明寺(真宗大谷派)があります。境内には名古屋城築城のときの勘定方役人であった鈴木安太夫重政の碑があります。当時,松や杉の林であったこの地から,築城のための用材を切り出し,跡地を田畑として開墾したといいます。村人たちはその偉業をたたえて,開墾された地を安田と名づけ,安田塚と呼ばれる塚を設けました。その丘に設けられた碑が昭和20年代に寺に移されたといいます。

松林寺 
南明町1-43



 光明寺から北に戻り,最初の交差点を右折して東に進み,約100m進んだ3つ目の筋を左に曲がり,さらに100m弱進んだ次の交差点を右折すると,すぐに松林寺(曹洞宗)があります。萬祈山と号し,室町時代の元亀2年(1571年)に創建され,旧丸山村唯一の寺として人々から信仰を受けました。本堂は嘉永6年(1853年)の創建という区内で最古の木造建築物となっています。本尊は薬師瑠璃光如来で,両側に日光,月光菩薩,他に毘沙門天がまつってあるといいます。寺の裏には釜ヶ巣と呼ばれ,元は鋳物師が住んでいた場所と伝わっています。

丸山神明社
丸山町1-38





 松林寺から右折する手前に戻って,さらに北上して約300m,「丸山」交差点で横断歩道を渡って進んでいくと,左手に丸山神明社が見えてきます。16世紀後半の創建(承久3年(1221年)以前の建立とも)と伝わり,祭神は天照大神でこの付近の旧丸山村の村社として人々から篤い信仰を受けてきました。丸山村は古井村の出郷として人口を増やした村と考えられています。入口左手には天保5年(1834年)の銘がある「村中安全」と刻まれた秋葉山常夜灯があり,区内では数少ないものとなっています。境内には旗が立ち並び,多くの人から慕われている様子が伝わります。毎月末尾に1と6がつく日には野菜市が開かれ,買い物客でも賑わいます。戦勝祈願の神様がまつられていることでも知られ,サッカーの名古屋グランパスの関係者が参拝に訪れることでも知られています。

一畑山薬師寺(名古屋別院)
春岡1-30-9



 丸山神明社を北側から出て左折し,約350m進みます。天理教教会のある下り坂の先の春岡小学校の手前の交差点を右に進み,約50m進むと左手に一畑山薬師寺(臨済宗妙心寺派)があります。本寺は岡崎市藤川にあり,ここはその名古屋別院となります。総本山は島根県の一畑山で,活発なイベントも行われています。



 「丸山神社西」の交差点まで戻り,左に曲がって250mほど坂道を北上していくと広小路通に出てきます。ここを右に曲がったところには千種区役所がありますので,千種区の地図や史跡散策のガイドが必要な場合は,立ち寄るといいでしょう。

ゴール:地下鉄・池下駅



 千種区役所の前の歩道橋で広小路通を渡ると,駅直結のサンクレア池下などの近代的な建物が並び,千種区の中心街の一つとなっています。サンクレア池下の地下にある地下鉄東山線の池下駅がゴールになります。東山線を利用して,栄駅まで7分,名古屋駅まで12分の所要時間です。

写真使用数:32

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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