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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県東海市:横須賀コースYOKOSUKA

2018年7月探訪。2018年8月7日作成

【コース】 距離:約8.4km
 市南西部の横須賀町,高横須賀町をめぐります。尾張藩主徳川光友が通った横須賀御殿から山車の町横須賀の史跡と,周辺の遺跡などを巡ります。

≪コース≫ 名鉄・尾張横須賀駅〜横須賀御殿の碑〜愛宕神社〜元浜公園〜大教院〜坂角総本舗〜玉林寺〜小玉塚〜安楽寺〜玉泉寺〜妙乗院〜熱田神社〜柳ケ坪遺跡〜中ノ池公園〜岩屋口古墳〜今川塚〜諏訪神社〜商い史料館〜名鉄・尾張横須賀駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄常滑線・尾張横須賀駅



 スタート駅は名鉄常滑線の尾張横須賀駅です。特急も停車する主要駅で,名鉄名古屋駅から特急で約17分,準急では約24分で来ることができます。本数は特急・準急ともに30分に1本程度の運転です。尾張横須賀駅は平成4年(1992年)に高架化され,平成17年(2005年)に全特急が停車するようになりました。駅の西側に出てスタートしましょう。





 駅西口から出た右手にはショッピングセンターのマックスワールドがあります。地元の昔ながらの商店が並びます。ウォーキングの前の準備にも活用しましょう。

東海市立文化センター
横須賀町狐塚11 [公式HP(外部リンク→)]



 尾張横須賀駅から線路を右手に150mほど北上すると左手に尾張横須賀まつりの本町組山車蔵があります。中の本町組山車[市民俗]は文政9年(1826年)ころの建造といい,遊んでいる唐子が甕に落ちたのを別の唐子が助けるために甕を割るというからくり人形を持つといいます。水引幕には鶯地に松上の鶴が描かれているといいます。





 本町組山車蔵の北側に隣接して東海市立文化センターがあります。各種の展示会や講演会,市民講座などが行われる生涯学習施設になります。

本川樋門跡
高横須賀町横狐塚25



 東海市立文化センターから北方向に200mほど進んで,線路に突き当たる手前の交差点を左手前方向に進みます。50m強先の公家緑道に突き当たったところに本川樋門跡があります。明治43年(1910年)に天宝新田が完成したのに合わせてできた水門で,公家川の水と伊勢湾の海水が合流するこの地点に潮止めと水害防止のために設けられたものといいます。現在は入り江を埋め立てて公家緑道として整備されましたが,往時の門の石がここに残されており,往時を物語っています。



 本川樋門跡の北東の道路に出た分岐点のところには三楠八幡神社が祀られています。

横須賀御殿の碑
高横須賀町御亭





 本川樋門跡から公家緑道を西に進み,先の歩道橋を渡ります。歩道橋を渡って右手に横須賀御殿の碑があります。江戸時代以前はこの付近は馬走瀬(まはぜ)という海辺の集落でしたが,寛文6年(1669年)に尾張2代藩主の徳川光友がこの地に臨江亭(通称,横須賀御殿)と呼ばれる別荘を建て,それに伴って町並みも碁盤の目に整えられ,延宝3年(1675年)には横須賀と町の名前が改められ,近隣の商業や物流の中心となって発展したといいます。光友公は風光明媚なこの地を大変気に入り,時には潮湯治(海水浴)を楽しんだといいます。また,隣接する遺跡からは藩主がお庭焼を楽しんだ名残という葵紋が記された陶磁器片や窯で使用するという道具が見つかっているといいます。横須賀御殿は光友公が亡くなったのちの正徳5年(1715年)に取り壊されてしまいましたが,天明5年(1785年)には新しく代官所が設けられ,知多半島西部の行政の中心として発展したといいます。この横須賀御殿の碑は,かつて御殿があったことを伝えていくために明治28年(1895年)に設けられたものといいます。

愛宕神社
横須賀町四ノ割23-1







 横須賀御殿の碑から緑道を西に進んで,続く筋を左折して100m弱進み,次の十字路を左に入ったところに愛宕神社があります。元和7年(1621年)ころ地元の坂甚右衛門が,京都愛宕神社の霊によって妻の病が癒えたことにより愛宕神社の霊を勧請して創建したといいます。元々は現在の玉林寺の南の元宮付近にあったといい,横須賀の産土神として厚い信仰を受け尾張藩主の徳川光友にも参拝されたといいます。寛保3年(1742年)に現在地に移されたといい,境内には古くからの石造物や境内社が立ち並び,横須賀の町の繁栄ぶりを今に伝えています。境内には延徳2年(1490年)に足利義政の家臣である白羽監物が愛し,この下で琴を弾いたという琴弾松の2代目があります。元々は南の大教院にあったものが伊勢湾台風で倒れたので,拝殿には俳人村瀬大阜直筆の板額などが掲げられているといいます。平成25年(2013年)に本殿や拝殿などが改築され,拝殿天井に藤井康夫氏による雲龍図が寄進されたといいます。毎年第4日曜日とその前日に行われる尾張横須賀まつり[公式HP(外部リンク→)]はここ愛宕神社の例祭です。その起源は尾張藩主徳川光友が横須賀御殿で過ごした際,住民たちが殿様を慰めるために始まったものといいます。当初は傘鉾まつりで,住民たちが傘鉾を持って街を練り歩いたり,傘を屋台に乗せて引き回したりするまつりだったといいます。その後,寛政年間(1789〜)以降に名古屋の町で行われていた山車まつりに感銘を受けて名古屋型の山車が登場し,現在の4組5台の山車による山車まつりとなりました。見どころは5トンもある山車を勢いよく回転される「どんでん」で各組が名誉と威信をかけて奮闘するといいます。



 愛宕神社の南西には尾張横須賀まつりの北町組山車蔵があります。中の北町組山車[市民俗]は文化5年(1808年)の建造といい,からくりは唐子2体が台を回すと,台の上の唐子が太鼓をたたいたり鐘をならしたりするといい,水引幕には竜虎・亀・鳳凰・麒麟が描かれているといいます。

東海市民体育館
高横須賀町桝形1-1 [公式HP(外部リンク→)]



 公家緑道に戻って,さらに西へ進むと右手に東海市立勤労センター[公式HP(外部リンク→)]があります。会議室や研修室などがあり,各種の市民講座などが行われています。





 その先の右手には東海市民体育館があります。アリーナやトレーニングジムなどの体育施設が整っています。毎年1月第4土日に行われる東海フラワーショウの会場になっており,東海市で生産が盛んな洋ランなどの観葉植物の展示会,即売会などが行われます。東海市独自の洋ランも開発されており,実に多彩な品種を見ることができるといいます。体育館の前には,尾張横須賀まつりをイメージしたからくり時計も設けられています。

元浜公園
元浜町64-2







 東海市民体育館から西側の地下道をくぐった先には元浜公園があります。「海」をテーマとした公園といい,大きな芝生広場や公園内を流れる小川,バラ園などが特徴的な公園です。屋外ステージが設けられてコンサートなどのイベントも行われるほか,毎月第4日曜日にはフリーマーケットも行われ,11月には秋まつりの会場にもなります。ウォーキングの休憩地点としても利用しましょう。この元浜公園は,北側の天宝新田ができる前までは浜辺だったといいますが,周辺は埋め立てられて今はまったくおもかげはありません。



 元浜公園の駐車場の南側から出て100m弱進んだ次の筋を左折すると源光寺(西山浄土宗)があります。常蓮寺(大田町)の末寺といい,昭和30年代までは横須賀の中心にあって源光庵と称したといいます。

大教院
横須賀町三ノ割29 [公式HP(外部リンク→)]



 源光寺の先の十字路を右折して50m強進み,次の広い筋に突き当たったら右手の横断歩道を渡って,戻って直進方向に進むと次の十字路の右手に公通組圓通山車蔵があります。中の圓通組山車[市民俗]は寛政年間(1789〜1801)の建造といい,唐子人形が大人人形に矢を渡して射るからくりが設けられています。長らく修理不能で見ることができませんでしたが,平成12年(2000年)に復元されました。



 圓通組山車蔵からさらに南下して,続く筋を左に進んだところに八公組山車蔵があります。中の八公組山車[市民俗]は同じく寛政年間の建造といい,人形は唐子が大人の肩にとまって宙返りし,大人の持っている太鼓をお囃子に合わせてたたくもので,水引幕は金糸で縫いつぶした上に吉祥模様が散在する西陣織といいます。なお,現在は圓通組と八公組が合併して公通組となったため,圓通組と八公組は山車が交代で2年ごとに祭礼に引き出されます。



 八公組山車蔵から先の筋を右折してすぐ右手に大教院(日蓮宗)があります。薬王山と号し,市内で唯一の日蓮宗寺院です。延徳2年(1490年)に足利義政の家臣の白羽監物が,主君の死ののちに全国行脚を行っていましたが,この地にあったという琴弾松が目にとまったため草庵を結んでこの地にとどまったといいます。その後天台宗の寺院となりましたが明治の廃仏毀釈で廃寺となりました。その後,明治21年(1888年)に日蓮宗の堂宇として再建され,昭和21年(1946年)に現在の寺号として再建されたといいます。かつてあったという琴弾松は伊勢湾台風で倒れたため,2代目の松が現在は愛宕神社にあります。

坂角総本舗 本店
横須賀町三ノ割61 [公式HP(外部リンク→)]



 八公組山車蔵に戻って,西方向に少し進んだところにゆかりのせんべいで知られる坂角総本舗本店があります。寛文6年(1666年)に尾張藩主光友が横須賀御殿に滞在した際,漁師たちがえびのすり身をあぶり焼にして「えびはんぺい」として献上したのが始まりといいます。明治22年(1889年)に創業者の坂角次郎がこれを改良してえびせんべいを考案して販売を開始し,昭和41年(1966年)にゆかりせんべいと命名されてこの地区を代表する名物となりました。



 坂角総本舗本店からそのまま南西方向へ200mほど進み,玉林寺の駐車場があるところの突き当りを右に進んだ先には尾張横須賀まつりの大門組山車蔵があります。大門組山車[市民俗]は寛政年間の建造といい,人形は扇と神楽鈴を持って舞う三番叟という人形で,からくりで囃子に合わせて朱塗りの社に変わるというもので,4人がかりで30本の糸で操作するといいます。水引幕は紺地に鳳凰が描かれています。

玉林寺
横須賀町ニノ割93





 大門組山車蔵から駐車場のところに戻って右折して道なりに進むと,左手に玉林寺(曹洞宗)があります。海岸山と号し,創建時期は元亀・天正年間(1570〜90頃)と考えられており,普済寺(加木屋町)4世の休安存宿和尚の開山といいます。古くは多宝山玉林斎と称しましたが,昭和27年(1952年)に現在の名前に改められたといいます。天明2年(1783年)には儒学者の細井平洲による講和が行われ,7700人もの聴衆が集まったといいます。境内には十六羅漢や風神・雷神,観音像などの石造物が並び歴史を感じさせます。延享2年(1745年)生まれでここ横須賀出身の俳人・村瀬大阜と,その従弟で横須賀の豪商両口屋の当主でもあった俳人・村瀬帯梅の碑があります。また,この時期に活躍した力士君浜の碑もあるといいます。



 玉林寺の南に隣接したところに愛宕神社の元宮があります。ここは寛保3年(1743年)まで愛宕神社があった場所です。ここには坂広雄の歌碑も設けられています。坂広雄は天保11年(1841年)に横須賀で生まれて神官をつとめ,書や歌をたしなんだといいます。この碑は彼の死後に建てられたもので,書は小さいときに彼に教わり宮内省の御歌所で活躍した阪正臣によるといいます。和歌は「ちりやすき山吹の花一枝を折らばつぼみのほとに折らまし」「なかなかにみあかぬものは山松のめずらしげなきいろにぞありける」の2首が刻まれています。

小玉塚
養父町南堀畑37-2付近



 玉林寺の先のT字路を右折して道なりに南方向に200mほど進み,広い筋を越えた次のT字路を左折すると,少し先の左手に小玉塚があります。平治の乱(1159年)で敗れた源義朝が尾張国野間(美浜町)に逃れた際,義朝を慕っていた小玉姫は2人の子供の手を引いて知多にやってきました。しかし小玉姫は,この地にやってきたところで義朝が長田忠致の裏切りにあって殺されてしまったことを知り,2人の子供を残して自殺してしまいます。村の人々はあわれに思い,小玉姫の塚を築いて供養したといいます。現在の建物は昭和35年(1960年)の再建で,毎年4月25日には小玉姫祭りが行われているといいます。

安楽寺
養父町南堀畑4-1





 小玉塚から50m強進んで国道155号線に突き当たったら右折して少し進むと右手に安楽寺(天台宗)があります。仙養山と号し,安和年間(968〜70)の創建と伝わる古刹で,往時は36坊の本院として栄えたといいます。しかし天正年間(1573〜92)に織田方の兵火にかかって焼失したため,円秀により再興されたといいます。本尊は大日如来で,大日堂は正徳5年(1715年)に再建されたといいますが,現在は鉄骨コンクリート造りとなりました。毎年3月末には「大日さん」と呼ばれる縁日が行われ,露店が連なって多くの人でに賑わうといいます。

玉泉寺
養父町浅間前62





 安楽寺のすぐ先に玉泉寺(天台宗)があります。安和年間(968〜70)に安楽寺の一院として建立されたといいます。安楽寺と同じく戦国時代に織田方の兵火にかかって焼失しますが,天正年間(1573〜92)に円秀により再興されたといいます。本尊は地蔵菩薩で伝教大師の作と伝わり,別堂にある十一面観音は別名子安観音と呼ばれ白桜の霊木で弘法大師が彫刻したといい,子供の無病息災にご利益があると有名といいます。

妙乗院
養父町里中51-1 [公式HP(外部リンク→)]





 玉泉寺から少し進んだ道路の反対側に妙乗院(天台宗)があります。仙養山と号し,安和年中に安楽寺の一坊として創建されたといい,安楽寺や玉泉寺とともに戦国時代に織田方の兵火によって焼失しますが,円秀により再建されたといいます。その際に本尊が焼失したので,釈迦御堂から釈迦如来を遷座して本尊にしたと伝わります。境内には冬に花を咲かせるという珍しい四季桜や,願いを1つだけかなえるという珍しい笑い顔のほほえみ観音などがあります。また江戸時代に書かれたたたみ3畳に及ぶ涅槃図や円空仏,豊臣秀吉公の出世守り本尊という三面大黒天など多くの寺宝があり,特別公開時に見ることができるといいます。寺の住職はメディアなどにも多数出演し,本も執筆するなど著名といいます。

熱田神社
養父町宮山19





 妙乗院の先の分岐を左に進んで続く筋を左折し,100mほど進んで名鉄の高架をくぐり,さらに100mほど進んだ突き当りを左折し,200mほど進んで広い筋を左手の横断歩道で越えた先に熱田神社があります。創建は不詳ですが,嘉吉元年(1441年)の文書にこの地が熱田神宮の社領であったことが記され,その際に熱田から分祀されたと考えられています。慶長5年(1600年)に戦火に遭いますが再興されたといい,明治初年に熱田大明神から熱田神社に改称されたといいます。
 この北西には城之内という地名があり,そこには薮城があったと伝わっています。戦国時代に花井惣五郎によって築かれたといい,織田信長によって滅ぼされたといいます。かつては惣五郎が葬られたという惣五郎塚があり,小さな弓矢を供えると病気が治ると信じられていたといいます。

柳ケ坪遺跡
高横須賀町柳ケ坪



 熱田神社から南方向へ300mほど進み,「野崎橋」交差点を越えて100m強進んだ2本目の筋を左折すると,少し先の右手に柳ケ坪遺跡[市史跡]の案内板があります。知多半島を代表する弥生時代の遺跡で,紀元前1世紀頃の弥生時代中期からこの付近で稲作が始まったといい,知多半島でもかなり早い時期といいます。弥生時代中期から後期の土器や石器などが発見されており,昭和44年(1969年)の調査ではほぼ完全な形の人骨も見つかっているといいます。これは中世のもので若い女性のものといい,この時期も貝塚も見つかっているといいます。

中ノ池公園
中ノ池6-1-1





 柳ケ坪遺跡から100mほど進んだ突き当りを右折し,100mほど進んだ2本目の筋を左折した先には中ノ池公園があります。中ノ池の周囲に設けられた公園で,芝生広場や動物の模型がある動物広場などがあります。池を1周するウォーキングコースも設けられており,ゆっくりと散策するのもよいです。中ノ池を左に見ながらゆっくりとウォーキングコースを進んでいきましょう。

岩屋口史跡公園
高横須賀町岩屋口







 中ノ池公園の北東側から出て右手に進み,200mほど進んだ3本目の筋を左折して名鉄の線路を越えます。線路を越えた先を左折して線路沿いに300mほど進むと岩屋口史跡公園があります。6世紀末に築かれたという岩屋口古墳[市史跡]を中心に整備された史跡公園です。現在残る大きさでも長さ8.4m,幅1.7m,高さ2mに及ぶ知多半島で最大の石室を持つといい,養老山系から揖斐川などを利用して運ばれた河津石が使われていることから,西知多の広い範囲を支配したと考えられる豪族の墓と考えられています。西方向の整備された田園地帯を見下ろす立地で,眺望も楽しめます。



 岩屋口史跡公園の北側から出て線路沿いまで進み,そのまま線路沿いを400mほど進むと名鉄河和線の高横須賀駅があります。普通列車のみの停車ですが,1時間に2〜4本ほどあり,ウォーキングの中継地点としても利用できます。

今川塚
高横須賀町戌亥屋敷47付近



 高横須賀駅から線路沿いに北に進んで次の筋を左折し,200mほど進んだ3本目のT字路を右折すると100m弱先に今川塚があります。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで敗れた今川義元の墓と伝わる塚で,義元の家来がここまで逃げてきて殿さまの遺体を,この南にあったという永昌院というお寺に葬ったと伝えられています。「今川義基墳」と刻まれた碑がありますが,義元と刻まれていないのは敵に見つかるのを防ぐためと言い伝えられています。江戸時代の絵地図にも記された古いものといいます。

諏訪神社
高横須賀町北屋敷







 今川塚の先を左折して,続く先を右折した先に諏訪神社があります。創建は不詳ですが承応3年(1654年)の棟札があるといいます。延宝8年(1680年)に戸部村(名古屋市南区)から境内に天王社が勧請されたといい,尾張藩主光友により社殿が建立されて寄進を受けたといいます。かつては山車があって奉納されたといいますが,明治時代に売却・解体されたといいます。拝殿に向かって左に万葉の歌碑[市名勝]があります。高さ80cm,厚さ32cmの花こう岩製で,文化15年(1818年)に近くに住んでいた吉田定興により建立されたといい,万葉の歌碑として県内でも最古級のものといいます。碑には「年魚市(あゆち)潟塩干にけらし知多乃浦に朝こぐ舟も奥によるみゆ」と刻まれ,愛知県の名前の由来となった「あゆち潟」について詠まれています。あゆち潟はかつて名古屋市南区から東海市にかけて広がっていた入江でしたが,現在は埋め立てられてまったく面影はなくなりました。境内には山神社,秋葉社,津島社,香良洲社のほかに末広稲荷社などが祀られ,信仰を感じられる空間になっています。他にも祭礼の際に獅子頭を納めて担ぐ獅子屋形[市民俗]があるといいます。特徴的な意匠で尾張地方でも古い様相を示したものといい,名古屋の彫刻士瀬川治助重定の銘があって外側から彫刻士の名前がわかるのも貴重といいます。



 諏訪神社から西側の筋に出て南に東光寺(曹洞宗)があります。医王山と号し,長源寺(高横須賀町)の末寺で永禄年間(1558〜70)の開山といい,当初は東光庵と呼ばれたといいます。



 諏訪神社の西側には横須賀小学校があり,南側の校門脇の庭には久野襦鶴(じゅけい)(1848〜1932)の句碑があります。久野襦鶴は加木屋町出身で,家業の質屋経営の傍らで俳句にいそしみ,明治時代に楓園襦鶴の名前で活躍したといいます。「皆励めここぞ学びの苗代田」の学びを奨励する句が刻まれています。

温故知新処 商い史料館
高横須賀町浅間5-1



 横須賀小学校の入口のところのT字路から南に進み,続く筋を右折して少し進むと左手に温故知新処 商い史料館があります。横須賀の地で明治20年(1887年)創業から続く老舗で,桶屋から始まってコンビニ・スーパーマーケットの先駆者となったという西丸屋の史料館です。明治から昭和にかけてお店に保管されていた商品や広告などが並び,当時の生活が垣間見える施設といいます。中にはほかにはない貴重な史料もあるといいます。見学の際は予約が必要となりますので問い合わせるといいでしょう。

ゴール:名鉄河和線・尾張横須賀駅



 商い史料館から100m強進んで,線路沿いに出たところで左折します。ここからしばらく緑道をぬけて進んでいきます。



 緑道を進んで200mほど線路沿いに進むと,ゴールの尾張横須賀駅の西口が見えてきます。名鉄常滑線を利用して,名鉄名古屋駅まで特急で約17分,準急で約24分です。本数はそれぞれの種別が30分に1本程度です。

写真使用数:54

←前:太田川コース / 愛知県東海市 / 次:加木屋コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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