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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県東海市:太田川コースOTAGAWA

2018年7月探訪。2018年7月28日作成

【コース】 距離:約9.0km
 市中心部の太田川駅周辺をめぐります。遺跡や昔ながらの古刹から大田まつりの山車蔵,そして新しくなった駅周辺の町並みをめぐっていきます。

≪コース≫ 名鉄・太田川駅〜可家の湊跡〜大田公園〜浜新田遺跡〜松崎遺跡公園〜大宮神社〜王塚古墳跡〜弥勒寺〜ダイニチ食品おふくろ庵〜熊野神社〜天尾神社〜太光寺〜観福寺〜長源寺〜毘沙門寺〜常蓮寺〜龍雲院〜名鉄・太田川駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄常滑線・太田川駅



 スタートとなる名鉄常滑線・太田川駅は東海市の中心駅で特急なども止まる主要駅です。名鉄名古屋駅から特急・急行で約17分,金山駅から約13分で行くことができアクセスは便利です。
 太田川駅は明治45年(1912年)に愛知電気鉄道が伝馬町〜大野町間を開業させた際に大田川駅として開業しました。昭和6年(1934年)頃に現在の駅名になり,このときに現在の河和線に当たる知多鉄道との接続駅になりました。長らく地上駅でしたが,平成23年(2011年)に3層の立派な高架駅となり,駅前も整備されて新しい施設も次々とオープンし近代的なたたずまいに生まれ変わりました。



 太田川駅の東口を出て左手に進んだところには東海市観光物産プラザ[公式HP(外部リンク→)]があります。東海市を含めた知多半島の市町村の観光の振興を図るために設けられた施設で,知多半島の物産の販売所やカフェ・休憩所などが設けられています。観光パンフレットも手に入りますので,東海市の散策の際には訪れて情報を手に入れるといいでしょう。

ラスパ太田川
大田町下浜田102-1 [公式HP(外部リンク→)]



 太田川駅の西口から出て右側にラスパ太田川があります。ピアゴ太田川店を中心に専門店街などで構成されたミニモール型のショッピングセンターで,平成27年(2015年)に開業しました。ラスパとはフランス語のRaffine(洗練された),Sourire(微笑),Parc(公園・広場)の頭文字から取られ,笑顔の人が集まる特別な場所を意味するといいます。南館・北館と駅高架下の駅館の3棟からなり,北館にピアゴが,南館にはそれ以外の専門店街が入り,駅館には主に飲食店が入っています。ラスパ太田川の南側には駅前広場があり,土日を中心にイベントも行われ,模擬店が出店するなど賑わうといいます。





 太田川駅西の駅前広場の南側にはユウナル東海があります。住宅や商業施設が一体となった16階建てのビルで平成27年(2015年)に竣工しました。1階から4階までは商業施設があり,ラスパ太田川から続く商業圏を形成しています。また1000人以上の収容人数を備えるという大ホールを備えた東海市芸術劇場があります。6階より上はマンションになっています。ユウナルの名前は一般公募から決められ,「ユウ」は細井平洲が米澤藩主の上杉鷹山に送ったという「勇なるかな」からとられたといい,「ナル」は上杉鷹山が子の顕孝に送ったという「なせばなるなさねばならぬ何ごとも ならぬは人のなさぬなりけり」という言葉から取られたといい,何事もやればできるから勇気をもって新しい文化に挑戦するという思いが込められているといいます。

可家の湊跡(御洲浜の池)
高横須賀町御洲浜19付近



 ユウナル東海から線路沿いを南に進み,道路に突き当たったら左手のスクランブル交差点を渡って,さらに線路の右側の筋を南下します。100mほど先の2本目の筋を右折すると,少し先に可家の湊跡の案内板があります。万葉集巻14に「味鴨の可家の湊に入る潮のこてたづくもか入りて寝まくも」(味鴨のいる可家の湊に入る潮のように,おまえの床に入って寝たいものだ)と詠まれた可家の湊は,今の東海市荒尾町から高横須賀町にかけて広がっていた入り江という説があります。案内板のところにある池は御洲浜の池と呼ばれ,この入江の名残と考えられています。また,尾張藩2代藩主の徳川光友が横須賀御殿を建設した際に設けた庭園である御洲浜の中心の池になっていたといいます。今はすぐそばの高架には電車が行き交い,当時のおもかげはまったくありませんが,昔の湊の姿を想像するのも楽しいでしょう。

大田公園
大田町川南新田



 可家の湊跡の案内板から手前のT字路を北上し,突当りを左折して道なりに100mほど進み,国道247号線のところに出ます。ここを右折して続く信号を越えて100mほど進むと歩道橋があります。この歩道橋を渡ると,西側の大田公園と日本福祉大学のキャンパスまで整備された遊歩道が続いています。



 ここから歩道橋を渡って遊歩道を150mほど進むと大田公園があります。バラやツツジ,ハナミズキなどの花の名所として知られ,市民の憩いの場になっています。その奥には平成27年(2015年)に開設された日本福祉大学の東海キャンパスがあり,通学時間帯などを中心に多くの学生で賑わいます。



 大田公園の南側から出て右折し,「川南新田」交差点を越えた左奥には知多メディアスネットワーク[公式HP(外部リンク→)]の建物があります。この地域を拠点としているケーブルテレビで,予約すればアナウンサー体験やラジオのDJ体験などを楽しめるといいます。

浜新田遺跡
大田町浜新田





 「川南新田」交差点から県道を北へ700mほど進んだ「浜新田」交差点を左折します。この付近は江戸時代以降に干拓された新田地帯で,現在も田園地帯が広がっています。この交差点付近は寛永3年(1750年)に当時の大里村(現,大田町)が設けた浜新田といいます。平成4年(1992年)にこの付近の土地改良事業に伴う発掘調査が行われ,新田の排水を行う圦が発見されました。一部壊れていましたが,海側の石の戸が潮の満ち引きによって自動的に開閉する仕組みになっていたり,石と石の隙間にしっくい状のものを詰めて水を漏れにくくしていたりなど,当時の土木技術を知るうえで貴重な遺構になっていることから,浜新田遺跡[市史跡]として市の文化財に指定されています。現在は埋め戻されており,遺跡の面影はありません。

松崎遺跡公園
大田町松崎





 「浜新田」交差点から東方向に400mほど進んだ名鉄の高架下をくぐった先の左手に松崎遺跡公園があります。ここにある松崎遺跡[市史跡]は古墳時代後期から平安時代にかけて塩づくりが行われていた,いわゆる製塩遺跡です。昭和51年(1976年)の東海市の発掘調査で製塩施設の遺構と多数の土器が出土し,知多半島有数の製塩遺跡として注目されました。昭和63年(1988年)からの愛知県の発掘調査では奈良から平安時代にかけて数十回に及び塩づくりが行われた跡や製塩土器などが発見され,また約600年間にも及ぶ各時代の貝塚が発見され,貝類や土器,人骨などの生活の跡が発見されました。土器などの出土量や期間の長さなどから,知多半島の古代の塩づくりの中心的存在であったと考えられています。現在は遺跡が公園として整備され,出土した土器などの案内板も設けられ,古代の生活をしのぶことができます。

大宮神社
大田町上浜田138





 松崎遺跡公園から東へ100mほど進んだ2本目の筋を右折し,300m弱進んで川に突き当たったら左折します。さらに50mほど進むと左手に大宮神社があります。大田町の氏神として人々から慕われている神社で,創建は不詳ですが,かつては熱田神宮の分霊として大宮明神と称したといいます。明治元年(1868年)に西にあった尾張2代藩主徳川光友が創建したと伝わる神明社を合祀し,明治7年(1874年)に日本武尊社と改めたといいます。明治42年(1909年)に大田町東畑にあったという八剣神社が合祀され,同45年に大宮神社に改められたといいます。



 境内には神社のシンボルである樹齢1000年ともいわれる大樟[市天然]があります。高さは12m,枝張りは20m以上に及ぶ大樹で,中は空洞になっており,「楠王大竜神」が祀られています。この大樟は神社の創建よりもずっと古いといい,嵐の際にこのクスノキにすがりついて助かったという伝説があるそうです。毎年10月第1日曜日とその前日に行われる大田まつりはこの大宮神社の例祭です。かつてこの付近が大里村と呼ばれたころまで歴史はさかのぼり,無病息災・五穀豊穣を願って傘鉾が奉納されたのが由来といいます。祭りでは里・市場・黒口・荒古の4台の山車が紙吹雪をまき散らしながら回転する「どんでん」やからくり人形の演技が見ものといい,東海市を代表すると山車祭りとして大いに賑わいます。



 神社の境内にはこのうち荒古組山車[市民俗]の山車蔵があります。山車は天明2年(1782年)の建造といい,バラ模様の織物の水引き幕を持ち,2体の唐子人形が蓮台を回すともう1体の人形がせりあがり,逆立ちをして鐘を鳴らすといいます。

王塚古墳跡
大田町寺下64付近



 大宮神社から川沿いを東へ250mほど進むと左手に王塚古墳跡があります。現在は祠が設けられている付近には,かつて直径15mほどの円墳があったといいますが,大正時代に県道が改修された際に破壊されたといいます。現在は王塚さんと呼ばれる祠が設けられており,土台に使われている石は古墳の横穴式石室に使われていたものといいます。古墳自体は6世紀に造られたものといい,須恵器や菅玉,直刀,金環などが副葬されていたといいます。

弥勒寺(知多四国83番)
大田町寺下4 [公式HP(外部リンク→)]







 王塚古墳跡から50mほど東へ進んだ左手の筋に入って道なりに進んだところに弥勒寺(真言宗智山派)があります。待暁山と号し,天平勝宝元年(749年)行基によって開基されたという古刹で,弘仁5年(814年)に一宇を建立したのが寺の始まりといいます。当時は一山六寺の伽藍を誇ったといいますが,関ケ原の戦いの直前に西軍に属した九鬼義隆の軍勢によって本尊の弥勒菩薩と仁王門を残して焼失しました。その後,元禄年間(1688〜1704)に尾張2代藩主の徳川光友の寄進によって再興されたといいます。秘仏で本尊の弥勒菩薩坐像[市文化]はケヤキの寄木造で室町時代の作といい,厨子に三つ葉葵の紋があることから光友にゆかりのある像といえます。境内中央の八角形の拝殿には「お塔さま」と呼ばれる宝篋印塔が祀られています。宝暦5年(1755年)に当寺11世の発願で建立され,現生利益祈願の供養塔として多くの参詣を受けているといいます。



 入口の仁王門には新旧の仁王像が立ち,古い方は平安時代末期作という金剛力士立像[市文化]です。元々運得寺(荒尾町)のもので応仁2年(1468年)に本寺に移されたといい,過去に2度の修理を受けているものの県内では貴重な平安時代の金剛力士像として貴重なものといいます。新しい方は平成20年(2008年)に入仏落慶されたもので,平成17年(2005年)の愛知万博の際に公開制作されたものといいます。

ダイニチ食品・おふくろ庵
富木島町東広52 [公式HP(外部リンク→)]



 弥勒寺から川沿いの道に戻って東に進み,「寺下」交差点を渡って右折し,続く川沿いの道を左折して,大田川を左に見ながら800mほど進みます。川沿いにウォーキングを楽しみながら進みましょう。



 川が分岐したらすぐの筋を右折して400m強進むと左手にダイニチ食品・おふくろ庵があります。漬物などの製造を行っているダイニチ食品の直売所で,漬物の販売のほかに知多半島の物産なども販売されています。特に東海市の名産であるフキを利用した漬物が知られています。東海市のフキの栽培は約150〜200年前にさかのぼるといい,大正時代から日本一の産地として知られたそうです。昭和40年代からビニールハウス栽培に移行し,安定して収穫できるようになったといいます。釜めしなどのグルメも味わえ,飲み物の自動販売機も設置されており,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。

熊野神社
加木屋町宮ノ脇43





 おふくろ庵から200mほど南下した「内堀南」交差点を右折し,国道155号線を西へ100mほど進み,続く筋を熊野神社の案内板にしたがって左折して150mほど進むと右手に熊野神社があります。永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで敗れた今川義元の家臣で,戦いの後に加木屋に移り住んだ久野清兵衛宗政による創建と伝えられていますが,慶長8年(1603年)の棟札などからそれ以前に創建され,木田村の分村として成立した新屋敷と氏神として祀られたとも考えられています。現在境内社として津島社,多賀社,香良州社,御嶽社,山神社が祀られ,歴史を感じる鎮守の木々にも囲まれ,神聖な雰囲気を感じさせる境内です。

天尾神社
大田町清水脇37



 熊野神社から西に進んで突当りを右折し,上り坂を進んで国道155号線を渡って進んでいきます。この付近からは西側の展望が開け,眺めを楽しみながら歩けます。





 熊野神社から600mほど進むと左手に天尾神社があります。景雲元年(704年)に祀られたと伝えられている古社で,尾張志によると尾張国本国帳に雨尾天神として記載されているといいます。寛文4年(1664年)に再興,元文5年(1745年)に移転したという記録もありますが,記録が少なく詳しいことはわからないといいます。
 この付近の木田の丘陵には室町時代後期にこの地の地頭職だったという荒尾氏が居城したという木田城があったといいます。荒尾氏の出生については,在原業平の末裔とする説,高階(たかしな)氏説,平氏説などがあるようですが,室町時代にはこの付近の重要な任務についていたといいます。その後は織田信長に仕えて今川義元に抵抗したといい,この付近での戦国大名の活動を伝えています。現在は個人の住宅になっているといいます。

太光寺
大田町上前田2





 天尾神社から道なりに200mほど進んだ突当りを右折し,続く分岐を右に入って200mほど進むと太光寺(曹洞宗)があります。永禄2年(1559年)の創建で長源寺(高横須賀町)の末寺といい,当初は太光庵と称したといいます。本尊の薬師如来坐像[市文化]はヒノキの寄木造で,鎌倉時代初期に運慶の長男である湛慶の作といいます。黒漆塗りですがかなりはげており,平安時代末期の面影も残る貴重なものといい,人々を病苦から救う薬師如来として信仰を受けているといいます。秘仏ではないため,いつでも参詣できるといいます。

観福寺(知多四国82番)
大田町天神下ノ上5



 太江寺から西に戻って,そのまま道なりにまっすぐ500mほど進むと観福寺(天台宗)があります。大宝2年(702年)に行基菩薩により開創されたという古刹で,常滑市の高讃寺,南知多町の岩屋寺と並んで「知多三山(三古刹)」に挙げられる由緒ある寺院といい,現在も数多くの文化財を有します。入口の山門前には江戸時代に知多四国霊場を開創した亮山和尚が植えたという紅白椿があります。



 山門をくぐって参道を進んだ先にある本堂[県文化]は前身のものが宝徳2年(1450年)に建築されたといいます。現在の本堂は,この寺をたびたび訪れたという尾張2代藩主徳川光友の帰依により寛文5年(1665年)再建されたものといい,減柱造と呼ばれる柱を少なくして空間を広くとる建築様式が用いられ,この時期に建てられた密教寺院の本堂を今に伝えるものとして重要といいます。本堂内陣にはこけら葺き,入母屋造1間四方の宮殿[国重文]があります。背面には宝治2年(1248年)の銘があり,鎌倉時代の特徴をよく残し,年代のわかる建造物として貴重といいます。かつては阿弥陀如来が祀られていたと考えられていますが,現在は平安時代作で簡素な一木造が特徴という本尊の木造十一面観音菩薩立像[県文化]が安置され,秘仏で17年に1度の開帳といいます。本尊厨子の両脇には毘沙門天立像と不動明王立像[ともに市文化]が安置されています。本堂脇には応仁元年(1467年)に大五郎によって奉納されたという青銅製の鰐口[市文化]があり,歴史を感じさせます。この他にも室町時代の仏教画など10点の市文化財の絵画を有します。





 本堂南には枝張り10m以上に及ぶつぶらしい[市天然]がそびえています。大きく2つの幹に分かれ,その間には大正時代に祀られたという大日如来の石像があります。元々は3つの幹があったそうですが,昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で1つの幹が倒れ,現在の姿になったといいます。

長源寺
高横須賀町山屋敷15







 観福寺から出て西へ100mほど進むと左手に長源寺(曹洞宗)があります。祥雲山と号し,延徳4年(1492年)に創建されたという古刹です。立派な門構えの山門は,薬医門で江戸時代初期のものと推定されています。山門につるされている梵鐘[市文化]は尾張2代藩主の徳川光友が鐘楼とともに寄進したものといい,第2次大戦の際の金属供出からも免れた貴重なものといいます。本尊は釈迦如来像で,行基作と伝わり開山のときから伝わっているものといいます。四国直伝弘法の86番札所になっており,国民的人気があったお年寄りで108歳まで生きられた蟹江ぎんさんの菩提寺として知られているといいます。

毘沙門寺
大田町的場78



 長源寺から出て西のT字路を右折して北上し,その先の分岐を右に進んで2本目の筋を左折します。なお,この付近は道路区画整理中のため,工事の状況によっては道が変わりますので注意しましょう。200mほど進んだ先には毘沙門寺(西山浄土宗)があります。貞享4年(1687年)に創建されたという尼寺です。本尊の毘沙門天立像[市文化]は平安時代中期〜後期の作品というヒノキの寄木造です。お寺を開いた素閑法師が京都の金蔵寺から伝承されたものと記録が残っており,豊かな顔立ちで威厳のある風貌をしているといいます。



 毘沙門寺から西に100mほどのところには大田まつりの市場組山車蔵があります。蔵の中の市場組山車[市民俗]では大唐子が舞って肩に逆立ちした小唐子が神楽鈴を持ち,囃子に合わせて打ち鳴らすといい,水引幕には5羽の鶴が舞う姿が配置されているといいます。

常蓮寺
大田町畑間175





 毘沙門寺から北東へ200mほど進んで大田児童館の先にある横断歩道を渡ります。さらに100mほど北上すると常蓮寺(西山浄土宗)があります。宝地山と号し,明応2年(1493年)に取空慶山によって開基と伝わります。寺宝に文久4年(1864年)に大阪の南岳山舎利寺から奉納されたと伝わる十六羅漢図[市文化]があります。十六羅漢図は阿弥陀経が説かれたときに集まった16人の弟子の羅漢を描いたもので,16幅の絵がそれぞれどの羅漢に当たるかは現代の研究でも特定は難しいといいますが,16幅がすべてそろった貴重な図といいます。ほかにも室町から江戸初期までの作という釈迦の入滅を現した涅槃図[市文化]も有し,人物や動物の描き方が特徴的で類例の少ない貴重なものといいます。江戸時代中期に本堂の再建と観音堂の建立の記録があるそうですが,現在の本堂は昭和62年(1987年)に再建されたもので,現在は周辺の再開発もあいまって境内が整備中です。四国直伝弘法の第87番札所に指定されており,参拝客は多いようです。



 常蓮寺の東に隣接して,大田まつりの里組山車蔵があります。中の里組山車[市民俗]は文化13年(1816年)に改造されたといい,唐子が前につるされた額に文字を書くという珍しいもので,水引幕には3匹の龍が配されています。





 常蓮寺からは西に向けて新しく整備された遊歩道を進んでいきます。100mほど進んで広い道を横断歩道で渡った先の左手には黒口組の山車蔵があります。中の黒口組山車[市民俗]は文政10年(1827年)の改造といい,小唐子が大唐子に肩車してもらいながら太鼓をたたき,さらに止まり木でブランコをするというもので,水引幕には桐の葉をはさんで鳳凰が左右に配置されています。

龍雲院
大田町蟹田105 [公式HP(外部リンク→)]





 黒口組山車蔵から南方向に進んで次の筋を右折すると,少し先の右手に龍雲院(曹洞宗)があります。玉應山と号し,大永6年(1526年)に大中一介による開基といい,長源寺の末寺といいますが天明年間(1781〜89)に火災にあって古い記録が焼失し,詳しいことはわからないといいます。現在の本堂は鉄筋造りの近代的なものになっています。境内には乳地蔵と呼ばれる地蔵菩薩があり,参詣すると乳が授かるとして厚い信仰を受けているといいます。室町時代初期の作といい,市内では最古の石仏といいます。四国直伝弘法の88番札所に指定されています。

ソラト太田川
大田町後田20-1 [公式HP(外部リンク→)]



 龍雲院の先の筋を右折し,続く遊歩道を左折すると左手にソラト太田川があります。平成23年(2011年)に開業した商業施設で,1・2階がスーパーのにぎわい市場マルスや飲食店などの店舗,3階が東海市の市民交流プラザになっており子育て支援などが行われています。風力発電やドライミストなど環境にも配慮した建物になっているといいます。

ゴール:名鉄常滑線・太田川駅



 ソラト太田川の西には大田川駅前の広場であるどんでん広場があります。どんでんとは大田まつりで大きな山車を皆で回す様子を表したもので,地元で愛着を持たれている言葉といいます。各種のイベントも行われます。その先にある太田川駅がゴールになります。名鉄の特急・急行を利用して金山駅まで約14分,名鉄名古屋駅まで約18分で行くことができます。一部の電車は3階のホームから発車しますので注意しましょう。

写真使用数:49

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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