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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県東海市:富木島コースFUKISHIMA

2018年7月探訪。2018年7月25日作成

【コース】 距離:約9.7km
 市中心部の市役所・大池公園で自然を楽しみ,荒尾町南部と富木島町の社寺をめぐります。在原業平ゆかりの史跡や知多四国霊場などを訪ねます。

≪コース≫ 知多バス・東海市役所南バス停〜東海市役所〜大池公園〜神昌寺〜荒太神社〜龍光寺〜清水寺〜正音寺〜業平塚〜貴船神社〜七社之社〜宝珠寺〜正法塚〜上野台公園〜玄猷寺〜(姫島)八幡社〜円福寺〜知多バス・御林バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:知多バス・東海市役所南バス停



 スタート地点は知多バスの東海市役所南バス停です。名鉄常滑線の太田川駅から知多バスの上野台・共和駅前行きに乗車して約4分で行くことができます。本数は昼間は1時間に1本程度なので,時刻を調べて利用しましょう。バスを利用しない場合は,太田川駅から約1.2km,徒歩15〜20分になります。

東海市役所
中央町1-1 [公式HP(外部リンク→)]





 東海市役所南バス停から東へ進んで次の筋を左折し,100mほど北上すると東海市役所があります。東海市の市制10周年を記念して,昭和54年(1979年)に竣工した6階建ての庁舎であり,東海市の行政の中心となります。東海市の文化財マップなどの資料を手に入れることができるといいますので,情報収集にも活用しましょう。庁舎入り口には平成24年(2012年)に完成した,東海市で多く生産されている鉄と洋ランを表した「鉄とランのモニュメント」があります。





 また,先に進んだ市役所中庭の屋外ギャラリーは,鉄のモニュメントと称した鉄のアートに彩られています。東海市に鉄鋼所がはじめて設けられたのは昭和14年(1939年)で,愛知製鋼が干拓地に電気炉を設けたのがはじまりといいます。名古屋港に近いという立地から,現在の新日鉄住金が昭和36年(1961年)に,大同特殊鋼がその翌年に開業し,鉄鋼の一大産地となりました。その奥には旧横須賀村などにあったという戦没者慰霊碑が集められ,案内板が設けられています。

大池公園
中央町3-1



 東海市役所の中庭から北方向に進んで階段を上がると大池公園があります。目の前には大池が広がり,右方向には花しょうぶ園も設けられています。大田大池の周りに設けられた広さ24万平方メートルに及ぶ都市公園で,昭和49年(1974年)に整備が完了しました。花しょうぶの他にも梅や桜の名所としても知られ,テニスコートや野球場などの体育設備も設けられています。毎年8月には花火大会も行われ,多くの人で賑わいます。





 池を右に見ながら公園内の遊歩道を北に進んでいくと,200mほど先には開園当初から設けられている動物舎と昭和55年(1980年)に設けられた動植物資料館があります。動物舎ではポニーやヤギ,フラミンゴなどがおり,資料館では東海市の周辺でみられる動植物の展示などがあります。







 資料館から階段を上がったところには公園の管理事務所と休憩所があります。売店も設けられているので,ウォーキングの休憩地点にも活用しましょう。休憩所の西側には大窪公園へと続くウェーブブリッジが設けられ,前コースで訪れた聚楽園公園から4つの公園をつなぐ平洲ゆかりの散策路へと続いています。大窪公園はツバキの小径という散策路が設けられ,屋根付きかまども備えたキャンプ場も設けられています。





 公園事務所から東方向へ散策路を進むと,大田大池を望む展望台があります。東海市役所から市街地までを一望できます。



 ここから遊歩道を東へ300mほど進むと,東海市立中央図書館があります。東海市の文化財等の調べものにも利用できます。





 中央図書館の南側の遊歩道を通り,道路に突き当たったら右折します。公園を右にみながら200mほど南下し,再び右手の遊歩道に入って次の分岐を右に入ると,展望広場があります。東海市の南方向が一望できます。



 ここから右手の尾根道を案内にしたがって進んだところに木庭八幡社があります。社伝では山神が祀られていたところに,文禄元年(1593年)に京都石清水八幡宮から勧請したといい,寛永8年(1631年)に神明社を合祀したといい,後日白山社が勧請されたといいます。



 展望広場に戻って階段を下ったところには東海市農業センターがあります。農作物の栽培研究や各種の講座などが行われる施設で,毎週土曜には駐車場でフレッシュ朝市も行われるといいます。

神昌寺
富木島町峰畑28





 農業センターの裏手から北方向に進んで,次の筋を右折します。下り坂を道なりに100mほど進んだ次のT字路を左折し,道なりに200mほど北上すると神昌寺(曹洞宗)があります。寺伝によると寿永元年(1182年)に旅の僧が円珍作の薬師如来を安置して創建したといい,天台宗園城寺(滋賀県大津市)に属したといいます。本山より住持職を招いて大法要を営むなど繁栄したといいますが,永正元年(1504年)に曹洞宗の寺院となりました。明治9年(1876年)に火災であったため再建され,現在は鉄筋造りの本堂になっています。火災をまぬがれた薬師堂には薬師如来立像などの仏像が安置されているといい,特に薬師如来の厨子は尾張藩ゆかりの三つ葉葵紋の扉がついているといいます。



 神昌寺から北に進み,150mほど進んで広い通りに突き当たったら目の前の歩道橋を渡ります。ここから北西方向の旧東海市民病院の場所は丸根古墳跡[市史跡]という古墳跡になっています。明治初期に発掘され,大正期には耕作によって須恵器などが発見され,郷土資料館に保存されていますが,昭和42年(1967年)の調査では場所は特定できなかったといいます。古墳の副葬品から6世紀後半のものと考えられています。

荒太(あらた)神社
荒尾町稲葉45





 神昌寺の北の歩道橋を渡ったところから戻る方向に東へ進み,次の筋を左折して道なりに100mほど進んだ「畑田」交差点を左折し,続く筋を右折すると荒太神社があります。記録によると参道入り口に万寿元年(1024年)の社標があったといい,荒尾町で最古の神社といいます。享保10年(1725年)の棟札には荒尾天神五社大明神とあり,清水,木庭,冨田の3村の氏神だったといいます。尾張志によると「荒太」とは荒尾の昔の呼び方といい,元は荒太井という姓氏の人がこの地に住んだといいます。南にある丸根古墳跡と合わせてみると,この付近は荒尾町の中でも最も早くから開けた地域だったと考えられています。



 荒太神社から右手の筋を進んでいくと,平洲小学校があります。荒尾町出身の細井平洲の名前を冠した小学校で,校庭には平洲の像もあるといいます。



 平洲小学校の東側から出て目の前の歩道橋を渡り,下った先から北に進んですぐの筋を右折すると,少し先の左手に龍光寺(曹洞宗)があります。冨潤山と号し,明治期の創建といいます。

清水(せいすい)寺(知多四国85番)
荒尾町西川60



 龍光寺から50mほど東に進み,突当りを右折すると,すぐ右手に清水寺(浄土宗)があります。慈悲山と号し,創建は不詳ですが元々は南西の丸根にあったといいます。元禄年間に庄屋六兵衛の家が大火に遭ったため,元禄8年(1695年)に丸根にあった聖観音立像[市文化]をこの地に迎えて堂宇を建立したといい,以降村には火難がなくなったため「火除けの観音様」として村から信仰を受けているといいます。この本尊は秘仏で30年に一度の開帳といい,慈覚大師の作と伝わり鎌倉時代の作といいます。寺の南西には清水の涌く井戸があり,しばしば宮中に献じられていたといい,それが村や寺の名前になったといいます。昭和63年(1988年)に本堂や庫裡が再建され,塀などがない明るく開放的な境内です。

正音寺
荒尾町東川8-2



 清水寺の先のT字路を左折して道なりに50mほど進むと左手に正音寺(曹洞宗)があります。清養山と号し,創建は不詳ですが長源寺(高横須賀町)の末寺として設けられたとも伝わるといいます。本尊の聖観音立像[市文化]は鎌倉時代に安阿弥(快慶の号)による作と伝わります。漆が元のまま残って文様も残る貴重な仏像といいます。



 なお,正音寺の北北東100mほどのところには円光寺(浄土宗)があります。東にある西方寺の末寺で,明治時代に地元の人々によって創建されたといいます。

業平塚
富木島町外面24



 正音寺から東に再び進んで,マンションを左手に見る道を進み,県道に突き当たったら右折して約200m南下します。ここから再び富木島町に入りますが,これは冨田,木庭,姫島の3村が合併した際に,1文字ずつ取って名づけられています。「後田」交差点で県道の南東側に渡り,県道を南下した次の筋を左折して,川沿いを100mほど進むと右手に業平塚[市文化]の案内板があります。木立の下に鎌倉時代の特徴を持つ古い五輪塔が7基あり,いちだんと形のよい塔を業平塚と呼んでいるといいます。この地を治めたという藤原氏の一族が,在原業平と,業平を慕ってこの地に来て非業の死を遂げたという女官あやめの菩提塔として建てたものといい,東の宝珠寺の移転前の寺院墓地だったといいます。在原業平を慕い,知恵と長寿の御利益を求め,良き歌を詠みたいと願う人々によって信仰されてきたといいます。

貴船神社
富木島町貴船78-1



 業平塚から川沿いの道を進んで県道に合流し,そのまま県道を200mほど進んで歩道橋を渡り,さらに東のコンビニの駐車場を回り込んだ先に貴船神社があります。『尾張徇行記』によると,在原業平がこの地に滞在した際に京都鞍馬に鎮座する貴船神社を勧請して創建したといい,業平の守り神と伝えられています。江戸時代は貴布弥と称しましたが明治初年頃に貴船と改称され,後に七社之社に合祀されましたが災いを恐れて旧地に移転したといいます。

七社之社
富木島町貴船11



 貴船神社から西の歩道橋に戻り,歩道橋の南側に進んで南側の筋を右折し,神社の森を左手に見ながら進みます。この付近は平安時代に在原業平が訪れて屋敷を設けた場所と伝わっています。平安時代の歌人である在原業平(825〜880)は,容姿端麗で和歌の名人とされ,六歌仙および三十六歌仙の1人として有名です。「伊勢物語」の主人公とされ,東下りの段で東国を訪れたとされ各地に業平の伝説が多く残されています。この付近も業平の伝説が残った地で,後世の人々も親王様の御所があったところとして跡地に何も建てなかったといいます。





 100mほど進んだ左手には七社之社があります。日本武尊など7柱が祀られていることから神社の名前の由来になったといい,明治までは七社大明神と称したといいます。創建は不詳ですが,天文元年(1532年)の社頭の修復や文政4年(1821年)の境内の整備などについて由緒書が記しているといいます。明治16年に富木島保育園付近にあったという八幡社を合祀したといい,昭和2年(1927年)に本殿を伊勢神宮と同等の神明造に改修したといいます。

宝珠寺
富木島町貴船12







 七社之社から東に進んだ先に宝珠寺(曹洞宗)があります。如意山と号し,在原業平によって創建されたという伝説があり,平安時代末に融通念仏宗を開基した良忍上人が再興したといい,業平の菩提塔などを建立したといい,天文2年(1533年)に曹洞宗に改宗されたといいます。正徳3年(1713年)に現在の業平塚付近にあったものが現在地に移されたといいます。本堂には天明年間(1781〜89)の寄進という在原業平坐像[市文化]在原業平位牌[市文化]があります。位牌は室町時代のもので業平の時代とはあいませんが,業平は元慶4年(880年)に亡くなったとされる後,この地で都との連絡を断って隠とん生活を行い,寛平元年(889年)頃までこの地で生活したという伝説があるそうです。本堂に隣接して正徳5年(1715年)建立という観音堂[市文化]があり,江戸時代中期の当初の建築を今にとどめるものとして高く評価されているといいます。中に祀られている聖観音立像[市文化]は鎌倉時代作といい,秘仏で行基作であり,在原業平の守り本尊とも伝えられています。宋時代の伝来品を模写したと考えられる阿弥陀如来画像[市文化]や,室町時代作という釈迦十六善神画像[市文化]などの文化財を有しています。在原業平がこの地で隠とん生活を送ったことを想像しながら参拝するといいでしょう。

正法塚
富木島町西才道37付近





 宝珠寺から東へ100mほど進んで左に入ったところに正法塚[市文化]があります。古い五輪塔が並んで,藤原秦氏御先祖坐域の標識が建てられ,この地で生まれて宝珠寺を再興し,融通念仏宗を開いた良忍上人の先祖の墓所とされています。良忍上人は延久4年(1072年)にここ冨田の館で生まれたといい,宝珠寺にはそれを表す「発祥」の碑があります。父は知多一郡を領土とした藤原道武で,母は熱田の大宮司の娘といいます。当初は天台宗の僧で,比叡山などで修行し,その後京都大原にて来迎院,浄蓮華院を創建し,声明と呼ばれる仏教声楽を大成したといいます。永久5年(1117年)に「1人が皆のために念仏を唱える」という融通念仏宗を開き,総本山の大念仏寺(現,大阪市平野区)の前身を創建しました。生前の高徳が讃えられて,安永6年(1777年)には後桃園天皇から聖応大師のおくり名を与えられています。正法塚の名前はこの地にあったという正法山にちなみ,別名融通山とも呼ばれたといいます。

上野台公園
富木島町山田1









 正法塚から左に入り前まで戻り,さらに東へ道なりに400mほど進んだ5本目の筋を右折します。さらに200mほど進んで県道に突き当たったら左折して,次の筋を右折すると上野台公園があります。多目的広場やテニスコート,子ども向け遊具や健康遊具などの設備を備えた公園で,特に5〜6月には9種類2600株のカキツバタが咲き乱れる名所として知られています。落ち着いた雰囲気という日本庭園には赤い橋もかかり撮影スポットとしても人気といいます。また,公園内にはホタルの生育環境が整備された一角があり,季節にはヒメボタルなどが楽しめるといいます。

玄猷寺(知多四国84番)
富木島町北島28 [公式HP(外部リンク→)]







 上野台公園の遊歩道を進んで南西側に出て,階段を上って公園を出ます。左手の十字路から西方向に100m進み,2本目の筋を右折して坂を下った先を左手前方向に100m進み,突当りを左折して道なりに400mほど進んだ2つ目の横断歩道のある交差点を右折すると,少し先に玄猷寺(曹洞宗)があります。瑞雲山と号し,創立当初は草庵に過ぎず,弘安2年(1279年)に創建されたという石碑がかつては境内墓地にあったといいます。暦応2年(1339年)に,臨済宗天龍寺派の開祖である夢窓国師が,後醍醐天皇の菩提を弔うために本格的な寺院を建立し,勅願所としたといいます。夢窓国師が死後に後円融天皇から玄猷の国師号を賜り,それが寺の名前となりました。慶長5年(1600年)に普済寺(加木屋町)の5世在室岱存大和尚が開山となって曹洞宗に改宗されました。当時の記録では,山門には西にあった木田城の古門を利用し,臨済宗の寺跡である「吉祥山」と扁額がある観音堂があったといいます。「尾張名所図会」にも虫供養の行事で有名だった様子が描かれているといいます。しかし慶応3年(1867年)の大火で全山がことごとく焼失してしまい,以降しばらくの記録は残されていないといいます。昭和9年(1934年)に弘法堂が再建され,本格的な復興は戦争で一時中断しますが,昭和28年(1953年)より再開されました。その後,伽藍の老朽化などのため,平成19年(2007年)に本堂など弘法堂を除く建物が再建され現在に至るといいます。その際に信者の方が建材で3万体もの握り仏を彫刻して寄贈され,信者に配布されたといいます。寺の長い歴史を感じながら参拝するといいでしょう。
 玄猷寺から南に戻った酒店のところには古い様式の墓標があるといい,桶狭間の合戦で敗れた今川義元の家来がこの地まで落ち延びたものの息絶えたため設けられた墓標とも,女の旅人がこの地で産気づいて難産で死亡したため設けられた供養塔とも伝えられているといいます。



 さらに200mほど南下して道なりに大きく左に曲がるところを右折した先には庚申塔があります。享保12年(1727年)に設けられたものといい,当時庚申信仰が盛んになったといいます。

(姫島)八幡社
富木島町南島20





 庚申塔から右に入る前の通りに戻り,さらに100mほど進んだ十字路を左折した先に(姫島)八幡社があります。木田城の鬼門の社として建立したといわれ,天和2年(1682年)以降の棟札が残り,この当時は観福寺(大田町)の支配下にあったといいます。大正14年(1925年)に村内の4社が八幡社に合祀され,さらに伏見稲荷大社を勧請して氷露稲荷神社を創建し,この付近の信仰の中心となりました。



 八幡社から左に入る前まで戻り,左折して東へ200mほど進んだ分岐を右に入り,100mほど進んだ突当りの1つ手前の筋を右折すると,少し先に円福寺(真宗大谷派)があります。東海市では唯一の真宗大谷派寺院といいます。

ゴール:知多バス・御林バス停



 円福寺から突当りまで進んで左折し,さらに先の道路を渡って先の橋を渡り道なりに進んでいきます。この付近の高台は畑作地帯が広がっています。



 橋を渡ってから道なりに500mほど進み,突当りを左折して少し進むと,国道155号線の「御林」交差点があり,その先には知多バスの御林バス停があります。御林の地名はこの付近にあった尾張藩の不入御林(入ってはいけない林)からきており,農民の出入りが固く禁じられていたといいます。バス停からは知多バス横須賀線を利用して,名鉄常滑線の尾張横須賀駅まで約11分,JR東海道線の大府駅まで約15分で行くことができます。本数は1〜2時間に1本程度ですので,あらかじめ時刻を調べて利用するといいでしょう。

写真使用数:51

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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