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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県東海市:荒尾コースARAO

2018年7月探訪。2018年7月17日作成

【コース】 距離:約9.0km
 市北部の荒尾町をめぐります。東海市のシンボル聚楽園大仏からカゴメ記念館へ。その後,儒学者・細井平洲のゆかりの史跡などをめぐります。

≪コース≫ 名鉄・聚楽園駅〜聚楽園公園〜運得寺〜カゴメ記念館〜泉柳寺〜神明社〜平洲記念館・郷土資料館〜如意輪寺〜西方寺〜宝国寺〜長益塚〜平洲文庫跡〜八柱神社〜観音寺〜慈眼寺〜如来山の碑〜加家公園メルヘンの森〜名鉄新日鉄前駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄常滑線・聚楽園駅



 スタート駅の名鉄聚楽園駅へは,知多方面の準急または普通列車を利用します。準急を利用すれば名鉄名古屋駅から約17分で行くことができますが,本数は30分に1本程度です。ちょうどよい電車がない場合は急行に乗車し,途中の大江駅で普通に乗り換えても行くことができます。この場合は乗り換え時間も含めて約25分の所要時間です。





 聚楽園駅の駅前広場には,東海市出身の儒学者である細井平洲(1728〜1801)誕生地之碑があります。明治の評論家・徳富蘇峰による筆といい,かつては駅の構内にあったといいます。隣では細井平洲を模した東海市のキャラクター「へいしゅうくん」も出迎えてくれます。駅前広場から南に進んだところには細井平洲の生涯を説明した案内板もあり,このコースでゆかりの地を訪れる前に学習することができます。

聚楽園公園(しあわせ村) [一部有料施設]
荒尾町西廻間2-1 [公式HP(外部リンク→)]





 聚楽園駅東口から北東方向に進んで上り坂を進んでいくと聚楽園公園があります。さらに階段を上がっていった先には巨大な仁王像があり,その奥には像高18.79mに及ぶ聚楽園大仏が祀られています。名古屋の実業家・山田才吉による発願で作られ,鎌倉大仏を模したコンクリート製の大仏で,昭和2年(1927年)に昭和天皇のご成婚を記念して開眼供養が行われました。高台に位置する大仏は東海市のシンボル的存在となっており,聚楽園大仏及び境内地[市名勝]として文化財指定もされています。昭和59年(1984年)には大規模な補修工事が行われ,その翌年には大仏寺の御本尊として修復落慶開眼供養が行われたといいます。



 聚楽園大仏から北東方向,嚶鳴庵を目指して進んでいきます。途中,右手にはトリム広場があり,ローラースライダーなど子ども向けの遊具が設けられています。その先,公園の中心に位置するヤカン池をふれあい橋で渡ります。この付近は紅葉の名所としてもよく知られ,秋にはもみじ祭りも行われています。





 さらに進んで左手に進み,公園の北東側の出口のところを左に進んだ先には茶室嚶鳴庵があります。「嚶鳴」とは鳥が仲良く声を合わせて鳴きかわすという意味で,細井平洲が江戸に開いた塾である嚶鳴館にちなんでいます。学問を究める多くのものが集い,互いに切磋琢磨するという意味といいます。茶室では庭園を眺めながらお茶をいただけるほか,坐禅体験も行われているといいます。他にも施設の貸し出しが行われ,各種の文化教室も行われています。この他にも公園には花の広場やハーブ園,キャンプ広場などが設けられており,時間に余裕があればじっくりと回るのもお薦めです。



 公園の北東側の出口から出て突当りの県道を右折し100mほど進んだ右手には長泉寺(曹洞宗)があります。



 長泉寺から南に300mほど進んで「しあわせ村南」交差点を右折すると,健康ふれあい交流館があります。プールと温浴設備が備わり,トレーニングルームなども設けられた人気の施設といいます。

とまと記念館
荒尾町大城88





 「しあわせ村南」交差点に戻り,そのまま東へ進んだ次の筋を右折し,続く筋を右折した先にはとまと記念館があります。カゴメの元社長である蟹江嘉信が私財を投じて設けた施設博物館で,平成21年(2009年)に開館しました。1階はレストラン,2階はカゴメ創業者の蟹江一太郎に関する展示が設けられています。現在は東海市から運営を委託した業者が運営しています。

運得寺
荒尾町西屋敷89





 とまと記念館の先を道なりに左に進んで続く筋を右折し,県道に出たら左折して400mほど南下します。「山王」交差点の次の筋を左に入ると少し先に神明社(荒尾町山王)があります。荒尾谷を見下ろす高台に位置し,東方向の眺望も楽しめます。この地にはかつて運得寺と山之神が祀られていたといいますが,天文元年(1532年)の火災で焼失し運得寺は現在地に移され,慶長14年(1609年)に現在の神明社が建立されたといいます。





 神明社(荒尾町山王)の東側の出口から出て,そのまま下り坂を道なりに100mほど進むと左手に運得寺(曹洞宗)があります。雲龍山と号し,往時は12坊を持つ七堂伽藍が立ち並ぶ大寺だったといいますが,天文元年(1532年)の火災で多くが焼けてしまったといいます。室町時代に木田城主の荒尾小太郎が菩提所を現在地に再建しますが,再び戦火にあって17世紀に再建されたと伝わります。本尊は地蔵菩薩で,室町時代の作で仏師春日によるといいます。境内には宝篋印塔[市文化]が4基あり,庭園にあるものは応永(1406年)のものといい知多半島で最古のものと考えられています。残りの3基は墓地にあって室町時代の作といいます。位牌堂には荒尾氏の位牌も残されているといいます。

カゴメ記念館
荒尾町東屋敷108 [公式HP(外部リンク→)]





 運得寺の南の十字路を左折して東に150mほど進み,分岐を右に進んで100mほど先の突当りを左折すると,少し先の左手にカゴメ記念館があります。カゴメの創業者・蟹江一太郎とカゴメの歴史を展示した記念館で,昭和49年(1974年)にオープンしました。蟹江一太郎は明治32年(1899年)に西洋野菜であるトマトの栽培をはじめ,その後,国産トマトソースの生産に成功し,明治42年(1909年)に自宅裏に工場を建ててトマトケチャップとウスターソースを製造するようになり,現在の調味料の大手メーカーとしての基礎を作り上げました。記念館ではカゴメの歴史的資料から企業理念まで,これまでのカゴメについて知ることができます。見学は平日のみで,事前の予約が必要なので注意しましょう。記念館の先を右に行った先のカゴメ上野工場の前にはカゴメ創業地の看板も設けられています。

泉柳寺
荒尾町泉4





 カゴメ上野工場から北へ約250m進んだ「寄亀」交差点を右折し,200mほど東へ進んだ左手に渡内八幡社があります。寛政7年(1795年)の棟札によると,文禄3年(1595年)にこの地の庄家を務めた深谷一族の祖先が京都の石清水八幡宮から勧請して創建したといいます。この祖先は池田輝政に仕え,関ケ原の戦いや大坂夏の陣で活躍したという深谷助左衛門といいます。







 渡内八幡社の東に泉柳寺(曹洞宗)があります。医王山と号し,寺伝によると良忍が開宗したという融通大念仏宗の1寺として創建されたといい,天正年間(1573〜92)に鳴海の曹洞宗瑞泉寺の末寺になったといいます。本尊は室町後期作という薬師如来で,境内には元禄16年(1703年)の銘がある石造の十一面観音もあるといいます。境内には閻魔王をはじめとする十王の堂があり,かつて参道に建てられていた石仏などが堂の前に集められています。



 渡内八幡社のある「若宮」交差点に戻って左折し,200mほど進んだ先の分岐を右に進んだところには本郷祠と呼ばれる祠があります。



 さらに突当りまで進んで右に曲がった先には瑞光寺(浄土宗)があります。南にある西方寺の末寺で,明治時代に地元の人々によって設けられた尼寺といいます。

神明社
荒尾町蜂ケ尻6-2





 瑞光寺から東へ戻り,突当りを右折して続く筋を左折します。100mほど進んで県道に突き当たったら右折して150mほど南下し,「平洲橋西」交差点を左折して150mほど先の「藤治山」交差点を平洲記念館の案内板にしたがって右折すると,100m弱先に神明社があります。地元の伝承では天文年間(1532〜55)に池田輝政の父信輝が平島城主だった際,城の東方に天照皇大神をまつって創建したと伝わります。この付近の人々はかつては加家の八柱神社を氏神としていたが,八幡社などが合祀されてこの神明社を氏神にするようになったと伝わっています。



 社殿右側には細井平洲先生旧里跡[市史跡]の碑があります。細井平洲が享和元年(1801年)に亡くなったのち,尾張の門人が総力を結して平洲をたたえるこの碑を故郷が見下ろせるこの丘陵に建てました。表題は木曽福島の代官・山村伊勢守蘇門,碑文は名古屋の医師伊藤玄沢の子・伊藤墨海と伝えられています。毎年5月末に碑の前で平洲祭が行われ,故人の遺徳を偲んでいるといいます。

東海市立平洲記念館・郷土資料館
荒尾町蜂ケ尻67 [公式HP(外部リンク→)]







 神明社の南側に隣接して東海市立平洲記念館・郷土資料館があります。この地で生まれた細井平洲に関する資料と東海市の考古資料などを保存・展示する施設です。細井平洲はこの地で農家の二男として生まれ,幼年時代から学問にはげみ,名古屋・京都・長崎などで学びました。24歳の時に江戸で私塾の「嚶鳴館」を開いて門徒を育成するとともに学者として広く知られるようになったといい,西条,人吉,紀伊,大和郡山などの藩に迎えられます。その後,米沢藩主の上杉鷹山(治憲)の教育係として迎えられ,人づくりを通して産業を育成し,藩の財政を立て直したことから名君としてうたわれています。その後,尾張藩主の徳川宗睦にも招かれ,尾張藩校の明倫堂で学長を務め庶民の教育にも尽くしたといいます。死後残された遺稿集である「嚶鳴館遺草」が西条藩の上田雄二郎によってまとめられ,天保6年(1835年)に刊行されました。吉田松陰や西郷隆盛も愛読し,大きな影響を与えたといいます。資料館には嚶鳴館遺草版木[市文化]が保存されています。また平洲が常々説いていた「学思行相須つ(がくしこうあいまつ)」(学び,考え,行動することで始めて学んだことになる)という考え方はこの地の教育にも息づき,市内の小中学生にその名を冠した賞も送られています。

如意輪寺
荒尾町金山135





 平洲記念館から「平洲橋西」交差点まで戻り,さらに西へ100mほど進んだ2本目の筋を左折した先に如意輪寺(浄土宗)があります。寺伝によると,延喜4年(904年)にこの村の地蔵堂の堂守が,熱田の真言宗実相院末寺から如意輪寺の寺号を授かって創建したといい,この先の西方寺の末寺といいます。江戸時代には多くの尼僧がいて繁栄したといいます。寺宝として多数の彫刻や絵画などがあるそうですが,法然真筆という阿弥陀如来尊像が貴重といいます。



 如意輪寺から左折する前に戻って左折し,50mほど進んだ左手には秋葉社が祀られています。火防守護の神様が祀られています。

西方寺
荒尾町西ノ木戸62





 秋葉社から50mほど進んだ筋を左折し,続く筋を右折したところに西方寺(浄土宗鎮西派)があります。智光山と号し,寺伝では永禄年間(1558〜70)に安恵黙住によって荒尾町寺前(東2kmほど)に草庵が結ばれたのが始まりで,宝暦年間(1751〜64)に現在地に本堂が設けられたといいます。本尊は恵心作という阿弥陀如来といい,絹本著色の見事な当麻曼荼羅を有するといいます。細井家の菩提寺になっており,細井平洲の両親と兄夫婦の墓があります。平洲自身は東京で亡くなったため,墓は東京浅草の天嶽院にあり,東京都の旧蹟に指定されているといいます。毎年5月には平洲の遺徳をしのぶ平洲祭が行われているといいます。

宝国寺
荒尾町金山120





 西方寺から東に戻って突当りを50mほど南下すると宝国寺(浄土宗)があります。霊照山と号し,天正年間(1573〜91)に堪蓮社大誉による創建と伝わります。戦国時代の住職である長益上人は,乱世が続いて苦しい生活をしていた農民たちが訴え出るために,その訴状を書くことになりました。しかし,時の権力者にそのことが見つかり,農民たちが処罰を受けることになったのですが,上人はその罪を一身に受け,慶長2年(1597年)に代わりに処刑されたといいます。それ以降,長益の徳を慕って多く人々が寺に参詣するようになったといいます。享保12年(1727年)に造られたという長益上人の像や,安永年間(1772〜81)に奉納されたという絵馬が寺宝になっています。



 宝国寺から少し南に進んだところには細井平洲生誕地の碑があります。細井平洲の実家がこの地にあったといい,明治43年(1910年)にこの碑が設けられました。また,この付近には姫路城を修造したことで知られる池田輝政の父で,小牧・長久手の戦いで戦死した池田信輝の居城だった平島城があったとされています。



 細井平洲生誕地からさらに南下して道なりを右に進み,次の筋を右折して少し進んだところに庚申寺(浄土宗)があります。庚申と呼ばれる青面金剛が本尊で,江戸時代には庚申堂と呼ばれたといいます。江戸時代の絵図などが保存されているといいます。

長益塚
荒尾町中屋敷165



 庚申寺から100mほど北上し,「荒尾町」交差点の1つ手前の筋を左折して道なりに100mほど進むと左手に長益塚があります。宝国寺の住職で,農民のために無実の罪で処刑された長益上人を供養するために,荒尾の7村の人々によって慶安2年(1649年)に建てられた塚です。上人は処刑の間際に「我は今,はからずも無実の罪に逢って他界せんとす。是によって,没後我は諸人のために無実の難を解き,且つ諸願を満足せしむべし」と述べたといい,それ以降現在に至るまで願いを望む多くの人から信仰を受け,かつては遠く岐阜県方面からも訪れる人がいたといいます。

平洲文庫跡
富貴ノ台3-74(平洲保育園前)



 長益塚から200mほど進んだ左手の平洲保育園の前に,平洲文庫跡の案内板があります。この場所にはかつて細井平洲にまつわる資料や文献などを保存するための文庫が設けられていました。大正8年(1919年)に当時の上野村と知多郡教育会により設置され,
昭和27年(1952年)に取り壊されました。現在,資料の多くは平洲記念館に収められているといいます。
 なおこの付近の個人宅には,桃山時代作という出羽大掾藤原國路の銘のある刀[国重文]と,南北朝時代作という備中國住次直作の銘のある短刀[国重文]があるといいます。

八柱神社
荒尾町御幣上63-1





 平洲文庫跡から平洲の散策路を400mほど進むと右手に八柱神社があります。文永2年(1265年)に伊勢国安芸郡の修験者である高神則隆が諸国を訪ねた際,風光明媚なこの地を気に入って居を構え,2年後に八社大明神を建立したと伝わります。慶長10年(1605年)に熱田羽城の加藤氏によって社殿の拡張が行われたといいます。大正時代の記録には八柱神社とあり,長らく荒尾7カ村の氏神として厚い崇敬を受けたといいます。本殿には室町時代作という木造の神像4体と狛犬一対が納められています。境内の二の鳥居は延享3年(1748年)の建立で市内最古のものといい,手洗い鉢も元文6年(1741年)のものといいます。また境内の石灯籠のうち本殿右横の1基は細井平洲寄進の石灯籠[市文化]となっています。尾張藩に仕え始めた翌年の天明元年(1781年)に建立されたといい,その年号と「細井甚三郎徳民」という名前が刻まれています。

観音寺(知多四国86番)
荒尾町仏供田45









 八柱神社から西へ50mほど進んで突当りを左に進んだところに観音寺(真言宗智山派)があります。大悲山と号し,創建は文永3年(1266年)と伝わり,その後天文年間(1532〜55)に昌増宝印によって中興されて伽藍が整えられましたが焼失の憂き目にあいました。天正13年(1585年)に宝生院(現,名古屋市中区大須)の鏡融法印の助力を得て再興され,その後,後柏原天皇の勅願所となり,豊臣秀頼の祈願寺にも指定されて土地を与えられました。江戸時代には除災招福を願って多くの人が参詣し,伊勢湾を見下ろす風光明媚な眺望を楽しんだといい,「尾張名所図会」にも描かれています。享保20年(1735年)から2年間,細井平洲が8歳から10歳までの間,この寺の義親和尚に学んだことが知られています。昭和20年(1945年)には空襲で堂宇が焼失しますが,その後本堂や客殿,庫裡などが再建されて現在の隆盛をみています。秘仏である本尊の聖観音立像[市文化]はヒノキの一木造りで,鎌倉時代初〜中期の作ですが,平安時代の様式を残し知多半島では最古類のものといいます。空襲の際に本堂が焼失した際も,その時にいた僧侶が身を挺して運び出して焼失の難をまぬがれたといいます。また境内には樹齢700年ともいわれ寺のシンボル的存在になっている高さ23mに及ぶ大樟[市天然]や,幼いころ細井平洲がまたがって遊んだという草紙掛けの松(空襲で焼失するなどしたため,現在の松は3代目)などがあります。



 寺の西側は埋め立てられて工場地帯ができましたが,西方向の眺望が楽しめ,かつての風光明媚な景色を想像することができます。

慈眼寺
荒尾町峰脇16





 観音寺から南に50mほど進んだ右手に慈眼寺(曹洞宗)があります。普門山と号し,張州雑志によると寛永元年(1624年)に開基といい,鳴海(名古屋市緑区)の瑞泉寺の末寺といいます。本尊の釈迦如来坐像は定朝作といい,張州雑志に記載されています。本堂右の聖観音像は,昔味噌の不出来が続いた際に味噌がくさらないように願ったところ願いがかなったといい,通称味噌観音と呼ばれているといいます。現在も味噌・醤油の製造業者の信仰の対象になっているといいます。

如来山の碑
荒尾町中切







 慈眼寺からさらに上り坂を進むと,加家公園学の広場があります。公園内には細井平洲の一生を紹介する説明板が立ち並び,生涯について学ぶことができます。また展望台が設けられ,かつて平洲も楽しんだであろう景色を楽しむことができます。



 学の広場の南側から出てそのまま道なりに200mほど進むと,星城大学の前に如来山の碑があります。この高台はかつて如来山と呼ばれ,伊勢湾の景色が楽しめる風光明媚な場所でした。若き日の細井平洲もこの山で遊び,儒学者として大成してからはこの山にちなむ「如来山人」という号も名乗ったといいます。



 如来山の碑から加家公園の「花の小道」を進んだ先の広場のところには若き日の平洲像があります。彫刻家の石田武至氏によるものといい,平洲が儒学者となる志を抱いて長崎に向かう姿をあらわした像といいます。

加家公園メルヘンの森
荒尾町見晴





 若き日の平洲像から公園の遊歩道を進んでいくと,加家公園メルヘンの森があります。入口のところからはツバキの小径が続き,その先には芝生広場が広がります。広場の周辺にはきのこの休憩所や動物の像などメルヘンを感じさせるものが設置されています。かつてはシンボルとなる城を模した建物もありましたが,老朽化で撤去されました。入口広場付近はバラ園も設けられ,市民の憩いの場になっています。ここから大池公園までは大窪公園を経由してメルヘンブリッジ,ウェーブブリッジとして接続され,遊歩道として整備されています。

ゴール:名鉄常滑線・新日鉄前駅





 加家公園メルヘンの森の南側の出口から出て右折し,200mほど進んだ「見晴」交差点を右折して下り坂を進みます。国道に突き当たったら右折し,300mほど進んだ2本目の筋を左折して踏切を渡り,続く筋を右折するとゴールの名鉄新日鉄前駅に到着します。普通列車のみの停車で,大江駅で急行または準急に乗り換えて金山駅まで約30分,名鉄名古屋駅まで約35分です。本数は1時間に4本程度運転されています。

写真使用数:60

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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