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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県大府市:吉田コースYOSHIDA

2018年9月探訪。2018年10月31日作成

【コース】 距離:約7.8km
 市南西部の吉田町・米田町・吉川町などをめぐります。丘陵地の農作地帯の爽快なウォーキングを楽しみ,散在する史跡などをめぐっていきます。

≪コース≫ 知多バス・半月バス停〜祖山寺〜景清神社〜七社神社〜ハンヤ古窯跡〜延命寺(米田町)〜米田の常夜灯〜天性寺〜米田神明社〜奥池〜吉田第1号窯・第2号窯〜吉川稲荷神社〜吉川熊野神社〜吉川城址〜清凉寺〜知多バス・半月バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:知多バス・半月バス停



 スタート地点の半月バス停は,大府駅から知多バス横須賀線に乗車して約7分で行くことができます。本数は1時間に1本程度なので時刻は調べておきましょう。東海市の名鉄尾張横須賀駅からは同じく横須賀線のバスで約15分です。

祖山寺
吉田町3-229





 半月バス停から東に進んだところの分岐を左に進み,150mほど進んだ常夜灯と小社がある分岐を右に入り,次の筋を右に入ったところに祖山寺(曹洞宗)があります。無量山と号し,知多四国霊場6番札所の常福寺(半月町)の末寺で,元々は阿弥陀如来を安置した小堂だったといいます。文化10年(1813年)に祖山尼により再興され,明治13年(1880年)に祖山尼にちなんで祖山庵に,昭和17年(1942年)に祖山寺に改称されたといいます。寺宝に円空作という持蓮台観音座像を有するといいます。

景清神社(芹沢の井)
吉田町1-246





 祖山寺から南下してバス通りを越えた先の突き当りを左折します。そのまま道なりに200m強進んだ左手に景清神社があります。悪七兵衛の名前で知られ,勇猛な武将と評された平景清は,平安末期の源平の戦いにて敗れたのち,この地に隠棲したと伝えられ,その屋敷跡と言われています。その際に使われたという井戸が芹沢の井として境内に残されており,現在でも眼病に効く霊水として信仰されているといいます。景清はこの霊水を使って一門の供養と娘の安否を念じたといい,その際に彫刻したという千手観音像が東の常福寺の本尊となっています。なお景清の伝説は各地に残されており,ここのものもそれらの1つと考えられています。

七社神社
吉田町2-45





 景清神社から道路を挟んで南側に七社神社があり,天照皇大神など7柱を祀っています。建久3年(1192年)の創建と伝わる市内でも古い神社であり,神祇伯白河資延王(大宝律令制での神祇官の長官)の書という社名額の原本を社宝として所有するといいます。寛永17年(1640年)以降の棟札を所有し,そこから江戸時代は熱田皇七社大神と称したことがわかるといい,天保12年(1840年)の村絵図には神明宮と記されているといいます。明治11年(1878年)に現在の社名になったといい,境内社として津島神社など4社,境外社として東西南北に4社があるという由緒が伝わる神社です。毎年4月の第1日曜日には七社神社おまんと祭り[市民俗]が行われます。これは豊作や家内安全を願って行われる駆け馬神事で,馬を飾って奉納したのちに,柵で囲われた境内を法被足袋姿の若者が人馬一体で駆け回るものです。かつては周辺でも行われていましたが,現在も行われているのは市内でここのみで,文化の継承を願って平成30年(2018年)に市の文化財となりました。

ハンヤ古窯跡
吉田町4-302付近





 七社神社のところの十字路を南に進んで400mほど進んだ次の十字路を右折します。さらに300m弱進んで吉田公民館を越えた先の十字路の先にハンヤ古窯跡の標柱があります。開発の際に壺の破片が見つかったことから遺跡が確認され,昭和52年(1977年)に発掘調査が行われました。その結果,良好な保存状態の窯体が見つかり,13世紀初頭のものと考えられる碗や皿などが発見されました。現在は農地整備されて窯跡はわからなくなってしまいましたが,現在でも土器の破片などが見つかり,周囲にいくつかの窯があったと考えられています。







 ハンヤ古窯跡から手前の十字路に戻り,右折して南方向に進みます。両側に畑が広がる見晴らしのよい道で爽快なウォーキングを楽しむことができます。周辺にはぶどうなどの収穫を楽しむことができる農園なども設けられています。

延命寺(米田町)
米田町1-302



 ハンヤ古窯跡の手前の十字路から南に800mほど進み,接骨院の先の細くなる手前の筋を右折し,続く「馬池町1丁目」の交差点を左折します。この県道を200mほど進んだ左手の坂を上がったところに延命寺(曹洞宗)があります。地蔵山と号し,古くは地蔵堂と称して延命地蔵菩薩を安置していたといいます。昭和23年(1948年)に現在の寺号に改称されたといいます。



 延命寺から200mほど進んだ「米田町1丁目」交差点を左折して100m弱進んだ左手には米田の常夜灯があります。古くからの常夜灯で,市の指定文化財の候補にもなっているといいます。

天性寺
米田町2-47





 「米田町1丁目」に戻り,そのまま南に南下して50mほど先の右手に天性寺(曹洞宗)があります。仏国山と号する普済寺(東海市加木屋町)の末寺で,堀之内城(知多市八幡町寺本)の花井氏の子孫が,関ケ原の戦いののちに各地を流浪したのちにこの地に戻り,寛永10年(1633年)に子孫繁栄を願って堂宇を建立し,仏舎利を本尊の釈迦牟尼仏木像に奉安して安置したといい,以降は花井氏の菩提所になっているといいます。その後,元文4年(1739年)に本堂が大破しましたが再建されたといい,明治9年(1876年)に影向寺(南知多町)の珍道大半を勧請して,本堂や開山堂などを改築し,再興したといいます。寺宝に寺院を建立したという花井氏の系譜を所蔵するといいます。

米田神明社
米田町3-380





 「米田町1丁目」交差点に戻り,今度は西に200m強進んだ右手に米田神明社があります。慶長13年(1608年)に知多市寺本の花井氏の末裔が,当時半月村の枝村であったこの地に小祠をまつり神明堂と称したことに始まるといいます。その後社殿を造営してこの地区の氏神となり,明治7年(1874年)に村社に列せられたといいます。昭和49年(1974年)に現在の本殿や社務所などが設けられたといいます。元々は創建前からあったという神木としてあがめられた大杉がありましたが,昭和58年(1983年)に枯死したため,現在は本宮の伊勢神宮から杉の苗木が下賜され神木の2世として植えられています。

奥池
桜木町1





 米田神明社から300mほど県道を西に進み,知多半島道路を越えた先,左手に名南カンツリークラブがあるところを右に入ります。100mほど進んだ2つ目の筋を右折し,さらに100mほど先の突き当りを左折して200mほど進むと左手に奥池があります。大府市に数多くあるため池の1つで,池を1周する散策路や広場などが整備され,市民の憩いの場として開放されています。散策路を進んだ奥には野鳥が生息している小島が整備され,カモなど季節に応じた様々な野鳥も見学することができるといいます。トイレや休憩所などの設備もあり,ウォーキングの休憩地点として利用することができます。

吉田第1号窯・第2号窯
吉川町7付近



 奥池からさらに知多半島道路を右に見ながら900mほど進むと,右手に大府東海インターが見えてきます。案内板などはありませんが,この付近には吉田第1号窯・第2号窯という2基の窯跡が見つかっています。平安時代末期の12世紀前半のものと想定されており,碗・皿・壺や瓦類が出土しています。特に瓦類は,鳥羽上皇(1103〜56)が住んだ離宮の1つという鳥羽東殿に使われたことが判明しているといいます。消費地が確認されている瓦を焼いた貴重な窯といいます。

吉川稲荷神社
吉川町6-310







 大府東海インターを右に見ながら左手の鳥居の方に進んでいくと,吉川稲荷神社があります。明治27年(1894年)に下村辰次郎氏ほか6名によって草庵が結ばれたのが始まりといい,明治38年(1905年)に神武天皇遥拝所や神殿が築かれ神社としての一歩を踏み出したといいます。その後,昭和41年(1966年)に大鳥居を建立するなど幾多の増改築が行われ現在の姿になるといいます。例祭が3月第2日曜日に行われ,奉納餅投げや花火などが行われて賑わうといいます。

吉川熊野神社
宮内町4-235







 吉川稲荷神社の東側に出て突き当りを左折し,そのまま250mほど北上すると国道155号線の「大府東海インター」交差点に出ます。ここを横断歩道を渡ってから右折して,国道を東へ400mほど進み,カフェの手前の筋を左折するとその先に吉川熊野神社が見えてきます。創建は不詳ですが,応永4年(1397年)に吉川城が築城された際に創建されたと考えられています。後に訪れる清凉寺の縁起によると,永禄10年(1567年)に熊野神社の西隣に普済寺(東海市加木屋町)3世の桃林有仙和尚が弥陀堂を建立し,森脇山宝珠院と称したといい,この時期に氏神が存在していたことを示すといいます。古来より熊野三社権現と称されましたが,明治8年(1875年)に熊野社に,昭和49年(1974年)に熊野神社に改称されたといいます。また明治期は記録から弥勒寺(東海市大田町)の支配下だったといいます。階段を上がった先にある拝殿・本殿などは昭和49年(1974年)に現在の鉄筋コンクリート製に改築されたものです。社宝に疫病防止と豊作祈願のために天保7年(1836年)に造られた神輿があり,昭和55年(1980年)に復元修理をされて現在は拝殿に保存されているといいます。

吉川城跡
吉川町1



 吉川熊野神社の入口から東に進んで次の筋を右折し,先の「宮内町4丁目東」交差点を横断歩道で渡って右手に吉川城跡の碑があります。碑のそばには熊野神社の境外社である弁財天社が祀られています。吉川城は応永4年(1397年)に吉川将監入道により築城されたといい,吉川町の地名の由来になっているといいます。その後花井氏の居城となりますが,天正8年(1580年)に花井氏5代平次の子・勘八郎の時代になって堀之内城(知多市八幡町寺本)に移ったために廃城になったといいます。花井勘八郎は慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いの際に鳥羽城主の九鬼喜隆によって滅ぼされたため信濃国に逃れ,子の清捨は尾張国半月村の南(現在の米田町)に戻って余生を過ごしたといい,その際に建立したのが天性寺に当たるといいます。

清凉寺
吉田町5-124



 吉川城跡の碑から国道を東へ100mほど進んだ川を渡った先の筋を右折し,続く筋を左折します。この左には吉田児童老人福祉センターがあり,地域のお年寄りと子供のコミュニティの場になっています。





 吉田児童老人福祉センターから東へ300m弱進んだ左手には清涼寺(曹洞宗)があります。桃林山と号し,永禄10年(1567年)に普済寺(東海市加木屋町)3世の桃林有仙和尚による創建で,当初は清水と呼ばれる場所(吉川熊野神社そば)にあって森脇山宝珠庵と称したといいます。元文5年(1740年)に現在地に移転し,開山した和尚から桃林山と,元の所在地の清水から清凉寺と改称したといいます。

ゴール:知多バス・半月バス停

 清凉寺から100mほど進むとバス通りに合流し,そこから少し進むとスタートした半月バス停に戻ってきます。ここから大府駅まで知多バス横須賀線を利用して約7分,反対方向に乗車して名鉄常滑線の尾張横須賀駅まで約15分で戻れます。本数は1時間に1本程度なので,あらかじめ時刻を確認しておくといいでしょう。

写真使用数:31

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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