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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県大府市:大府東コースOBU EAST

2018年8月探訪。2018年9月21日作成

【コース】 距離:約11.5km
 市東部の北崎町・横根町などをめぐります。自然豊かな北崎大池・みどり公園から文化財豊富な知多四国の霊場などの社寺をめぐっていきます。

≪コース≫ 名古屋市バス有松町口無池バス停〜北崎大池〜みどり公園〜蔵福寺〜光善寺〜阿弥陀寺〜近崎神明社〜山之神社〜賢聖院〜極楽寺〜普門寺〜薬師寺〜藤井神社〜正願寺〜延命寺〜熱田神社〜専唱院〜おしも井戸〜高山古墳〜JR大府駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名古屋市バス・有松町口無池バス停



 スタート地点となるのは,名古屋市バスの有松町口無池バス停です。名鉄有松駅からのバスが便利で,有松11,有松12,有松13系統および緑巡回の4系統が利用でき,一部経路は異なりますが所要時間は15分程度(緑巡回のみ25分程度)です。本数はそれぞれの系統が1時間に1本程度なので,アクセスは比較的便利です。名古屋中心部の栄から直接行く場合は,1時間に1本の高速1系統も利用でき所要時間は約45分です。有松町口無池のバス停は有松11系統のみが南側の転回場まで行き,それ以外は北側のバス停までになります。コースのスタートは転回場のところなので,有松11系統以外を利用した場合は,国道23号線の高架をくぐって南側の転回場まで行ってスタートしましょう。

北崎大池・星名池
北崎町梨ノ木



 有松町口無池バス停の転回場そばの「坊主山」交差点から東方向に進んで口無池を左に見ながら進みます。ここには大府市ふれあいバスのバス停が設けられています。



 そのまま200mほど進んだ2本目の筋を左折し,さらにその先の突き当りで道なりに右に曲がって工場地帯を進んでいきます。





 次の十字路を左折し,100mほど先の突き当りを左折し,さらに続く筋を右折します。200m強先の突き当りを右折してすぐ左に入る細い筋を下って進み,右から道に合流する筋をまっすぐ進むと左手に北崎大池があります。大府市内に数多くある農業用のため池の一つで,江戸時代に設けられ現在も大切に使われているといいます。周囲には全長800mに及ぶ遊歩道が整備され,桜並木や水上デッキなども設けられて市民の憩いの場になっています。



 北崎大池を左に見ながら遊歩道を進んで池の北側に進み,道路をさらに進んだ先には星名池があります。水に親しめる遊歩道などが整備された池で,6月はアジサイ,7〜8月はハスの名所として知られています(午前中の見学がよいようです)。トイレや休憩施設もあるのでゆっくり過ごすことができます。

大府みどり公園
北崎町大根2-193









 星名池から東に100mほど戻ると左手に大府みどり公園の西側入口があります。大府みどり公園は総面積9.8haに及ぶ野外活動型の公園で,春は桜の名所としても知られ花見を楽しむ人々で賑わいます。進んだ先には高さ5mとなる噴水を備えた中央広場があり,夏には涼をとる家族連れなどで賑わいます。また併設して立派なバーベキュー場(申し込み必要)も設けられています。奥には広大な芝生広場があり,ドラゴンを模した巨大な遊具が備えられた冒険遊び場があって子どもの歓声で賑わっています。



 大府みどり公園の東側の駐車場の間にある道路を南下します。200mほど進んだ信号の先にはぶどう狩り農園があります。この付近はぶどうや梨などの収穫体験ができる農園が多くあります。

蔵福寺
北崎町5-112





 ぶどう園のある信号から150mほど上り坂を南下した次の筋を右折して道なりに進むと北崎町1丁目の山之神社があります。創建は不詳ですが,宝暦2年(1752年)に北尾村の出郷としてこの地の開拓を始めた際に本郷にあった神社から勧請されたと考えられており,天保12年(1842年)には氏神として奉祀されていたことが記録されているといいます。



 山之神社(北崎町1丁目)から戻って歩いてきた広い筋を渡り,さらに道なりに100mほど進むと左手に蔵福寺(曹洞宗)があります。地光山と号する曹源寺(豊明市)の末寺で,宝暦2年(1752年)の開創と伝わり,村人の甚兵衛が霊夢を見て,小川から石造地蔵菩薩を拾い上げて本尊として堂宇を建立したといいます。昭和17年(1942年)に蔵福寺と称されるようになったといいます。

光善寺
北崎町4-308





 蔵福寺からさらに200mほど進み,道路が広くなった先の分岐を右に進んで200mほど先の川沿いの細い道を右折し,川沿いに進んだ次の十字路を右折すると光善寺(曹洞宗)があります。万秀山と号し,寺伝によると永禄元年(1558年)に曹源寺(豊明市)の龍喜和尚による開山で,尾張3代藩主徳川綱誠の室の新姫が母の千代姫の菩提を弔うために再興したといいます。弘法大師空海の母・御母公像が安置されているといい,大府七福神の女性の幸運を願う神という弁財天が祀られています。

阿弥陀寺
神田町6-54





 光善寺から東に戻って,水路を渡った先2つ目の筋を右手に入り,続く分岐を左に入って200mほど進み突き当りを左に進んだところに阿弥陀寺(真宗大谷派)があります。久遠山と号し,元禄10年(1697年)頃に正願寺(横根町)の僧教信が隠居所を寺にしたのが始まりといいます。元々は天台宗でしたが,のちに浄土真宗に転じて東本願寺名古屋別院(名古屋市中区)の末寺の阿弥陀堂と称し,明治元年(1868年)に阿弥陀寺と公称するようになったといいます。

近崎神明社
神田町6-112





 阿弥陀寺の前のT字路を曲がって東方向に150mほど進むと左手に近崎神明社があります。創建は不詳ですが寛文年間(1661〜73)の資料にその名がみえ,享保12年(1727年)と寛保3年(1743年)の棟札には光善寺の支配下にあったことが記録されているといいます。拝殿には三十六歌仙の俳額があるといい,かつてはうっそうとした社叢があったといいますが,伊勢湾台風で被害を受けたのちに再興され,現在の姿になったといいます。ここの近崎という地名はかつてこの付近が衣ヶ浦に面した岬だった名残といいますが,今は土地開発で完全に海から離れてしまいました。

山之神社(北崎町北屋敷)
北崎町北屋敷147





 近崎神明社から広い県道側に出て右折し,300mほど南下します。「内田面」交差点を右折して新幹線の線路沿いに200mほど進み,2本目の筋を左折して新幹線の高架をくぐって道なりに上り坂を100mほど進むと北崎町北屋敷の山之神社があります。創建不詳ですが,元和9年(1623年)に篠島(南知多町)から移住したという浜島次郎衛門により創建されたと伝わり,寛文年間(1661〜73)の文書に名前がみられるといいます。境内社の神殿は3柱を祀るといいますが詳細は不明で,そのうち一つは神田神社とも称され平将門が祀られているとも伝えられているといいます。



 入口左側にある社宝の山之神社祭礼山車[市民俗]は高さが約5m,寛政12年(1800年)に造られ,安政4年(1857年)に修復されたとの記録が残されているといい,明治末期までは横根村の祭礼に参加しており藤井神社の祭礼の際に引き出されていたといいます。現在は10月の神社の祭礼の際に奉納されます。





 山之神社から入口の筋を南下し,続く突き当りを左折します。さらに2本目の筋を右折して100mほど進むと右手に庚申寺(曹洞宗)があります。北辰山と号し,天保10年(1839年)に創建されたといい,いわゆる庚申信仰により生まれた寺院といいます。

賢聖院
北崎町北屋敷22





 庚申寺の先の十字路を左折して100mほど進むと左手に賢聖院(曹洞宗)があります。北島山と号し,永禄7年(1564年)に創建されたといい,弘化2年(1845年)に再興されたと伝わります。その後,曹源寺(豊明市)の住持を勧請し末寺になったといいます。本尊は釈迦如来で,境内の観音堂には行基菩薩作という観世音菩薩が安置されています。また福徳を授けるという大府七福神の布袋尊が安置されています。

極楽寺(知多四国2番)
北崎町城畑112





 賢聖院から東に進んで次の十字路を右折し,100mほど進むと右手に極楽寺(浄土宗鎮西派)があります。法蔵山と号し,元和6年(1620年)に養誉善栄比丘によって緒川(現,東浦町)の善導寺の教導所として開創されたといいます。享保9年(1724年)に再興されたのち,現在の本堂が再建されたといいます。近隣住民の奉仕を受けて大正8年(1919年)に建立されたという弘法堂には,千人の信者が1人1体ずつ寄進したという千体地蔵が並んでいます。数えで2歳の時に弘法大師とともに祈願すると諸願が成就すると言い伝えられているそうです。



 極楽寺からさらに南に進んだところには,天王社と秋葉社が祀られています。この前の道は知多四国の遍路道になっており,昔ながらの雰囲気を感じさせます。

普門寺(知多四国3番)
横根町石丸95







 極楽寺の入口から300mほど南下した右手に普門寺(曹洞宗)があります。海雲山と号し,白鳳元年(673年)に流れてきた十一面観音木像を本尊として堂宇を設けたのが始まりという古刹です。当時は観音堂と称しましたが,のちに普門庵と改称し,元和年間(1615〜24)に曹源寺(豊明市)の3世雪山寿盛が曹洞宗の寺として再興したといい,天保年間(1831〜45)に本堂などが再興されたといいます。観音堂の厨子内に安置されている木造十一面観世音菩薩立像[市文化]は白鳳時代からの本尊といい,秘仏で17年ごとのご開帳といいます。また大府七福神の大黒尊天の霊場にもなっており,商売繁盛を願う人々も訪れるといいます。また境内にある石柱にはめこまれた輪状の石を回して所願成就を願う浄め石も見どころといいます。

薬師寺
横根町石丸19





 普門寺の山門と駐車場の間の道を西に200mほど進み,やや広い筋との十字路を右折すると,少し先の右手に薬師寺(曹洞宗)があります。紫雲山と号する普門寺の末寺で,当初は大日如来を祀る大日堂があったといいます。明治3年(1870年)に藤井神社の境内にあった薬師堂を境内に移し,昭和17年(1942年)に薬師寺と改号したといいます。薬師堂に安置されている平安時代作という木造薬師如来立像[市文化]は明治期に藤井神社から薬師堂とともに移されたものといい,彩色はほとんど剥落しているものの平安時代初期に見られる衣紋を持つなど貴重な文化財といいます。

(横根)藤井神社
横根町惣作20







 薬師寺から南方向に戻って150mほどそのまま進み,突き当りを右折すると50mほど先の左手に(横根)藤井神社があります。社伝によると建久2年(1191年)に源頼朝により勧請されたといいます。源頼朝はその前年に鎌倉から父義朝が亡くなった野間(美浜町)にその菩提を弔うために訪れ,その帰路にこの地に訪れて創建したと伝えられています。また別の説では,7世紀後半に創建されて頼朝がこれを再建したとも伝えています。神社の南には惣作遺跡という弥生時代から平安時代までの土器が出土した遺跡があり,製塩土器などが数多く採取されているといいます。海に近い小村が形成されていたと考えられ,その際に神社が設けられたとも考えられます。言い伝えではかつては境内に藤の老木があり,清水をたたえた井戸があったことから藤井神社と称したといい,現在も藤の井という井戸が残されています。棟札によると江戸時代は主にこの後に訪れる延命寺の支配下にあり,当時は横根地区周辺一帯の氏神として信仰を受けたといいます。明治9年(1876年)には横根地区にあった多くの社が合祀されたといいます。社宝に鎌倉時代作という藤井宮御酒瓶子[県文化]があります。これはお酒を献ずる器であり,鎌倉時代に神社が成立したことを証明する貴重なもので,現在は大府市歴史民俗資料館で公開されています。また境内とその周辺には,毎年10月第2日曜日に行われる祭礼の際に引き出される石丸組・中組・南組の藤井神社祭礼山車[市民俗]があります。石丸組は古風さと新しさを備え持つ江戸末期の作といい,中組は安政6年(1859年)に設けられた豊富な彫刻が特徴の山車といいます。また南組は天井に龍が描かれた江戸末期作と推定される山車といいます。祭礼の中では地元小学生によって神前に横根藤井神社祭礼三番叟[市民俗]が奉納されます。これは能を起源とする吉例の舞として庶民の間に受け継がれてきた郷土芸能といい,長らく途絶えていましたが平成になって復活したといいます。



 なお,藤井神社から東へ200m強,境川の西を流れる五ヶ村川のところには明治34年(1901年)に設けられた明神樋門があります。田の水を境川へ排水するために設けられたのが五ヶ村川で,境川に流れる小河川をくぐらせるために多くの樋門が作られたといいます。現在も当時の姿を残すのがこの明神樋門と南に位置する砂川樋門で,愛知県内で現存する人造石樋門としては初期のものといいます。

正願寺
横根町寺田1





 (横根)藤井神社の南側から南下して150mほど進むと,第一鳥居址碑があります。ここを直進して国道を渡り,さらに少し進んだ右手に正願寺(真宗大谷派)があります。雲光山と号し,文亀元年(1501年)に勝鬘寺(岡崎市針崎町)の門徒であった釈善明が,本願寺実如から贈られた尊像を本尊として開創したといいます。蓮如がこの地にやってきた際にたまわったという六字名号があり,これは火災に遭った際にも残った檀家から寄進されたものといいます。



 正願寺から400mほど進んで,左側に国道155号線の「折戸」交差点が見える付近の右手には横根城跡があります。梶川五左衛門が築城したが,築城前に放棄されたと伝えられています。案内板などがなく,少し高台になっている遺構らしきものが残るのみです。

大府市民体育館
横根町平地191





 横根城跡から道なりに100mほど進んで国道155号線に合流し,さらに100mほど進んだ川の手前の道を右折します。そのまま川沿いに100m強進むと右手に大府市民体育館があります。大府市制15周年を記念して昭和60年(1985年)に竣工した体育館で,健康都市・大府の体育館として市民にも活発に利用される施設といいます。各種大会も行われますが,特に大府市が力を入れているバドミントン競技に利用されることが多く,中学の県大会をはじめ,全国大会に利用されたこともあり,平成6年(1994年)の若しゃち国体のバドミントン競技の会場にもなりました。毎年10月には大府産業文化まつりの会場にもなって多くの人で賑わいます。隣接して横根グラウンドがあり,野球やサッカーが行われます。ウォーキングの休憩点としても活用できます。

山祇社(若草町)
若草町3-59





 大府市民体育館から川沿いを南下して国道155号線に戻り,200mほど進んだ十字路の次のT字路を左折し,道なりに進んで突き当りを左折します。100mほど先の突き当りを右折して続く筋を左折し,道なりに200mほど進むと右手に若草町の山祇社があります。江戸時代には山神2社とあり,稲荷社と山神社がともに祀られていたと考えられており,次に訪れる延命寺の支配下にあったといいます。嘉永2年(1849年)に稲荷社を合祀したと考えられており,明治11年(1878年)に山祇社と改称されたといいます。9月に行われる例祭では獅子屋台の山車が出て,町内を獅子が練り歩くといいます。

延命寺(知多四国4番)
大東町1-279 [公式HP(外部リンク→)]







 山祇社の先の筋を左折して南下し,国道155号線に突き当たったら右手の横断歩道で道路を渡ってさらに100mほど南下し,2本目の筋を左に入った先に延命寺(天台宗)があります。宝竜山と号し,鎌倉時代に盛祐上人に開山されたといいます。室町時代には藤井神社の別当寺として七堂伽藍を有する大寺院だったといいますが,大永年中(1521〜28)には焼失したといいます。その後享禄4年(1531年)に比叡山から慶済法印を招いて中興開山となり,天文2年(1533年)には後奈良天皇から寶龍山の勅額を賜ったといいます。その後,横根城主の梶川五左衛門や緒川城(東浦町)主の水野宗兵衛,さらには尾張藩からも寺領の寄進を受けて発展したといいます。
 古くからの寺院として寺宝も多く,入口にある文殊楼門[市文化]は楼上に文殊菩薩を安置する山門であることからその名前があり,総ヒノキ造りの立派なものです。5年の歳月をかけて天保11年(1840年)に竣工したといい,左右には七条仏師康慶作という仁王像が安置されています。他に鎌倉時代作という刺繍普賢菩薩像[県文化]をはじめとする6点の市文化財の絵画や,600巻すべてがそろい延命寺の起源を物語る資料の1つという紙本墨書大般若経,平安時代作といい金泥で大般若経が書写された紺紙金泥大般若経,客殿に安置されたヒノキの寄木造である木造阿弥陀如来坐像,室町後期に後奈良天皇から賜ったという勅額・附口宣案一対,この地域の歴史を今に伝えるうえで貴重な8通の延命寺文書[ともに市文化]などがあります(通常非公開)。境内には季節に応じた花が彩られ,昔ながらの落ち着いた空間を感じることができます。

熱田神社
朝日町4-26





 延命寺から西に戻って南下してきた道を再び南下し,続く筋を右折します。200mほど進んだ左手に熱田神社があります。日本武尊をまつり,この地は景行天皇の40年(110年ころ)に日本武尊が東征した際に休息した場所といいます。嘉吉元年(1441年)にその伝説の地に永井七兵衛が創建したのがはじまりといいます。江戸時代は村神社として延命寺の支配下にあったといい,その後変遷があって昭和40年(1965年)に熱田神社と称しました。江戸時代は小さな境内でしたが,土地の寄進が相次いで現在は広大な社域を誇り,子供の憩いの場ともなっています。



 熱田神社から南下して,神社を左手にぐるりと左に回り込むように進んで県道に戻ります。ここを右折して,続く筋を右折すると,少し先の駐車場のところに桟敷貝塚の標柱があります。大正時代に貝層が確認され,昭和37年(1962年)の工事の際に土器や石器,貝類などが発見されました。昭和56年(1981年)の調査では周辺の畑にも貝層があるのが確認されているといいます。大府市歴史民俗資料館に出土品は保管されています。

専唱院
朝日町4-139





 桟敷貝塚から100mほど進んで次の筋を右折し,さらに100m先の十字路を左折した先に専唱院(浄土宗鎮西派)があります。名号山と号し,創建は不詳ですが元々は小庵で,天正年間(1573〜92)に善導寺(東浦町)の伝誉周源が寺にしたといい,法然筆という「南無阿弥陀仏」の名号を守っていたことから山号をつけたといいます。また付近の木の下にあったという如意輪観世音菩薩の木像を奉安して創建したとも伝えられているといいます。境内には大正12年(1923年)に安置されたという波切不動明王(航海安全に特に霊験がある)があり,多くの信仰を受けている様子が伝わります。四国直伝弘法の第11番札所に指定されています。

おしも井戸
朝日町5-53付近



 専唱院から50m強進んで広い筋に突き当たったら左折します。その先の「朝日町二丁目」交差点の北におしも井戸があります。昔,弘法大師がこの地を訪れて宿を求めた際,おしもという盲目の老婆が寝床を提供しました。そこで弘法大師はお礼にと,手に持っていた杖を地面に突き立てると,みるみる清水が湧いたといいます。老婆がその清水で目を洗うと,たちまち目が見えるようになったといいます。それ以来,この井戸をおしも井戸といい,多くの村人や行き交う旅人にも利用されるようになったといいます。

(朝日町)八幡社
朝日町1-262





 おしも井戸のある「朝日町二丁目」交差点から北に戻り,50mほど先の左手の一方通行の路地に入ります。そのまま100m強先の2本目の八幡社参道の案内のあるT字路を左折して100mほど進み,JRの線路を越えた先に(朝日町)八幡社があります。創建は不詳ですが,江戸時代の村絵図に若宮八幡宮と称し延命寺の支配下にあったことが記され,明治以降に八幡社と改称されたといいます。往時は広大な社域を誇り,うっそうとした松林があって琴のように松が奏でる音がしたことから,琴園と呼ばれたといいます。明治19年(1886年)の鉄道開通以降,境内は狭められて社殿移転の話も出たそうですが,草創以来の社地からの移転を惜しむ声が上がり,現在のように整備されました。境内社には山ノ神社,秋葉社,下居土社,稲荷社があるといい,かつての広い境内を想像しながらお参りするのもいいでしょう。

高山古墳
中央町4-347付近



 八幡社から一方通行の筋に戻って,さらに北上します。300mほど進んで国道155号線の高架をくぐった先の左手に高山古墳があります。元々標高13mほどの丘だったのが,大正時代に偶然巨石と遺物が発見されたといいます。現在設けられている「古墳之趾」「三樹魂」という石碑はその際に出土した石を利用したと伝えられています。現在は墳頂には高山古墳神社が鎮座しています。大府市歴史民俗資料館には高山古墳から出土したという鏡や鉄鏃,土器が保管されています。

ゴール:JR東海道線・大府駅





 高山古墳からそのまま線路沿いを300mほど北上すると,ゴールのJR東海道線・大府駅があります。大府駅は市の中心駅で新快速まで停車します。新快速・快速・区間快速で名古屋駅までは約14〜16分で行くことができます。本数も1時間に4本程度なので便利です。

写真使用数:60

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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