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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県東浦町:森岡コースMORIOKA

2018年9月探訪。2018年11月13日作成

【コース】 距離:約7.2km
 町北部の森岡地区は織田信長と今川義元が争った村木砦跡の戦いの史跡を中心に見所が点在しています。ぶどう狩りなどの自然風景も楽しめます。

≪コース≫ JR・尾張森岡駅〜おしゃくぢさん〜開眼寺〜臨江寺跡・村木大地蔵〜八剱社・村木砦跡〜子安地蔵〜海印寺〜飯喰場〜森岡自然公園〜経塚の六地蔵〜村木神社〜妙法寺〜極楽寺〜ぶいぶい婆の墓〜金鶏山古墳遺跡〜JR・尾張森岡駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:JR武豊線・尾張森岡駅



 今回のスタート駅はJR武豊線の尾張森岡駅です。大府駅から武豊線を利用して1駅2分で行くことができます。名古屋駅からは直通の区間快速で約25分,大府駅で快速から乗り換える場合は約30分の所要時間をみておくといいでしょう。電車の本数は30分に1本程度です。

おしゃくぢさん
森岡取手118-4付近



 尾張森岡駅から出て北側の筋を左手に進み,先の「森岡駅西」交差点を右手に入ったところにあるJAの駐車場の北側にはおしゃくぢさんが祀られています。自然の神が具現化されて信仰の対象となった石神が祀られており,厄払いの民俗信仰として崇められているといいます。かつてこの付近は海の玄関にあたる場所といい,ほかに森岡地区にはもう1社が祀られているといいます。

開眼寺
森岡段上7





 「森岡駅西」交差点に戻り,西へ100mほど進むと右手に開眼寺(曹洞宗)があります。大悲山と号し,1596年没という秀岳栄公の開山にて創建されたといいます。古くは慈眼庵と称し,宝暦5年(1755年)に開眼寺と改称され,明治10年(1877年)に乾坤院から独立した寺になったといいます。本尊は如意輪観世音菩薩で,境内に稲荷社と地蔵堂があり,地蔵堂には享保15年(1730年)の供養仏の銘のある地蔵菩薩が安置されているといいます。

臨江寺跡・村木大地蔵
森岡段上23





 開眼寺から100m弱進んだ2本目の筋を右折し,少し進んだ右手には臨江寺跡の公園があり,村木大地蔵がまつられています。臨江寺は緒川乾坤院の末寺という曹洞宗の寺院で,永禄6年(1563年)の創建だったといいます。村木村と対岸の熊村間の渡し船をこの寺が司っていたといい,明治5年(1872年)にはこの寺を仮校舎として学校が設けられたといいます。しかし寺が廃寺となって広場になり,昭和57年(1982年)に村木大地蔵がこの地に移されました。地区には旧臨江寺のものという阿弥陀如来画像[町文化]があり,箱書きには文禄3年(1594年)に寄進された旨があります。画像は東浦の5つの地区で輪番で行われている東浦五ヶ村虫供養行事[県民俗]の森岡地区が当番の際に掲げられているといいます。この虫供養行事は400年の歴史があり,秋の彼岸に農業のために犠牲になった虫を供養する行事で,阿久比・知多・常滑とともに県の民俗文化財に指定されています。本尊の阿弥陀如来図[町文化]は麻本着色で,慶長7年(1602年)以降4回にわたる表装の修復が記録されているといいます。
 村木大地蔵は,村の一ツ池から現れたという像高75cmの地蔵が安置されたものといい,元々は野ざらしだったのが恵心僧都が像に修正を加えてお堂を建てたといいます。慶長9年(1604年)に村の中央に移転し,村中からの信仰を集めて地蔵の命日は市も出て,老若男女が競って参詣したといいます。享保18年(1733年)に庄屋の浜島惣助によって再建され,以降修復を重ねてきましたが老朽化が進んだために現在地に再建されたといいます。

八剱社・村木砦跡
森岡取手30



 臨江寺跡の広場の北側から出て右手に進み,先の突き当りを左折します。さらに100mほど北上して県道に到達したら,横断歩道を渡ってその先を右手に進みます。なお,この横断歩道付近には東浦名物の和菓子を販売している松華園の支店があるので,立ち寄ってもいいでしょう。





 横断歩道から東へ50mほど進んで先の分岐を左に入ったところに八剱社があります。村木砦のあった場所に,元亀2年(1571年)に緒川城主水野信元の代官清水家重が戦死者の霊をなぐさめるために建立したと伝わっており,境内には村木砦跡[町史跡]の碑と村木砦の戦いの案内板があります。この地にはあった村木砦は天文22年(1553年)にこの地方に勢力を伸ばしていた今川義元により建てられたものといい,織田方についていた緒川城の水野信元を攻略するために設けられました。当時,この地は海に突き出た岬だったといい,支配下に置いた重原城を拠点に物資を船で運搬し砦を築いたといい,東西約240m,南北約150mの馬蹄形の地形が残されているといいます。それに対して織田信長は翌天文23年(1554年)に美濃の斎藤道三の支援を得て水野信元とともに村木砦を攻めました。これが村木砦の戦いになります。当時最新の鉄砲などを利用した織田・水野軍が砦を攻めて降伏させ,当時21歳であった信長の勝利となりました。信長はその後,清須・岩倉城を攻略して尾張を統一し,桶狭間の戦いで今川義元を破って天下統一の礎を築くことになります。境内には縄文時代から中世にかけての貝塚である森岡貝塚があります。



 八剱社から県道の横断歩道に戻り,そのまま100mほど北上した右手には取手貝塚があるといいます。ただし案内板などは設置されていません。かつては海のそばだったと考えられるこの付近は,人々の生活の拠点となっていたことがうかがえます。

海印寺
森岡郷一色3



 県道をさらに進んだ次の横断歩道のところを左折し,続く筋を右折して100m強進んだ次の筋を左折します。そのまま道なりに150mほど進んだ突き当りの右手には子安地蔵が祀られています。毎年夏には地蔵盆が行われ,安産の神様として地域の人々に信仰されています。





 子安地蔵のところから南に100mほど進んだ右手には海印寺(曹洞宗)があります。正高山と号し,月正心公(1444年没)を開山として創建され,文明19年(1487年)に乾坤院(緒川地区)の授戒会にも海印庵の名前が見え,当時は乾坤院の支配下にあったといいます。明治初年に独立し,明治12年(1879年)ころの大火で焼失しましたが,明治35年(1902年)に現在の建物が再建されたといいます。本尊は如意輪観世音です。この付近に首塚と呼ばれる墓地があり,これは織田と今川が争った村木砦の戦いの際に戦死者を埋葬した場所と伝えられています。

飯喰場
森岡中町25-6



 海印寺から北に戻って150mほどの2本目の細い筋を左折し,100m弱進んで広い筋に突き当たったら左折して,続く筋を右折して池を越えた先の左手にある森岡新池公園の前には飯喰場の案内板があります。天文23年(1554年)に村木砦の戦いで勝利した織田信長が兵士たちに言葉をかけ,戦勝酒宴を催した場所といいます。



 ここからしばらくは住宅地の中の道を通っていきます。森岡新池公園を左に見ながらまっすぐ進み,200mほど進んだ大池南公園のところを右手に入ります。100mほど進んだ突き当りを左折して新しい住宅地の道を進んでいきます。

森岡自然公園
森岡森の里77





 大池南公園から進んで広い道に出たところから400mほど森岡台団地を進んだ左手には森岡自然公園があります。団地の南に設けられた広さ1.06haの公園で,自然の地形を生かして整備されています。道路沿いに桜並木が整備されるなど地域の人々の憩いの場になっています。森岡自然公園の先の信号を左折し,400mほど進んだ「下申間」の交差点を左折します。





 そのまま300mほど進んだ左手には北部グラウンドの駐車場があります。奥に進んだ先のグラウンドは地域のスポーツ活動の場になっています。また,ここには観光・農業センターが設けられており,ぶどう狩りなどの季節には収穫体験ができる農園などの案内所になります。



 さらに200mほど進んだ岡田川を渡る橋の手前を左折し,川沿いの道を進みます。この付近の左岸には桜並木も整備されて春にはきれいな花が彩ります。

経塚の六地蔵
森岡中町



 北部グラウンドの南から岡田川沿いの道を1.0km強進み,次の橋のところを左折して300mほど北上して上り坂を進み,「森岡中町」交差点を右折します。この付近は大府市と東浦町にまたがるウォーキングコースであるウェルネスロードに指定されていて,案内板も設けられ高台からの景色も楽しめます。





 「森岡中町」交差点から100mほど東に進んだ左手の共同墓地の中には経塚の六地蔵が祀られています。この六地蔵の首を折った若者がたたりにあって,毎晩眠れなくなったという民話が語り継がれています。六地蔵の裏には新しい六地蔵も祀られており,これは古い六地蔵の前に祀った際にやはりたたりがあったため,裏に移されたと語り継がれています。



 経塚の六地蔵から100mほど進んだ左手の路地に入ったところには山之神社がまつられています。

村木神社
森岡天王西27





 山之神社から県道を100mほど東に進んだ右手に村木神社があります。大正2年(1913年)にこの地にあった津島社(天王社)に八幡社が合祀されて,村木神社と改称されて成立しました。津島社の創建は不詳ですが,延徳3年(1491年)社殿再建の棟札があり,天文23年(1554年)の村木砦の戦いの際は織田信長がこの地に本陣を定めたといいます。また今の森岡保育園の場所にあった八幡社は永禄4年(1561年)に緒川城主水野信元の代官清水八右衛門家重が創建したと伝わっています。毎年秋には村木神社おまんと祭り[町民俗]が行われます。これは東浦町内各地区で行われるおまんと祭りの1つで,鈴をつけられた馬が神社の境内を疾走する伝統的なお祭りで,馬と共に疾走する若い衆の「ハイヨー」という若い衆の掛け声も見ものとなっています。森岡の村木神社で行われるものは他の地域に比べて馬の数が多く,保存会の組織も確立されて見どころが多いといいます。祭りの際に飾り馬に用いる馬道具[町民俗]8点のうち,水引・障泥(あおり)には安政3年(1856年)の銘と下絵の作者名も記されているといいます。本殿北側には富士塚という地区にかつて祀られていたという富士塚供養碑群があります。これは富士・立山・白山などの登拝供養碑といい,江戸から明治にかけて三山登拝が盛んだったことを物語るものといいます。

妙法寺
森岡杉之内46





 村木神社の東側から出て右に進み100mほど南下すると,右手に妙法寺(曹洞宗)があります。瑠璃光山と号し,1554年没という還叟丹公を開山として創建されたと伝わりますが,延徳3年(1491年)の乾坤院(緒川地区)の記録にも名前がみられるといい,明治9年(1876年)に乾坤院から独立した寺格になったといいます。昭和34年(1959年)の伊勢湾台風により墓地の土手が崩壊し,中から2基の宝篋印塔と中世の陶器が出土し,妙法寺古墓と呼ばれているといいます。



 妙法寺から先の左手には森岡コミュニティセンターがあります。この地区の住民の交流の場になっており,ウォーキングの際のトイレの利用も可能なようです。また,コミュニティセンターの東側の池の南側には,かつて村神社が設けられていたといいます。

極楽寺(知多四国7番)
森岡岡田51







 森岡コミュニティセンターの東側の池を越えた先を左折して池沿いの道を道なりに100mほど進み,突き当りを左折して続く筋を右折すると少し先に極楽寺(曹洞宗)があります。彼岸山と号し,永享2年(1430年)に玉海通公和尚の開山といいます。戦国時代には尾張と三河の境という政情が不安定な場所だったたけに,武士の宿坊としても利用されたといいます。明治6年(1873年)に乾坤院から独立した寺となり,昭和55年(1980年)には同じ地区の臨江寺を合併しました。本尊は阿弥陀如来で,境内の薬師堂には薬師如来も祀られています。また願いがかなうと地蔵が軽くなるよいう抱き地蔵も知られ,合格祈願などに訪れる人も多いといいます。境内東側の土手には樹齢300年以上という極楽寺の楠[市天然]があり,東浦町で2番目の巨木といい寺のシンボル的存在となっています。

ぶいぶい婆の墓(岡田貝塚)
森岡岡田66付近



 極楽寺の東側の十字路を左方向に進み,続く突き当りを左折します。さらに100mほど進んだ次の筋を左折した少し先の左手にぶいぶい婆の墓があります。森岡地区で最も古い墓の1つよいい,「寛文9年(1669年),圓窓羆道居士覚霊」と墓碑銘に刻まれているといいます。「ぶいぶい」とは綿から糸を紡ぐ音からきたものといい,糸を紡いでいた婆が供養していた墓と伝わっています。ここには縄文時代以降の貝塚があり,塩をつくるための製塩土器も発掘されているといいます。かつて衣が浦の海に近かったこの付近は早くから集落が形成され,多くの貝塚が設けられましたが,ここもそのうちの1つになっています。

金鶏山古墳遺跡
森岡岡田74(森岡保育園前)



 ぶいぶい婆の墓から西に進んだ突き当りを右折し,すぐ次の筋を左に進んだ森岡保育園の前に金鶏山古墳遺跡の案内板があります。かつてあった古墳は高さ2m,直径10mの小円墳で,金の鶏が埋められていて大みそかの夜に鳴き声が聞こえたという言い伝えからこの名前がついたといいます。昭和5年(1930年)に当時尋常小学校であったこの地の校地拡張にために取り払われることになり,その際に5つの須恵器が出土したといいます。その須恵器は現在は東浦町郷土資料館に保存され,町の文化財に指定されています。須恵器の製作年代は6〜7世紀頃で,名古屋の東山付近にあった古窯で焼かれたものと考えられています。



 金鶏山古墳の案内板から東に戻って100mほど下り坂を進んだ交差点の左手に村木常夜灯跡の碑があります。かつて村木神社(旧津島神社)に向かう人々のために街道沿いに設けられていたものが,昭和19年(1944年)の東南海地震で倒壊したといいます。その跡地に平成19年(2007年)に常夜灯が再建されました。

ゴール:JR武豊線・尾張森岡駅





 村木常夜灯跡から東へ50mほど進んだ「森岡南」交差点を左折し,100mほど先の「森岡駅前」交差点を右折するとゴールの尾張森岡駅になります。大府駅までは1駅2分で,名古屋駅へは乗り換えを含めて30〜40分ほどの時間を見ておけばよいでしょう。本数は30分に1本程度なので,時刻を確認しておくといいでしょう。

写真使用数:37

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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