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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県半田市:乙川・有脇コースOKKAWA & ARIWAKI

2019年12月探訪。2019年12月27日作成

【コース】 距離:約10.9km
 乙川駅から乙川地区の社寺をめぐって北に抜け,北部の有脇地区に至るルートです。新旧の住宅地を抜けながら,地域信仰生きる社寺や山車蔵,知多四国霊場などをめぐります。

≪コース≫ JR・乙川駅〜パワードーム半田〜光照寺〜乙川八幡社〜法蔵院〜市杵島神社〜乙川白山神社〜半田ハリストス正教会〜若宮社〜海蔵寺〜七本木池公園〜大高山古窯〜大矢知神社〜かみや美術館〜福住寺〜蓮念寺〜真古酌の薬師水〜知多バス・日本福祉大学バス停


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:JR武豊線・乙川駅





 スタート地点となるJR武豊線の乙川駅へは,武豊線の電車を利用して東海道線との分岐駅である大府駅から約20分で来ることができます。名古屋駅からは約40分の所要時間(昼間などは大府駅にて乗り換え)となります。電車の本数は約30分に1本程度なので,電車の時間はあらかじめ調べておくことをお勧めします。乙川駅は明治19年(1886年)の武豊線開業当時は駅は設置されていませんでしたが,現在の名鉄河和線の開通に伴って,対抗策として昭和8年(1933年)に設けられました。中部国際空港開港時は,ここから連絡鉄道を建設して空港とを結ぶ計画もあったそうですが,建設費の高さなどから実現しなかったようです。無人駅ですが,乙川地区の住民が利用するため朝ラッシュ時は賑わうそうです。

パワードーム半田
乙川吉野町9 [公式HP(外部リンク→)]





 乙川駅から出て次の筋を左折し,150mほど進んだ「乙川新町」交差点を左折して少し進んだ右手に,パワードーム半田の入口があります。バロー半田店を中核店舗として,エディオンや服部家具センターなどの店舗が入るショッピングセンターで,ドーム型の建物が特徴です。元々は平成2年(1990年)にオープンしたヤオハンを核店舗としたネクステージ半田としてオープンし,平成14年(2002年)に現在の形にリニューアルオープンしました。ウォーキングの際の準備に利用してもいいでしょう。

光照寺(知多四国18番)
乙川高良町120







 「乙川新町」の交差点に戻り,さらに北へ100mほど進むと右手に光照寺(時宗)があります。開運山と号し,寺伝によると興国3年(1342年)に源親房の援助により創建されたと伝わっていますが,その後200年余りは記録がないといいます。弘治元年(1555年)に天誉白応和尚により再興されて,白応院と称していたものを光照寺と改めたといいます。この当時は八幡社前の海辺にあったものが,天明年間(1781〜89)に洪水が起こったため,現在地に移転して文化8年(1811年)に現在の堂宇が建立されたといいます。十一面観世音菩薩と弘法大師が祀られている観音堂は二重の層塔にも思われる特徴的な建物で,当時は二重の層塔建築が許されていなかったものの,尾張藩家老成瀬隼人が「庇を付ければ塔にあらず」という名裁定を受けて建立されたといいます。また観音堂の左の地蔵堂には,清水次郎長が相撲の決闘前に勝利の願掛けを行ったという次郎長地蔵が安置されているといいます。元々道端のあったものが,明治の道路拡張の際に境内に移されたものといいます。

乙川八幡社
乙川殿町97



 光照寺の南側の細い筋を東へ道なりに200mほど進み,突き当りを左折して100mほど進むと,毎年3月の乙川祭礼行事の際に曳きだされる南山八幡車の山車蔵があります。祭礼行事の際に曳きだされる4台の山車のうちの一つで,天保年間(1830〜44)の建造といいます。からくり人形は近年まで復元されませんでしたが,平成19年(2007年)に役小角(えんのおづぬ)大峯桜の人形が復元されました。これは大峯山の赤鬼を法力を持った役行者がこらしめ,桜の花びらが舞い散る中,はるか谷底まで降りる法力を披露するというものといいます。







 さらに100mほど進むと左手に乙川八幡社の参道の入口があります。参道を進んで神社の方に進んでいきましょう。乙川村の氏神として篤く信仰されている乙川八幡社は,創建時期は不詳ですが,大永2年(1522年)に再建されたことが市内最古という棟札からわかっています。当時は「入水上社」といわれ,寛永元年(1624年)には「入水八幡宮」と言われていましたが,文政9年(1826年)には「八幡宮」と言われ,明治13年(1880年)に拝殿を再建した際には八幡社と呼ばれていたといいます。平安時代の延喜式神名帳に記載されている「入水神社」は当社と推定されており,現在も入水上神社の標柱などが設けられています。大正4年(1915年)に現在の乙川白山公園に祀られていた白山神社が合祀され,8柱が祀られてることになりました。
 文化財も多く有しており,文政9年に八幡宮御本社として再興されたという本殿[市文化]は,尾張藩御用彫刻師である早瀬長兵衛吉政によるという彫刻が施された立派なものといいます。他にも宝暦5年(1755年)に作成され,尾張藩の神事祭礼を報告するためのものという祭礼絵図1巻[市文化],文政3年(1820年)に乙川村内全祠の社地測量図である社地絵図面1巻[市文化],豊作や雨乞いなどを祈願した絵馬群9面[市民俗]などがあります。また,現在毎年3月に行われている乙川祭礼行事[市民俗]は,古くは旧暦の正月15,16日(現在の2月上旬ごろ)に行われ,寒い時期の「糸切り風」と呼ばれた寒風が乙川の名物でもあったといいます。神輿に乗った神様が乙川八幡社から御旅所である若宮八幡社へとお渡りになり,翌日お帰りになるもので,この時に神様を守るために打ち囃子が出され,山車4台が曳きだされます。知多型の山車でも最大級の大きさを誇るという4台の山車の曳き回しが見所で,急坂を下りる坂下ろしは難易度が高く成功すれば拍手がわき上がったといいます。



 乙川八幡社の入口から西には殿海道山源氏車の山車蔵があります。山車は嘉永5年(1852年)の建造といい,大正10年(1921年)と昭和24年(1949年)に改造が行われているといいます。かつては紅葉狩りからくり人形が飾られていたといいますが,現在はないといいます。



 また乙川八幡社の北側から出て進んだところには秋葉社が祀られています。火防の神様が祀られており,村の安全を見守り続けています。



 乙川八幡社から西に進んで,バス通りに出たら右折します。すると少し進んだ左手の知多信用金庫乙川支店前には,豊田自動織機発祥の地の碑があります。明治28年(1895年)に石川藤八と豊田佐吉が共同で「乙川綿布合資会社」を設立し,豊田式自動織機を発明・稼働させたのはまさにこの場所といいます。ここで作られた高品質の織物と新型の織機は全国の注目を集め,現在に続く「世界のトヨタ」への発展の礎がここで築かれたといいます。

法蔵院
乙川市場町1-67





 知多信用金庫乙川支店から100mほど北上して,信号の1つ手前の筋を右折して少し進むと法蔵院(西山浄土宗)があります。東林山と号し,創建は不詳ですが当初は天台宗か真言宗だったと考えられ,慶長4年(1599年)に分川玄波和尚により開山されたといいます。本尊は阿弥陀如来で,観音堂は知多百観音の10番札所といい,祀られている千手千眼観音菩薩は京都西山の揚谷寺の本尊の分身で眼病に霊験があると伝えられています。大正14年(1925年)に設置された法蔵院説教所が廃寺になったため,現在は知多四国直伝弘法の第20番・21番札所となっています。

市杵島神社
向山町1-126





 法蔵院の北側の出口から出て右手に進み,そのまま450mほど進むと左手には池の中の島に設けられた特徴的な市杵島神社があります。創建は不詳ですが,現在は向山地区の中心的な神社になっています。毎年3月に行われる向山神楽獅子神事[市民俗]は,現在は向山地区単独で行われる神事になっていますが,宝暦5年(1755年)の乙川山車祭礼絵図では先頭を行く獅子が描かれており,かつては乙川八幡社の祭礼に奉納されていたといいます。大正7年(1918年)からは向山単独で行われるようになり,子ども神輿が町内を練り歩くほか,神社にて獅子舞の奉納や獅子館の供覧が行われます。この向山神楽獅子館[市民俗]は明和4年(1767年)に横松の大工が製作したもので,安永7年(1778年)には名古屋の塗師赤林芳治郎によって塗りが施されて完成したといいます。

乙川白山公園
乙川源内林町1-43



 法蔵院の北側まで戻り,さらに西に進んだ交差点を右折し,100mほど進んだ2本目の筋を左折します。そのまま150mほど「乙川西ノ宮」交差点を過ぎて進むと池のほとりにお地蔵様が祀られています。







 このお地蔵様を過ぎて桜並木を進み,次の分岐を右に進むとその先には津嶋神社が祀られています。創建などは不詳で,「尾張志」などにも記載がない神社といいます。





 津嶋神社の左手の道を200mほど進むと乙川白山公園があります。乙川八幡社に合祀された白山神社があった場所に昭和44年(1969年)に整備された公園といい,春には桜の名所としても有名です。展望台もあって景色も楽しめ,トイレなども整備されているのでウォーキングの休憩地点としても利用でき,ゆっくりと過ごしたい公園です。



 乙川白山公園には様々な碑が設けられています。このうち明治天皇駐蹕御趾(ちゅうひつぎょし)の碑は,明治23年(1890年)に明治天皇が第1回の陸海軍の大演習をこの地から統監したことを記念して設けられたもので,隣接して明治天皇乙川御野立所の碑も昭和10年(1935年)に設けられたといいます。また巨大な明治天皇御統監40周年記念碑が昭和5年(1930年)に設けられており,塔部には「五箇条の御誓文」が記されています。その他にも日清戦争従軍記念碑や戦争犠牲者の慰霊碑なども設けられており,乙川の近代の歴史を感じられるようになっています。碑には最近になって解説板も設けられました。

半田ハリストス正教会
乙川西ノ宮町3-33





 津嶋神社のところに戻り,今度は神社の右手の道を北上すると50mほど先の右手に半田ハリストス正教会があります。半田におけるギリシャ正教の教会で,現在は月1回程度名古屋から司祭が訪問し,礼拝が行われているといいます。明治時代にギリシャ正教が日本に伝わった際,知多半島は海上交通の拠点だったことから多くの信徒が生まれ,最盛期には5つの正教会があったといいます。戦前には半田の中心部とこの乙川に会堂がありましたが,後に統合されて現在では半田で唯一のギリシャ正教の教会になっています。奥に設けられている聖イオアン・ダマスキン聖堂[市文化]は,大正2年(1913年)に落成した木造教会で,十字架の鬼瓦が飾られた和風建築の教会は全国でも珍しく,アーチ状の天井を残すなど当時の宗教史や建築史を知るうえで貴重な建物といいます。また,教会の奥の神父だけが入れる至聖所と信者が礼拝する場所を仕切る壁である聖障(イコノスタス)[市文化]は,聖母マリアや四人の使徒,最後の晩餐などの美しいテンペラ画や油絵が壁一面に描かれているといいます。

若宮社
乙川若宮町38



 半田ハリストス正教会から先の分岐を右に進み,さらに100mほど進んだ次の筋を右折して200mほど道なりに進むと,やや広い通りを過ぎた先に若宮社があります。創建などは不詳ですが,古くから乙川八幡社および乙川の祭礼行事に深く関係した神社といい,先に述べた八幡社の祭礼絵図でも,若宮八幡と称し乙川の祭礼行事の際に神輿が訪れる御旅所だったといいます。現在も3月の乙川祭礼行事の際に,山車が訪れる御旅所になっています。





 若宮社から細い道を100mほど南に進んだところには香取社と西山神楽車の山車蔵があります。香取社は創建は不詳ですが,別名で毘沙門ともいい,江戸時代は香取大明神と呼ばれたといいます。また西山神楽車は天保年間(1830〜44)の建造といい,明治43年(1910年)と昭和25年(1950年)に修理が行われているといい,昭和49年(1974年)に復活した桜の枝につるされた綾をつたって渡っていくからくり人形が備わっているといいます。





 若宮社の右手の常夜灯のある道を抜けて北上した先の左手には,浅井山宮本社の山車蔵があります。安政6年(1859年)建造という山車であり,平成9年(1997年)に復活したという唐子遊びのからくり人形が備えられているといいます。

海蔵寺(知多四国番外札所)
乙川若宮町25





 浅井山宮本社の山車蔵から東へと進んだ先には海蔵寺(曹洞宗)があります。清涼山奥の院海蔵寺と号し,寺伝によると延徳元年(1489年)に華草栄香大和尚による開基といいます。2世田翁和尚は神通力を持つ名僧で,高野山に発生した大火を神力により消し止め,そのお礼として高野山から今も寺宝として残る蓮糸の法衣が贈られたといいます。明治中期には霊場会の発足に際して運営と援助に尽力し,その結果明治42年(1909年)に奥の院として知多四国霊場の番外札所に加えられました。また四国直伝弘法22番札所,東海四十九薬師霊場の46番札所にも指定されています。折衷様と呼ばれる本堂には,本尊の釈迦牟尼仏と文殊菩薩,普賢菩薩が祀られているといいます。

七本木池公園
一本木町3-107



 海蔵寺の南側から出て,すぐ左手の筋に入って道なりに150mほど進みます。突き当りを左折して100m強進むと,住宅地を流れる稗田川を渡って進みます。この川沿いにも遊歩道が整備されています。



 稗田川を渡ったらそのまま直進して,広い筋を左手の横断歩道で渡ってさらに住宅地を500m弱進み突き当りを右折すると100mほど先に大池神社があります。昭和20年(1945年)に住吉神社(半田市住吉町)から水の神・雨乞いの神である八大龍王を勧請して創建されたといい,その後神社南側の県道の拡張工事にともなって現在地に移されたといいます。







 大池神社の右手から七本木池の周囲に整備されている遊歩道が伸びていますので,この遊歩道を進んでいきます。七本木池は,江戸時代に平地新田を開発する際に平地川をせきとめて設けられたため池で,江戸時代の記録では当時からこの池が七本木池と呼ばれていたことや,池の西に松の大木があったことが伝わっています。現在は池の周辺には公園や遊歩道が整備され,住民の憩いの場になっています。トイレも整備されているので,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。





 七本木池公園から遊歩道を北上して公園を北西側から出て,すぐ北の「上池町」交差点まで進むと,その北側には上池が広がっています。池の自然を感じながらゆっくりするのもいいでしょう。「上池町」交差点を左折して続く筋を右折すると大高街園があります。現在,池の周りに遊歩道や公園を整備するための工事が行われています。

大高山古窯
上池町2-23-4





 上池西側の大高街園から北側の十字路を左折し,100mほど進んだ次の十字路を右折します。さらに300mほど進んだ3つ目の筋を左折して200mほど進むと,右手に大高山古窯[県史跡]があります。鎌倉時代と推定されているあな窯で,窯全体が流土によって埋没したためにほぼ完全な形で現在まで保存された貴重な文化財といいます。山茶碗を中心に山皿などの遺物も発見されているそうです。知多半島には判明しているだけで常滑などを中心に900基以上の古窯跡があるといいますが,多くが開発により壊滅に瀕しており,知多古窯の構造を知る上で貴重な文化財といいます。





 大高山古窯から先3本目の広い筋との交差点の1つ手前の筋を右折して道なりに300m弱北上し,その先の分岐を左手の下り坂に進みます。その先の筋で左手の直進方向に進む筋に入り,道なりに200mほど進んで右手に入ったところには大矢知神社があります。





 大矢知神社からは東へ道なりに600mほど進みます。高台からの景色も楽しめる快適な道になっています。進んだ先の十字路を右折して,その先の川の手前の道を左折して川沿いに北上します。次の筋を右折して少し進むと幹線道路との「緑ヶ丘5丁目」の交差点に出てきます。

かみや美術館 [有料施設]
有脇町10-8-9 [公式HP(外部リンク→)]





 「緑ヶ丘5丁目」の交差点から幹線道路の県道を100mほど北上し,次の筋を右折してコンビニを左に見ながら200m強北上します。さらに次の十字路を右折して登り坂を200m強進むと,左手にかみや美術館が見えてきます。昭和58年(1983年)に弁護士の神谷幸之氏が設立したという個人美術館で,平和町にある新美南吉の養家(次の岩滑コースで訪問)を分館としています。アメリカやメキシコで活躍した北川民次の油絵や版画,水墨画を始めとして,明治以降の日本作家を中心とした油絵や版画,李鴻章による書画などを所蔵しています。年3回程度の企画展も実施されており,芸術を鑑賞しながらゆっくりとした時間を過ごすのもいいでしょう。



 美術館の周辺は,これも神谷氏が集めたという現代彫刻が並ぶ空間となっており,高台からは半田市街や遠く三河の山々なども眺めることができるスポットにもなっています。

(有脇)春日神社
有脇町10-21







 かみや美術館から100m弱進んで,かみや美術館駐車場の案内板にしたがって分岐を左に入った先には(有脇)春日神社があります。永仁6年(1298年)に勧請されたという旧春日社と,弘治元年(1555年)の勧請という八幡社がその前身といい,大正14年(1925年)に八幡社があった場所に旧春日社が合祀されて現在の姿になったといい,八幡神社の標柱も残されています。静かな雰囲気の境内ながら,隣接した保育園から平日は子どもの歓声も聞こえてきます。

福住寺(知多四国12番)
有脇町6-18





 (有脇)春日神社の境内から階段を降りて左手に進み,その先の突き当りを案内板にしたがって右折した先には福住寺(曹洞宗)があります。徳応山と号し,永禄2年(1559年)に緒川・刈谷を支配していた水野信元が,福住村(現,阿久比町)にあった喜蔵院をこの地に移して砦の鎮護としたのが始まりといい,寛文年間(1661〜73)に福住寺と改称したといいます。本尊は無量寿如来で,他にも喜蔵院時代の本尊という秘仏の聖観世音菩薩をまつった観音堂,明治初期に夢のお告げで三河大浜村(現,碧南市)から移されてきた千体地蔵堂,湧水が出ていて眼病に御利益があるという水弘法堂など様々な言い伝えが残っている寺といいます。寺の北入口には次に訪れる蓮念寺から平成19年(2007年)に移された大街道地蔵堂があります。昔,村人の弥次兵衛の幽霊が,「縁の下に隠した3両で蓮念寺の半鐘を」と訴えて夜な夜な現れ,半鐘を鋳造すると現れなくなったといいます。その弥次兵衛の慰霊のために建てられた地蔵が祀られているといい,鋳造された半鐘は”幽霊半鐘”と呼ばれて蓮念寺にあるといいます。

蓮念寺
有脇町11-65





 福住寺の裏手の入口から戻って,そのまま北東に続く道を200m強進んでいくと,左手に蓮念寺(真宗大谷派)があります。明光山と号し,寺伝によると草創の時期は不明ですが,寛永年間(1624〜43)に日下修玄により天台宗から真宗大谷派に改宗されたといい,宝暦年間(1751~64)に現在の伽藍が再建されたといいます。寺宝の”幽霊半鐘”は明和5年(1768年)の銘があり,村人の弥次兵衛が夜な夜な幽霊で現れて鋳造されたものといいます。

真古酌(まごしゃく)の薬師水
有脇町4-92付近





 蓮念寺の正面入り口からまっすぐ進んだ次の十字路を右折し,細い筋を400m弱進みます。その先の標柱のある筋を左折して東に進むと,100mほど先に真古酌の薬師水の入口があります。南下して清水の方に進んでいきましょう。言い伝えによると街道沿いの楠の大木の下から泉が湧き出ているのを見つけたものがいて,飲んでみると普通の水と違う味わいがあり,手足を洗うとすべすべしてなめらかになったといいます。この泉の話がやがて広がっていき,中には皮膚病に効くとして遠くからも水を汲みにやってきたといいます。江戸時代の半ばには,有脇には多くの造り酒屋があったといいますが,酒の積み出しと共にこの水も千石船で江戸まで送られるようになり,評判になったといいます。この泉のそばには薬師堂が建てられ,薬師水として多くの人に利用されたといいます。台風の被害でいったんは泉は使えなくなってしまいましたが,区民の力によって修復されて,今でも半田の名水として多くの人が水を汲みに来るといいます。



 真古酌の薬師水から西に戻って,道なりに左に進んで上り坂を進んでいきます。この登り坂は念仏坂と地元では呼ばれています。

ゴール:知多バス・日本福祉大学バス停





 念仏坂を進んで400mほど道なりに進むと「有脇町2丁目」交差点で広い筋に合流し,さらに200mほど進んだ「東生見町」交差点を左折します。さらに100m強進むと左手に日本福祉大学半田キャンパスがあります。福祉大学の草分け的存在として知られるという日本福祉大学ですが,この半田キャンパスは平成7年(1995年)の開設といいます。情報社会科学部が設置されており,並木も美しいキャンパスになっています。



 日本福祉大学半田キャンパスの先の信号を渡って道路の反対側に出たところに,ゴールとなる知多バスの日本福祉大学バス停があります。ここが起点となる知多バスの半田北部線を利用することができ,スタートしたJR乙川駅まで約14分,名鉄の知多半田駅まで約29分で戻ることができます。本数は1時間に1~2本なので,時刻はあらかじめ調べておくといいかもしれません。

写真使用数:63

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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