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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県知多市:旭コースASAHI

2018年8月探訪。2018年8月31日作成

【コース】 距離:約11.9km
 市南西部の旭公園や四季桜の里などの自然を楽しみ,大興寺や大智院など大野谷の名刹や大草城跡など歴史・文化を感じる名所をめぐります。

≪コース≫ 名鉄・新舞子駅〜知多市こども未来館〜稲荷神社〜桂林寺〜旭公園〜四季桜の里〜大興寺〜矢田坂稲荷社〜南粕谷ハイツ〜大智院〜貴船神社〜随應寺〜普明院〜八社神社〜地蔵寺〜大草城跡(大草公園)〜慈光寺〜名鉄・大野町駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄常滑線・新舞子駅





 前コースと同じくスタート駅は名鉄常滑線の新舞子駅で,特急も停車するためアクセスは便利です。中部国際空港行を利用して名鉄名古屋駅から特急で約25分,準急は約35分です。本数は特急・準急ともに日中は30分ごとの運転です。新舞子駅の東口から出てスタートしましょう。

知多市こども未来館
旭南1-1 [公式HP(外部リンク→)]





 新舞子駅東口から左手に進んだ「新舞子駅前」交差点を右折して300mほど進み,国道155号線を渡ると少し先の左手に知多市こども未来館があります。子ども向けのふれあいコーナーが設けられているほか,ホール,工作室,展示室などを備えた子ども向けの講座や発表会の会場となっています。この地区のウォーキングの拠点にもなっていますので,休憩などにも活用できるようです。

稲荷神社
金沢稲荷山32



 知多市こども未来館から東へ100mほど進んで細い筋へそのまま進み,その次の筋を左折して100mほど進むと稲荷神社があります。創建は不詳ですが長寛元年(1163年)の棟札があることから古社であると考えられ,かつては稲荷祠と称したといいます。境内には樹齢150年ともいわれる高さ13mにおよぶマメナシ[市天然]がそびえています。別名イヌナシともいわれ,春の桜に少し遅れて白い花を咲かせます。マメナシは日本では東海地方のみに自生し,氷河期の残存植物ともいわれ野生ナシの中でも古い形式を有するといいます。

桂林寺
金沢殿門戸24





 稲荷神社から東に200mほど進むと突き当りの左手に桂林寺(臨済宗妙心寺派)があります。俊嶺山と号し,創建は不詳ですが記録から元亀3年(1572年)以前の創建といいます。往古は少し東の金沢二本木付近にあったといいます。





 桂林寺のところのT字路を右折して道なりに100m弱南下すると突き当りの左手に地蔵菩薩が祀られています。ここを左折して東へ100mほど進んだため池のところにも地蔵菩薩が祀られています。古くからの信仰が大切にされている様子が伝わります。



 さらに400mほど進むと竹林の中の趣のある道を進んでいきます。郊外の住宅地を楽しむウォーキングできます。

旭公園
金沢石根1



 竹林の道から東に200mほど進んで広い筋から合流すると,少し先の右手に旭公園の北入口があります。旭公園は知多市南部の拠点公園で,16.4haの広大な敷地に体育館やテニスコートなどの体育施設や芝生広場や冒険広場などの遊具施設があり,季節の花も楽しめる場所になっています。





 入口にある管理事務所から南下していくと,公園のシンボルモニュメントがあります。その左手には子供向けの遊具が整備されている冒険広場があり,特に休日には子どものにぎやかな声があるといいます。





 また右手に進んだところには桜並木が整備されています。春にはさくらまつりが行われるなど市内随一の桜の名所として賑わいます。さらに南に進むとステージが設けられたつどいの広場があり,様々なイベントも行われるといいます。





 南にはシャクヤク園や花しょうぶ園があり,それぞれ花の名所としても知られます。南にある勢鎌池の周辺では,水辺の散策を楽しむことができます。四季の自然が味わる施設として,ゆっくりと時間を過ごしたいものです。

四季桜の里
大僧1







 旭公園の南側から出て,左手に進み,東に600mほど進むと「大興寺」交差点に至ります。ここを直進して200m弱進み,2本目の筋を右折して道なりに進むと四季桜の里があります。この東里山一帯は春と秋の2回花を咲かせる四季桜の名所として知られ,特に10月はコスモスと桜が同時に楽しめる時期として知られ,四季桜まつりも行われて大いににぎわいます。東側には広大な畑も広がり,季節にじっくりと時間をかけて訪れたいものです。

大興寺
大興寺落田52 [公式HP(外部リンク→)]







 四季桜の里から山の南側を桜並木に沿って300m弱進むと右手に大興寺(臨済宗妙心寺派)があります。龍雲山と号し,創建は不詳ですが寺名が村名になったことから相当の古刹と考えられており,古くは大福寺という真言宗の古刹だったといいます。正和年中(1312〜17)頃に三河吉良一色からやってきたという一色範氏が再興し,夢窓国師を開山として大興寺と改め,臨済宗になったといいます。以降,永禄年間(1558〜69)に織田氏の兵火により荒廃するなど幾度かの困難を乗り越え,寛文6年(1667年)に妙心寺派寺院となり現在に至るといいます。堂内には村の総本尊として祀られている大日如来坐像[市文化]があり,行基菩薩制作と伝わっていますが,平安時代に作られたと考えられています。体内には永久2年(1114年)の火災により台座や光背が焼失したこと,延応2年(1240年)に修理されたことが記されています。他にも古くから伝わる4面の懸仏[市文化]があり,うち3面には永仁4年(1296年)の墨書があるといいます。他にも鎌倉時代の宝篋印塔や元文5年(1740年)銘という半鐘,イチョウやイブキなどの保存樹もあって歴史を感じさせる境内になっています。知多のだるま寺としても有名で,毎年1月第2月曜日には開運大日福だるま大祭が行われています。新年の家内安全や健康などをだるまに祈願するもので,前年の大日福だるまに一斉にお炊き上げするのも見事といいます。





 大興寺の西側には八幡社があります。創建は不詳ですが大興寺の鎮守社だといい,八大神社と称したこともあるといいます。

矢田坂稲荷社
大興寺里314





 大興寺から出て南下し,2本目の筋を右折して「落田」交差点に至ります。ここを左
折して500mほど進んで矢田坂稲荷社の案内板に従って左折すると200mほど先に矢田坂稲荷社があります。創建は不詳ですが,大興寺山の山麓に設けられた稲荷社で,地域の人々の信仰を受けている様子が伝わります。



 矢田坂稲荷社から「落田」交差点から南下した地点に戻って左折し,続く細い筋を右折します。この途中には昔ながらのお地蔵様などが祀られています。



 そのまま住宅地に入って道を直進し,次の広い筋を左折して200mほど南下した「南粕谷2」交差点に至ります。この先にはヤマナカ粕谷台店や公園があり,ウォーキングの休憩地点として活用できます。新舞子駅に戻るコミュニティバスも運行されているので,コースの区切りの地点と言えるでしょう。

南粕谷ハイツ
南粕谷1-20-303 [公式HP(外部リンク→)]



 「南粕谷2」交差点から西に100mほど進んだ左手には地域の人々の交流の場になっている南粕谷ハウスがあります。この地域の高齢化対策の一環として平成25年(2013年)に設立されました。カフェの営業もあって一般の人々も利用できるようです。またこの地域に設定されているウォーキングコースの起点にもなっています。この付近は昭和40年代に新日本製鉄の団地として造成されたといい,現在は開発から50年が経過しているといいます。



 南粕谷ハウスから西に300m強進み,南粕谷小学校の敷地を越えたら左折します。その先の小学校の校門を越えた先を右手前方向に進んで下り坂を進みます。この左手の森はトトロの森と呼ばれ,平成26年(2014年)に地区の市民団体と小学校の児童によりクリやヤマモモ,ソメイヨシノなどを植樹し,鳥が住めるように巣箱などを設けた里山になっています。四季折々の自然が楽しめる場所になっているといいます。



 その先の筋を左に進むと,親池があります。知多半島に多く見られる農業用ため池の一つです。池の右側にある遊歩道を進んでいきましょう。

大智院(知多四国71番)
南粕谷本町1-196 [公式HP(外部リンク→)]







 親池の南側の筋を右折して300mほど道なりに進み「南粕谷本町」の交差点を渡ってさらに100mほど進み,続く筋を右折すると大智院(真言宗智山派)があります。金照山清水寺大智院と号し,聖徳太子が開基したという古刹です。文明2年(1470年)に寺内の興隆がはかられ,明応7年(1498年)の紹長和尚の際に大野城主の佐治伊賀守為永の祈願所になったといいます。当初は楊柳山と号しましたが,天正年間(1573〜92)の兵火を免れた残ったことから元禄5年(1692年)に金照山と改めたといいます。本尊は聖観世音菩薩で,前立に馬頭観世音菩薩をまつります。堂内には弘法大師が知多を訪れた際に自らの尊像を残したという「身代大師」が安置されており,安政7年(1860年)に盲目の老翁が一心にこの像におすがりしたところ目が見えるようになり,そのお礼に像にめがねをかけたことから通称「めがね弘法」として知られています。境内には使用した眼鏡やコンタクトレンズを供養するめがね塚も設けられています。また釈迦如来をはじめ「般若経」に関係する諸尊を集め描いた釈迦十六善神像[市文化]は室町時代作で宝暦11年(1761年)修理の銘があります。他に平安時代の一木造の地蔵菩薩立像[市文化]も有します。他にも眼病予防の目薬など眼に関する薬が売られる金照堂薬房や,樹齢1300年ともいわれ市の保存樹にも指定された八百比丘手植えの大楠があります。八百比丘は若狭国で不老長寿の薬を授かり800歳まで生きたといわれ,不老長寿や健康,女性には美貌に恵まれるご利益があるとされています。行事も多く,毎年10月第4日曜日に行われるめがね弘法大祭や,2月3日の節分会,2月18日の馬頭観音大祭や9月28日の成田不動大祭などは特に賑わう行事になります。





 大智院から出て先の筋を右折し,100m強進むと右手に貴船神社があります。創建は不詳ですが貴布祢明神,貴船祠とも称し,雨乞いの神として信仰を受けました。寛文11年(1671年)の棟札を有するといいます。

随應寺
金沢郷中199



 貴船神社の左側の筋を北上し,広い筋に合流したら300m強進むと左手に金沢公園があります。奥に田園風景が見られる広々とした公園で,休憩に適しています。





 金沢公園の南側の筋を左に入ってすぐ左の細い筋に入り,そのまま道なりに西へ100mほど進むと随應寺(臨済宗妙心寺派)があります。創建は不詳ですが,応永2年(1395年)に大野城主の一色氏が建立したという長慶寺の後身という説もあるといいます。

普明院
金沢廻間87







 随應寺の西側から道なりに100mほど進み突き当りを右折し,先の広い筋を渡って100mほど進むと普明院(臨済宗妙心寺派)があります。恵日山と号し,弘和年間(1381〜83)に大野城主の一色範光の家臣が開基したといい,もとは別の場所にあったといいます。山号は元々は梅松山と号しましたが,寛政年間(1789〜1800)に現在の寺号になったといいます。本尊は千手観世音菩薩で,多くの寺宝も有し,境内には保存樹のイブキもあって禅寺らしい落ち着いたたたずまいになっています。

八社神社
金沢郷中33-1





 普明院から南に戻って道なりに300mほど進み,突き当りを右折して100mほど進むと右手に八社神社があります。寛正4年(1463年)にこの地を支配した大野城主の一色氏により創建されたという記録があり,文明2年(1470年)の棟札によると大野荘全体の惣社として人々からあつい信仰を受けたといいます。その後、粕谷地区の村社となりました。社宝として宝治元年(1274年)の銘があり,鎌倉時代の年代のわかるものとして代表的作品となっている梵鐘[国重文]があります。銘から山河助清が鋳造して美濃の清水寺に奉納したものであることがわかるが,その後どのようないきさつで八社神社に収められたのかは不明であり,一説には一色氏が三河への出陣に際して神社の奉納したともいわれています。



 境内には北粕谷山車・花王車[市文化]の山車蔵があります。文化年間(1804〜14)に半田市の亀崎西組で建造され,その後弘化2年(1848年)に半田市の板山大湯組に譲渡され,昭和2年(1927年)に北粕谷地区が買い入れたといいます。尾張名所図会の亀崎神明の祭礼図でも描かれているといい,山車は白木づくりの知多型という様式で彩色などがなされ,山車全体がオウム貝や夜光貝などで装飾されているのが珍しいといいます。

地蔵寺(知多四国70番)
大草東屋敷43-1 [公式HP(外部リンク→)]





 八社神社の先を右折して川沿いを200mほど北上し,県道に突き当たったら左折して200m強進んで「旭南5」交差点で国道155号線を渡ります。そのまま進んで次の筋を左折し,さらに2本目の筋を右折して150mほど進み次の筋を左折します。すると道なりに200mほど進んだところに地蔵寺(通称,大草地蔵寺)(真言宗智山派)があります。摩尼山と号し,天平年間(729〜49)に行基菩薩によって創建されたと伝わる古刹です。その後荒廃しますが,文永年間(1264〜75)に良敏上人によって再建されたといい,永享年中(1429〜40)には1山6坊の堂宇が整備されたといいます。元和元年(1615年)に大火にあって焼失しましたが,本院のみが再建されたといいます。本尊は弘法大師作という地蔵菩薩で,ほかに鎌倉時代作の大日如来坐像, 薬師如来坐像[ともに市文化]を有します。本堂裏には井戸から上がったという延命水掛地蔵尊が祀られています。これは,享保年間(1716〜36)に寺の南東の久米(現,常滑市)に住んでいたお竹さんという盲目の女性が寺を参詣したところ,「竹林の中にある地蔵を助け出して井戸を改修するならば,眼が治るであろう」という夢のお告げがあって,その通りにしたところ夜明けとともに目が開いて輝く光をみたと伝えられています。本堂の前には地蔵尊が引き上げられたという井戸が今も残り,2月と8月には地蔵の縁日が行われて賑わうといいます。



 地蔵寺に隣接して津島神社があります。創建は不詳ですが,京都の八坂神社を勧請して創建したと伝わっています。長享2年(1488年)銘の棟札があるといい,牛頭天王社と呼ばれていた時期もあったといいます。江戸時代には大草に領地をもった山澄家から厚い信仰を受けたといいます。

大草城跡(大草公園)
大草東屋敷118-4





 地蔵寺から西に進んだところに大草公園の入り口があります。大草城跡であった場所を整備した公園で,進んだ先には土塁や堀の跡が今も残り,城があったときの様子を今に伝えています。大草城の名前が登場するのは応仁の乱のころで,この地域を支配した一色義遠が城を築いたというが,その位置は不明といいます。現在の大草城跡は天正12年(1584年)頃織田信長の弟である織田長益(有楽斎)がこの地を支配した際に,水に乏しい大野城を廃してこの地に城を築こうとしたといいます。しかし,翌年の小牧長久手の戦いののちに長益は摂津国に移封されたため,完成を待たずして廃城になったという幻の城です。土塁や堀の跡が良好に残っているのは,江戸時代にこの地を支配した山澄氏が城跡の南西に居を構え,城跡の保存に努めたからといいます。現在は遊歩道も整備され,城跡の様子をじっくり見て回ることができます。





 公園内を西に進んだ先にはグランドがあり,この付近が本丸跡であったと考えられています。その先には二層の櫓を模して作った展望台が設けられており,伊勢湾や大野の町を一望することができます。



 公園から出て左手に進み,100mほど南下した先には大草御嶽神社が祀られています。この付近は山澄氏の居城があったところといい,西屋敷や東屋敷といった地名が残されています。

慈光寺(知多四国69番)
大草西屋敷3 [公式HP(外部リンク→)]





 大草御嶽神社から西に100mほど進むと慈光寺(臨済宗妙心寺派)があります。宝苑(ほうおん)山と号し,応永元年(1395年)に大野城主一色満範による開創といい,臨済宗総本山の鎌倉円覚寺の清源大和尚を迎えて開山としました。境内山門の右脇には一色満範と清源大和尚のお手植えと言われる椎の木の老木が並んでいます。本堂は昭和38年(1963年)に官材の檜を用いて5年の歳月をかけて再建されたものといいます。本尊の聖観世音菩薩は,創建時に仏師春日定朝に祈願して制作したもので,俗に「厄除け観音」として信仰されています。弘法堂は大正7年(1918年)に改築し,昭和36年(1961年)に修理されたもので,天井には川合玉堂の弟子・川合玉琴によるという花鳥風月図が描かれています。弘法堂の前には願い石があり,穴から大師像をのぞいてお願いをすると成就するといわれています。広々とした境内は古刹にふさわしい堂々として風格を備えています。

ゴール:名鉄常滑線・大野町駅

 慈光寺から東に戻り,続く筋を右折して300m弱南下します。道路をくぐった先の突き当りを右折して名鉄の線路を渡り,すぐ先を左折するとゴールの大野町駅が見えてきます。名鉄常滑線の準急または普通を利用して戻りましょう。名鉄名古屋駅までは準急を利用して約38分,普通列車の場合は新舞子駅または太田川駅で特急に乗り換えて約40分で戻ることができます。本数はそれぞれの種別が30分ごとです。

写真使用数:66

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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