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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県知多市:佐布里コースSORI

2018年8月探訪。2018年8月23日作成

【コース】 距離:約9.6km
 県南東部の佐布里地区をめぐります。パークロードや佐布里池の自然を楽しみ,佐布里5ケ寺などの社寺や七曲古窯址などの文化財を訪ねます。

≪コース≫ 知多バス・にしの台2丁目バス停〜諏訪神社〜天徳院〜佐布里パークロード〜多度神社〜佐布里ダム記念館〜照徳寺〜浄蓮寺〜正法院〜密巌寺〜如意寺〜水の生活館〜佐布里緑と花のふれあい公園〜七曲公園〜満徳寺〜名鉄・巽ケ丘駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:知多バス・にしの台2丁目バス停



 スタート地点は知多バス・佐布里線のにしの台2丁目バス停です。名鉄常滑線の朝倉駅から佐布里方面行のバスに乗車して約7分で行くことができます。本数はおおむね1時間に1本程度なので,時刻などはあらかじめ知多バスのホームページなどで確認しておくといいでしょう。

諏訪神社
佐布里森下41





 にしの台2丁目バス停から南下して上り坂を「にしの台2丁目北西」交差点まで進み,左折して250mほど進んだ4本目の道が大きく左に曲がる手前の筋を右折して道なりに上り坂を150mほど進むと左手に諏訪神社があります。創建は不詳ですが,永享4年(1432年)造立という古い棟札があり,これが事実とすれば600年近い歴史を有する古社になり,本社の長野県諏訪大社から勧請したと考えられます。毎年10月10日に行われるという祭礼では,東の多度大社との間に神輿渡御が行われるといいます。神社の南側には御嶽神社も祀られているといいます。

天徳院
佐布里森下46







 諏訪神社からさらに道なりに100m強進むと天徳院(曹洞宗)があります。兜率山と号し,宝徳3年(1451年)に瑞光寺(知多市日長)4世の月洞宗圓和尚の創建といいます。高台の眺めの良い場所に本堂・庫裏などがあり,爽快な印象を受けます。本尊は釈迦如来坐像で,「藤原光長」の銘があるといいますが,詳しいことはわからないといいます。他にも涅槃図は十六羅漢像などの寺宝を有するといいます。

佐布里パークロード
清水ヶ丘1(長曽橋西)〜佐布里七反田





 天徳院から南に戻って,100m弱先の分岐を左に入って下り坂を進み150mほど先の突き当りまで進みます。突き当りを左折し,続く筋を右折して50mほど進むと佐布里パークロードがあります。昭和47年(1972年)の開通といい,清水ヶ丘から佐布里池に至る全長約3kmに及ぶ遊歩道で,佐布里池から臨海工業地帯まで工業用水を引くための導水路の上に設けられた道路になっています。元々は愛知県の管理用道路でしたが,その後遊歩道として整備され、周辺住民の活動もあって季節折々の花も楽しめる色彩豊かな遊歩道となりました。特に4月末〜5月は約2500本におよぶ市内一のツツジの名所として知られるようになりました。時間があれば季節の花を楽しみながらの散策するのも楽しいでしょう。

多度神社
佐布里井洞脇前51





 佐布里パークロードの東に進んだ「城山下」交差点を右折し,県道を300m弱進んだ左手には多度神社があります。最古で享徳3年(1454年)の銘の棟札があり,古くは五社明神といい,慶應2年(1866年)に諏訪神社のところにあった多度権現社を合祀したといい,明治維新後に元々の五社ノ社は末社になったといいます。広大な境内にはヒノキやスギ,ハナノキの保存樹があり,落ち着いた空間になっています。なお,多度神社の本社は三重県桑名市にあり,祭神のアマツネヒコは産業振興などの神様として知られるといいます。

佐布里ダム記念館
佐布里竹ケ鼻180



 多度神社から県道をさらに200mほど南下し,左の上り坂への分岐を進んで続く筋を左折すると,右手に佐布里ダム記念館があります。昭和40年(1965年)に佐布里ダムが竣工した記念に設けられた施設で,ホールや会議室などが設けられて地域の人々の交流の場になっています。なお,佐布里ダムに関する展示などはありません。この記念館のある場所は佐布里城という城があった場所といい,記念館のそばに「佐布里古城趾」の案内板も設けられています。詳しいことは不明ですが,看板によると承久3年(1221年)頃に大庭氏によって築かれ,明応7年(1498年)頃には平朝臣宗宣が城主だったといいます。なお,北約800mにあったという城山という場所に築かれていたという説もあります。

照徳寺
佐布里向畑22





 佐布里ダム記念館の先の筋を右折して下り坂を100mほど進むと「竹ケ鼻」交差点に至ります。ここを左折して,県道を100mほど南下して続く細い筋を左折して50mほど進むと左手に照徳寺(曹洞宗)があります。安永4年(1775年)に佐布里村共用の尼寺の弥陀堂として建立され,昭和16年(1941年)に現在の寺号に改めたといいます。本尊の阿弥陀如来立像[市文化]は目鼻立ちが小ぶりで明快であるが,穏やかな表情が特徴の鎌倉時代の仏像といいます。

浄蓮寺(知多四国77番)
佐布里地蔵脇36





 「竹ケ鼻」交差点に戻り,西方向に橋を渡って進み,200mほど進んだ細い左手の筋に入って進むと左手に浄蓮寺(真言宗豊山派)があります。元暦元年(1184年)に後鳥羽天皇の勅願寺として創建された雨宝山如意寺1山9坊の1つとして開創され,昭和16年(1941年)に浄蓮寺となったといいます。知多四国77番札所であり,77が喜寿に通じることから長寿祈願に訪れる人も多いといいます。本堂は天明元年(1781年)に建立され,天保11年(1840年)に屋根の葺き替えが行われたといいます。長らく中断されていた節分行事が平成15年(2003年)に再開されたといい,それにより屋根の改修なども行われたといいます。かつて弘法大師が立てた杖から芽が出たという言い伝えのある裏山の竹から作られ,砂で磨いて天日干しし,ご祈祷して作られるという「中風除けの御箸」でも知られるといいます。なお,ここにある73〜77番の札所をまとめて佐布里五ヶ寺と呼ばれています。

正法院(知多四国73番)
佐布里地蔵脇30





 浄蓮寺から南に50mほど南下すると正法院(真言宗豊山派)があります。正暦元年(1184年)に創建された雨宝山如意寺の本坊として開創され,1山9坊をまとめる寺院として壮大な伽藍を誇り,多くの僧を輩出したと伝わっています。その後,兵火や風水害のために荒廃しますが,応永15年(1408年)に憲誉法印により再興されたといいます。その後,戦乱などで古書や宝物が焼失し,明治時代の廃仏毀釈で現在は1山4坊となりました。本堂は平成になって見事な天井画が飾られています。



 境内入って右手の40段の階段を上がった先には知多四国75番霊場の誕生堂があります。四国本霊場の75番札所である善通寺が大師の誕生の地であることが堂の名前の由来といいます。知多四国開創当時,75番札所は如意寺1山の泉蔵坊に置かれていましたが,明治6年(1876年)に無住無檀家のために廃寺になりました。そこで如意寺の本坊である正法院に誕生堂が設けられ,75番札所になっています。なお,75番誕生堂と76番如意寺の御朱印は,まとめて正法院でいただくことになります。

密巌寺(知多四国74番)
佐布里地蔵脇24





 正法院から南に進んだところに密巌寺(真言宗豊山派)があります。元暦元年(1184年)に雨宝山如意寺の1坊として創建され,佐布里の祈願所として人々の信仰を受けてきたといいます。本尊の十一面観世音菩薩立像[市文化]は平安時代後期の一木造で,衣文などが省略された簡素ないで立ちが特徴といい,市内で最古の部類に入る仏像です。明治10年(1877年)に佐布里の集落にあった薬師堂が本堂横に移され,病気平癒や安産祈願などの御利益を求めて信仰を集めています。毎年11月8日は薬師如来の縁日になっており,人々にみそ田楽がふるまわれ,護摩祈祷も行われるといいます。山門脇には菅原道真をまつる天神社があり,学業成就を祈願した絵馬などが奉納されています。毎年2月11日には天神祭りが行われ,合格祈願の祈祷が行われるほか,甘酒なども振る舞われるといいます。

如意寺(知多四国76番)
佐布里地蔵脇13-1







 密巌寺から西に進んだところに如意寺(真言宗豊山派)があります。雨宝山と号し,元暦元年(1184年)に後鳥羽天皇の勅願寺として創建された際には,1山9坊の本堂として広大な寺領も持ち栄えたといいます。その後,兵火にあって伽藍の多くを焼失し,唯一本堂だけが残って法灯を守っているといいます。現在は無住で正法院が管理しています。本尊は「雨乞いの本尊」と呼ばれる地蔵菩薩で,古くから雨を求める農民によって信仰されたといいます。運慶作で80年に一度ご開帳されるといいます。室町時代に作られたという本堂は昭和63年(1988年)の火災で焼失しましたが,平成6年(1994年)に再建され,平成16年(2004年)には十王堂が設けられました。正面には過去の栄華を伝える古い朱塗りの山門があり,昔の様子を今に伝えています。寺宝は他に明応7年(1498年)の銘があり,佐布里城主の平朝臣宗宣が寄進したという鰐口[市文化]や,明徳元年(1390年)から応永3年(1396年)にかけて写経された大般若波羅蜜多経600巻[市文化]があります。

水の生活館
佐布里鼬脇48-1 [公式HP(外部リンク→)]



 如意寺から「竹ケ鼻」交差点の手前まで戻り,佐布里パークロードのところで右折して遊歩道を進んでいきます。パークロードを150mほど進み,ゴール地点からさらに道なりに進むと50mほど先の右手に知多浄水場があります。木曽川から取水して知多半島に水をもたらしている愛知用水から取水して,生活や工業用水を確保するための愛知県の施設です。







 知多浄水場から道なりに400mほど進むと水の生活館の入口があります。少し進んだ先に建物があります。2階建ての展示室のうち,1階は愛知用水をはじめ知多半島とその周辺にどのように水が供給されているかがわかるジオラマなどが設けられています。知多半島を豊かに潤す愛知用水を中心に工業用水や生活用水が供給される仕組みが,映像なども交えて分かりやすく説明されています。2階には愛知用水開通前に水をどのように工夫して手に入れていたのかを,復元模型や実際の道具も交えながら展示されています。学習室も設けられ,知多半島の水の歴史を総合的に学ぶことができる施設となっています。





 水の生活館からは池沿いに東へ,佐布里大橋に向かう遊歩道を進んでいきます。途中には佐布里池の眺望も楽しめる場所もあります。佐布里池は昭和40年(1965年)に竣工した愛知用水の調整池で,ここから浄水場を通じて市内や隣接市町村に水をもたらしています。遊歩道周辺は佐布里水源の森として,自然を感じることができる設備として整備されています。

佐布里緑と花のふれあい公園(梅っ花そうり)
佐布里台3-101 [公式HP(外部リンク→)]







 水の生活館から池の北側の遊歩道を東へ進んでいくと,やがて佐布里大橋のところにやってきます。ここで道路を渡って先へ進むと,佐布里緑と花のふれあい公園の園内に入っていきます。佐布里池を中心とした自然に触れることができる庭園で,四季折々の花を楽しむことができますが,特に約25種類5400本に及ぶ県下一の梅林が有名で,開花の時期には梅まつりの会場になります。最も本数が多いのはこの地独自の佐布里梅で,明治初期に鰐部亀蔵氏が苦心の末に桃の木に梅をついで作り出したもので梅干しや梅酒などに最適といいます。昭和初期には梅の本数は最盛期を迎え,収穫用および観賞用に梅林が広がり多くの人々が鑑賞に訪れたといいます。しかし佐布里ダムの建設で梅林の多くが湖の下に沈むこととなり,その後湖の周辺に梅が植えられて現在の姿になりました。





 佐布里池の駐車場から入って左手の坂を下っていった先には鑑賞温室「花の館」や公園内でみられる25種類の梅が展示された梅の庭があります。





 その北側にはレストランなども備えた梅の館があります。建物の中には展示室があり,佐布里の梅林などに関する展示があります。ウォーキングの休憩地点としても活用しましょう。



 建物の北側には出会いの広場として花壇が整備され,公園にやってきた人々を出迎えています。



 梅の館から東方向の上り坂を進んだところには横須賀町(東海市)出身の俳人阪正臣
の歌碑が設けられています。その先には,全国梅サミットの際に設けられた全国各地の梅が植えられています。





 ここから高台に進んだところには愛知用水神社が設けられています。昭和36年(1961年)に完成した愛知用水の安全を願って設けられた神社で,隣接した観音堂には用水の殉職者などが祀られており,用水で知多半島が潤う様子を見守っています。公園の高台に位置することから眺望も楽しめるスポットです。この西側には土日祝日に「そうりプレーパーク」として地形を利用した遊びが楽しめる冒険の森や果樹園などが設けられています。じっくりと時間をかけて滞在したい公園です。





 果樹園を抜けて公園の東側の第2駐車場のところから出て右折し,300mほど進むと安永養鶏の卵の直売所があります。ここを右折してさらに進んでいきます。この付近は高台になっており,知多半島の雄大な自然を感じられる景色を見ながら楽しくウォーキングが楽しめます。

七曲公園(七曲古窯址)
八幡七曲り1



 安永養鶏のところから500mほど進むと突き当りの右手に桜鐘地蔵が祀られています。永享2年(1430年)に八幡新田の住人だった神谷源吉翁の発願で設けられたといいます。





 桜鐘地蔵から横断歩道を渡ったところには七曲公園の入り口があります。テニスコートや運動広場などの設備とともに,展望のよい散策路や子供向けの遊具など広々と感じさせる空間の公園です。







 展望広場を抜けた公園の奥に進むと,七曲古窯址[市史跡]の見学施設が設けられています。この付近には12〜13世紀にかけて設けられたという窯址が合計14基確認されており,そのうちのA地区1号窯と3号窯の2基が建屋でおおわれて現状保存されています。1号窯は12世紀に山茶碗や山皿を焼いたものといい,天井部分を含めた燃焼室や焼成室が多く残されています。3号室は13世紀末の甕を焼いた窯といい,床面が全長約16mある大きなものです。



 七曲古窯址から東方向に公園を抜けて進んでいきます。公園から出るところには東部福祉会館があり,そばにある待池の風景も楽しむことができます。

満徳寺
八幡大平地120 [公式HP(外部リンク→)]





 七曲公園から出て右手に進んだ先にある「待池東」交差点から,さらに200mほど進んだ突き当りを左折し,さらに続く突き当りを右折すると左手に満徳寺(曹洞宗)があります。圓成山と号し,元文4年(1739年)頃に地蔵堂として創建されたといいます。明治6年(1873年)にいったん廃寺となりますが,明治19年(1896年)に満徳寺として再興されたといい,本尊は石仏の釈迦牟尼仏で秘仏といいます。寺の西には鎮守として三河一宮から勧請したという砥鹿神社が祀られているといいます。



 満徳寺から東に向かって畑を右に見ながらのどかな風景の中を進んでいきます。200mほど進んだ続く筋を右折し,道なりに100m強進むと東部まちづくりセンターがあります。

ゴール:名鉄河和線・巽ケ丘駅





 東部まちづくりセンターから道なりに300mほど進み,プールの横のところの分岐を左に進み,さらに2本目の筋を右に入って道なりに400mほど進み突き当りを左に進むとすぐに県道に突き当たります。ここを右折して県道を300mほど南下すると左手にゴールの名鉄巽ケ丘駅が見えてきます。ここから名鉄河和線に乗車して戻りましょう。急行が停車し,名鉄名古屋駅まで約30分で,本数は30分に1本程度です。普通列車しかない場合は,太田川駅で乗り換えるのが便利です。

写真使用数:54

←前:八幡・朝倉コース / 愛知県知多市 / 次:岡田コース→

ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
rintaronagano□yahoo.co.jp
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