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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県阿久比町:権現山コースGONGENYAMA

2018年12月探訪。2018年12月21日作成

【コース】 距離:約8.6km
 阿久比・椋岡・矢高・植大地区を訪ねます。歴史ある社寺をめぐって阿久比の歴史を感じたのち,童話ごんぎつねの舞台という権現山を訪ねます。

≪コース≫ 名鉄・阿久比駅〜阿久比神社〜東光寺〜正保寺〜椋岡八幡神社〜勤労福祉センター〜雲谷寺〜平泉寺〜観音寺〜天満社〜済乗院〜箭比神社〜マリモファーム〜五郷社〜神明社〜丸一酒造〜蓮慶寺〜大古根八幡神社〜名鉄・植大駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄河和線・阿久比駅



 スタート駅は前回のコースと同じく,阿久比町の中心駅である阿久比駅です。特急や急行も停車する主要駅で,名鉄名古屋駅から特急で約25分,急行で約29分で来ることができます。本数は特急,急行ともに1時間に2本あり,アクセスは便利です。阿久比駅の駅前には,平成10年(1998年)の土地区画整理事業が竣工した際に設けられたというモニュメント「明日へ」が設けられています。

阿久比神社
阿久比北下川49





 阿久比駅から西側に進んで横断歩道で県道を渡り,左折して次の筋を右折して,その先の突き当りを右折するとすぐに阿久比神社があります。顕宗天皇2年(486年)に稲や麻の作り方を伝えたというアキクヒの神を祭神にして創建されたという古社で,のちにこの地を支配したという英比丸が社殿を設け,天徳3年(959年)に晦日英比丸も祀ったと伝えられているといいます。知多地方に3座ある式内社の初めにあげられ,俗に「一宮」とも呼ばれるといい,阿久比という地名が古い歴史を有することを示すといいます。右側に秋葉・八幡・多賀・松尾の境内社があり,現在の拝殿は平成9年(1997年)に設けられたものといいます。
 阿久比町内の13の地区の当番制で行われる阿久比谷虫供養は,知多の虫供養行事[県民俗]として文化財で登録されており,阿久比地区で開催される際はこの神社が舞台の1つになります。虫供養は,米や野菜の栽培の際に犠牲になった虫を供養するために念仏を行ったことが始まりといい,知多半島では融通念仏の始祖という良忍上人により広められ,阿久比でも平安時代の終わりに始まったという800年の歴史を有する行事です。その後,戦国時代は明治の廃仏毀釈で一時中止に追い込まれますが,住民の強い声で復活して現在に至るといいます。当番になる地区では1年かけて什物を管理して寒干しなどを行って当日を迎えるといい,これらの絵画なども町の文化財に指定されているといいます。もっぱら小屋内で行われ,会場内に建てられた大塔婆の砂山を乳幼児が踏むと,「がんの虫封じ」になり健やかに成長するといわれています。

東光寺
阿久比北下川10





  阿久比神社から出て右手の道を道なりに200mほど進むと右手に東光寺(真宗大谷派)の入口があります。階段を上って中に入っていくことになります。菅原道真の孫である菅原雅規が開いたという言い伝えから英比山と号し,歴代住職の苗字は英になっているといいます。山門は天保7年(1836年)に建立され,本堂は明治8年(1875年)に焼失して翌年に再建されたものといい,平成3年(1991年)に大改修が行われたといいます。

地蔵寺(阿久比南下川)
阿久比南下川11



 東光寺の西側から出て,左手に出て100mほど高台の道を進みます。阿久比の町を下に見下ろすことができる道になっています。





 カーブミラーのある地点を左手前方向に進むと地蔵寺(曹洞宗)があります。延命山と号し,永禄8年(1565年)に西来寺(名古屋市北区)の伝宗大和尚により地蔵堂として開山されたといいます。当初は村持ちのお堂でしたが,宝暦13年(1763年)に西来寺持ちとなりました。明治21年(1888年)に本堂が再建され,昭和23年(1948年)に地蔵寺と改称されましたが,本堂は伊勢湾台風で被害を受け,老朽化も目立ったため平成3年(1991年)に本堂と庫裏が新築されました。

正保寺
椋岡英比屋敷33



 地蔵寺から戻ってそのまま100mほど東に進み,突き当りを右折してその先の県道を右折すると正保寺(浄土宗)があります。医王山と号し,寺伝では文化3年(1806年)に本堂が建立されたものの,長らく住職不在で住民が交代で管理していたといいます。本尊の薬師如来は秘仏で,眼病を治す霊験があるとして近郷からの多くの信者の参詣を受けているといい,旧暦10月8日の8日薬師には盛大に法要が営まれるといいます。昭和15年(1940年)頃に現在の寺号に改められ,本堂の大改修が行われたといいます。



 正保寺から県道を南下して先の横断歩道を渡って左に進んだ先には名鉄椋岡駅がありました。昭和58年(1983年)に阿久比駅が開業した際に廃止される予定でしたが,住民の強い要望により駅が残され,その後朝夕の一部の普通列車のみが停車するようになりました。平成18年(2006年)に阿久比駅に統合される形で廃止となりました。

(椋岡)八幡神社
椋岡南畑6





 正保寺の南の横断歩道を渡って,そのまま県道の左側を150mほど南下した左手に(椋岡)八幡神社があります。元々正保寺の境内にあったという椋岡村の氏神と,平泉寺に隣接していたという角岡村の氏神が合祀されて成立したといい,大正5年(1916年)に合祀されて,大正7年(1918年)に合併が認可されたといいます。戦前は祭礼の際に青年による役者芝居が奉納されていましたが,その後消滅し,昭和46年(1971年)からは子供神輿が行われるようになったといいます。現在は例祭が4月の第4土日に行われており,巫女神楽や囃子が奉納されるといいます。

阿久比町勤労福祉センター
椋岡丸山14-1



 (椋岡)八幡神社から西の県道の横断歩道を渡り,そのまま案内板にしたがって西に100mほど進むと右手に阿久比町勤労福祉センター(エスペランス丸山)があります。この付近の住民の交流の場になっている施設で,ひな祭りの時期につるし飾りの展覧会が行われるなど各種のイベントも開催されます。



 センターの入口には阿久比町の実業家である都築良平の像があります。彼は不況の中倒産の危機にあった中,輸出向け織機を積極展開し,のちに都築紡績を設立して海外進出をはじめ,娯楽施設・ホテル・飲食店など経営の多角化を図りました。学生を応援する奨学金を設立するなど,阿久比町の発展にも貢献したといいます。



 勤労福祉センターの奥には丸山公園があります。子供向けの遊具のほかにも武道場やテニスコートなどを備えており,地域の人々から親しまれています。ウォーキングの休憩地点にも活用できるでしょう。

雲谷寺
椋岡長光寺39







 勤労福祉センターの先を左折して南下し,次の中部保育園のある十字路を左折します。そのまま100mほど進んだ左手に雲谷寺(浄土宗)があります。龍臥山と号し,当初は長光寺という天台宗の寺院で,現在の小字長光寺,西長光寺,長光寺西にまたがる広大な七堂伽藍を誇っていたといいます。永正年間(1504〜21)に法誉上人により浄土宗に改宗して堂宇が改修され,このころ寺を訪れたという雪舟の軒号・雲谷にちなんで,寺号を龍臥山長光院雲谷寺と改めたといいます。寺宝として雪舟が描いたという画があり,衣ヶ池から大龍が現れて昇天しようとするところを描いたといわれています。現在の本堂は文化3年(1806年)に建立されたものといい,別堂には長光寺の本尊だったという聖観世音菩薩が安置されています。この仏像は寺が火災にあった際,現在でも裏手に残るという井戸に入れられて火災をまぬがれたと言い伝えられています。

平泉寺(知多四国16番)
椋岡唐松29







 雲谷寺の先の十字路を左折し,道なりに200mほど進むと平泉寺(天台宗)があります。天長7年(830年)に淳和天皇の勅命を受けて鳳凰を求めて当地に来たという慈覚大師が開創したという古刹であることから,鳳凰山という山号になっています。かつてこの地は邪鬼が荒らして人々を苦しめていたのが,武勇にすぐれた英比丸が邪鬼を退治して地中深くにうめ,魔よけの柊を植えたといわれています。その後,慈覚大師は病魔がはびこり一滴の水もないこの地に井戸を湧出させ,柊の木を倒して病魔退散を願って仏像を刻んだことが建立のはじまりと伝わります。文治6年(1190年)には源頼朝が父義朝の墓参に訪れた帰りに立ち寄ったといい,本尊の尾張不動尊(不動明王)に国家安穏,国運隆盛を祈願したといいます。その際,中秋の名月が美しかったことから頼朝の命により大乗坊から円月坊と寺の名称を改めたといいます。文永10年(1274年)の蒙古襲来の際は,後宇多天皇の命により異国降伏の祈願を行ったといいます。寺宝としてはいずれも平安時代末期の作という3体の仏像があります。本尊の木造不動明王立像[県文化]は慈覚大師の作といい文永11年(1274年)修理の銘があります。同じく文永11年修理の銘がある木造毘沙門天立像[県文化]は,実際は四天王の増長天と考えられ,この地域の平安時代の四天王像として貴重なものといいます。また,寄木造の木像阿弥陀如来坐像[県文化]は仁平3年(1153年)の墨書銘があり,銘があるものでは県下最古の仏像となっています。境内には赤く塗られた「オカラス大明神」という小さな祠があり,腰痛にご利益があるとして信仰されています。



 平泉寺から50mほど南下して交差点を右折し,50mほど進んだ左手には唐松の井戸があります。平泉寺を建立したという慈覚大師が,水がなくて苦しんでいる村人のためにお経を唱えたところ,ここから水が湧きだしたという由緒のある井戸といいます。かつては飲むと長生きできるといわれ,遠方から水を汲みに来る人もいたといいます。尾張名所図会にも「その水,はなはだ清し。これ慈覚大師加持し給いし名水なりぞ」と紹介されています。

観音寺(知多四国17番)
矢高三ノ山高15





 唐松の井戸から西に進んだ先の「角前田」交差点を越えてさらに300mほど進み,案内に従って右手に入ると観音寺(浄土宗)への階段が延びています。樫木山と号し,創建時期は不詳ですが,善随大和尚による創建と伝わり,開創当時は現在より西の樫木田村にあり山号の由来になっているといいます。元禄年間(1688〜1704)に現在地に移転したといいますが詳しい年代はわかっていないといい,昭和23年(1948年)に観音堂から観音寺と改称されたといいます。本尊は左手にハスの花を持つという十一面観音で,50年に1度の御開帳という秘仏になっています。平成11年(1999年)の秘仏開帳の時には多くの参詣者が訪れたといいます。

天満社
矢高三ノ山高16





 観音寺の西に隣接して,天満社があります。天暦2年(948年)に菅原道真の子孫である英比丸が別荘地としていたこの地に守護神を勧請して創建したといい,のちに京都北野天満宮から勧請して天満社と称したといい,寺の名前から高岡天神とも呼ばれたといいます。元禄14年(1701年)以降の24枚の棟札が残っているといい,明治40年(1907年)に屋根の葺き替え工事が行われたことがわかるといいます。かつては祭礼の際に獅子芝居や万歳,役者芝居や巫女舞いなどが奉納されたといいます。境内には獅子舞奉納に利用されていたという江戸時代末期の高岡獅子館[町文化]が伝わっているといい,かつては獅子舞の奉納が行われていたと考えられます。

済乗院
矢高仲組27 [公式HP(外部リンク→)]



 観音寺の北側の出口から出てそのまま150mほど道なりに北上し,中部保育園のある交差点を左折します。ここには知多四国遍路の目印が設けられています。



 左折して400m弱進んだ,矢口公民館の先の筋を右折し,続いて2本目の矢口公園の手前の筋を左折します。この矢口公園にはトイレも設けられていますので,休憩地点として活用できます。







 矢口公園から150mほど進むと済乗院(浄土宗)があります。法林山と号し,創建は不詳ですが至徳2年(1395年)に真誉上人のときに天台宗から浄土宗に改められたといいます。本尊の阿弥陀如来は恵心僧都作といい,天台宗時代からの寺の本尊といいますが詳しくは不明といいます。また寺内に祀られている秘仏の善光寺仏は,元々平重盛の念持仏で,動乱の時代にあったために帰依していた寺におさめられたものといいます。その寺の済乗律師が像の安住の地を求めて旅に出て,平治元年(1159年)にこの地にやってきたときに像が重くなって動かなくなったために,この地を安住の地として安置したといいます。

箭比(やひ)神社
矢高石根37









 済乗院から矢口公園の南の先ほど右折したT字路まで戻り,今度は右折してさらに西に進み続く筋を左折すると,少し先の右手に箭比神社の入口があります。延喜12年(912年)に菅原道真の孫である雅規が阿久比二ノ宮として創建したといい,元禄7年(1694年)に尾張藩主徳川光友公により現在地に移転し,社殿を修復したと伝わっています。現在の社殿は慶応元年(1865年)のものといいます。神社の境内は自然林に覆われ昔ながらの植物の宝庫になっているといい,貴重な自然が残されているといいます。本殿に向かう途中の赤鳥居は光友公の寄進といい,くぐるとおこりにかかると言い伝えられていて回り道が設けられています。かつて青年団活動が盛んだったことには役者芝居が奉納されたり,奉納相撲も行われていたりしていたといいます。



 箭比神社の入口に戻ってさらに南下し,100mほど先の十字路を左折して細い路地を進んでいきます。400mほど道なりに進んで県道まで出たら左折し,続く筋を右折して前田川を渡っていきます。川の周辺の自然も感じながら進んでいきましょう。







 川を渡って50m強先の分岐を右手の住宅地を抜ける道に入って300mほど進み,道が細くなる手前の十字路を右折します。その先の分岐を左手に入って上り坂を進み,400mほど道なりに進んだ先のT字路を左折して下り坂を進み,200mほど進むと左手に西狐谷池があります。池の背後には権現山を望むことができ,景色を楽しみながらウォーキングすることができます。

マリモファーム
植大東八勝7-1 [公式HP(外部リンク→)]



 西狐谷池から南に300mほど道なりに進み,突き当りを右手に進みます。この付近は八勝川沿いに設けられた田園地帯と,その奥に広がる半田市の住宅街が広がる景色を楽しむことができ,川沿いは秋にはヒガンバナの名所として多くの人々が訪れます。





 突き当りを右折して100mほど進んだ先にはマリモファームの入口があります。冬から春にかけていちご狩りを楽しむことができる農園で,いちごの直売やスイーツなどを楽しむことができるお店も設けられています。いちご狩りは予約制になっているため,希望する場合は予約をするようにしましょう。

五郷社・植公園
植大森後36







 マリモファームから東に戻って,そのまま道なりに300mほど進むと五郷社と植公園の入口があります。長い階段を登って社殿の方に進んでいきましょう。創建は不詳ですが,天徳2年(958年)に菅原道真の子孫が造営したといい,寛永16年(1639年)にも社殿造営の記録があるといい,地域からは「権現さん」と呼ばれているといいます。明治5年(1872年)にかつてこの神社が英比谷五郷の総鎮守だったという伝承から権現社から五郷社へと改称されたといいます。五郷社の西側の山は権現山といい,新見南吉の童話「ごんぎつね」の背景ともいわれ,神社の境内ではごんぎつねを模した彫刻などを楽しむことができます。





 隣接している植公園からは桜並木の間から八勝川沿いの田園地帯を一望することができます。ごんぎつねの舞台に思いをはせ,ゆっくりとした時間を過ごすのもいいでしょう。

神明社
植大植向山2







 五郷社の入口から東へ100mほど進むと神明社の入口があります。創建は不詳ですが,慶長3年(1598年)と寛文10年(1670年)に本殿を再建したという記録があることからそれ以前の建立と考えられます。階段を登った先のところには磐座(いわくら)と呼ばれる石があり,古代におけるご神体ともいわれています。境内はクロマツやウバメガシの昔ながらの自然が残り,秋葉社や山神社など6社が境内社として祀られており,地域の祭礼が行われているといいます。境内には帝国議会の議員を務めたという端山忠左衛門と,庄屋として山林保護などをつとめたという新美應助の頌徳碑が設けられているといいます。

丸一酒造
植大西廻間11 [公式HP(外部リンク→)]





 神明社の北東側の出口から出て,そのまま道なりに左に進んで100mほどのところに丸一酒造があります。良質な米や水を得られる大正6年(1917年)の創業という老舗の酒蔵で,阿久比町がホタルの里として知られることから名付けられた「ほしいずみ」と,冠や勲章を得られる立派な酒になるようにと願いを込めて名付けられた「冠勲」などのブランドで酒の製造を行っています。入口の直売所でも酒の購入ができるほか,町内の酒場などでも購入することができます。また町内の居酒屋などでもお酒を飲むことができるといいます。

地蔵寺(植大)
植大東山ノ手12



 丸一酒造から東の上り坂の筋に入り,100m弱進んだ次の筋を左折します。100mほど進んだ右手には付近の住民の交流の場になっている植公民館があります。



 植公民館から北に100m強進んだ左手には地蔵寺(浄土宗)があります。創建は不詳ですが天保12年(1841年)の村絵図によると現在より南に地蔵堂があったといい,その後明治20年(1887年)に現在地近くに地蔵堂を再建し,本尊の阿弥陀如来と共に安置したといい,明治45年(1912年)に現在地に移されたといいます。

蓮慶寺
植大石坂36 [公式HP(外部リンク→)]





 地蔵寺の先の十字路を右折して東へ150mほど進み,2つ目の筋を右折し,100mほど先の筋を左折して道なりに100mほど進むと蓮慶寺(真宗大谷派)の北側に出ます。石坂山と号し,永治元年(1141年)に兼遵により創建された蓮智坊という天台宗寺院がその前身といいます。文亀2年(1502年)に大野城主でもあったという13代正了上人が,三河国に来ていた蓮如上人に六字名号を賜って帰依し浄土真宗に改めたといい,寛永元年(1624年)に蓮慶寺と改めたといいます。立派なたたずまいの本堂[国登録]は文化8年(1811年)の建立といい,阿久比町横松地区の横松大工である榎本清兵衛を棟梁として建設されたといい,当時としては大きな本堂だったといいます。伊勢湾台風などでも被害を受けましたが,その都度修復されて現在でも地域の人々に親しまれているといいます。この他にも明治29年(1896年)に建立されたという大門[国登録],昭和26年(1951年)に設けられたという土塀[国登録]も文化財指定されています。隣接して南部保育園が設けられており,平日は子供たちの歓声で賑わっています。

大古根八幡神社
植大柿崎11







 蓮慶寺の東側の大門から出てそのまま下り坂を200mほど下って進み,県道に突き当たったら左折します。200mほど北上して「植大駅西」交差点を越えた先の左手に大古根八幡神社があります。英比丸の四男である菅原道清により天暦5年(951年)に古新田村から八幡社を移して氏神にしたと伝わっています。明治17年(1884年)に植村と大古根村が合併して植大村になったときも,氏神はそれぞれの神社で祀られることになったといいます。昭和2年(1927年)に入母屋造りで回り舞台がある常舞台(神楽殿)が設けられ,当時では珍しく他の地区からも注目されたといいます。毎年4月の第3土日に行われる例祭のときには,江戸時代末期の作という八幡社山車[町民俗]も出て多くの人で賑わうといいます。八幡社山車は知多型に属し,岸幕角三郎による壇箱「力神」をはじめとした彫刻が見事といいます。

ゴール:名鉄河和線・植大駅





 大古根八幡神社から「植大駅西」交差点に戻り,交差点から東に150mほど進むとゴールの植大駅に到着します。普通列車のみの停車で1時間に4本程度(土休日は一部時間帯を除いて2本程度)の運転です。名鉄名古屋駅や金山駅方面は阿久比駅で特急・急行に乗り換えるのが便利で,所要時間は約35〜40分です。

写真使用数:61

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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