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ぼちぼちウォーキングでは,名古屋市周辺のウォーキングをした体験記をまとめています。

愛知県阿久比町:坂部コースSAKABE

2018年12月探訪。2018年12月18日作成

【コース】 距離:約5.5km
 町中心部の卯坂地区をめぐります。於大の方ゆかりの洞雲院や坂部城跡などの史跡から,西側の田園地帯や公園をめぐり役場へと進んでいきます。

≪コース≫ 名鉄・坂部駅〜(卯坂)八幡神社〜洞雲院〜坂部城跡〜阿久比町立図書館〜 最勝寺〜津嶋神社〜阿久比スポーツ村〜中部工業団地〜卯之山公園・秋葉神社〜弘誓院〜阿久比町役場・中央公民館〜名鉄・阿久比駅


(国土地理院発行 1/25000地形図を利用して作成)



スタート:名鉄河和線・坂部駅





 スタート駅は前コースと同じく名鉄河和線の坂部駅です。普通列車のみの停車で,河和線の乗換駅の太田川駅から約14分です。本数はおおむね1時間に4本程度になります。名古屋,金山方面からは特急・急行などに乗車して太田川駅で乗り換えが便利です。名鉄名古屋駅からは40分程度の時間を見込んでおけばいいでしょう。

(卯坂)八幡神社
卯坂八神52

 坂部駅から出て西側に進み,県道の信号に突き当たったら左折します。続く細い路地を右折し,続く分岐を右に入って道なりに西に100mほど進むと(卯坂)八幡神社があります。延喜18年(918年)に相山の藤麿屋敷に山城から勧請して氏神として祀ったという社伝があり,古くは相山(そうやま)八幡宮といわれたといいます。のちに南方に久松氏によって坂部城が作られ,久松家によって守り神として現在地に移されたといいます。昭和25年(1950年)までは祭礼の際に村芝居も上演され,献馬も行われていたといいます。八幡神社の奥に進んだ先には御嶽神社も祀られています。

洞雲院(知多四国15番)
卯坂英比67









 八幡神社の入口から南方向へ100mほど進むと洞雲院(曹洞宗)があります。正式には龍渓山久松寺洞雲院と号し,天暦2年(948年)に菅原道真の孫である雅規(通称,英比(あぐい)殿)を開基として創建されたといいます。創建当初は久松寺と称する天台宗の寺院で,この当時は英比殿夫妻の徳をしのんで,彼らの木像を家々に廻すという「廻り地頭信仰」があったといいます。明応2年(1493年)に雅規の子孫で坂部城主の久松定益が曹洞宗の寺院として再建し,久松家の菩提寺としました。本尊は平安時代の仏師藤原定朝作という如意輪観音像[町文化]です。家康の生母である於大の方が,松平広忠(家康の父)から離縁されたのち,天正17年(1547年)に久松俊勝と再婚したことから,この寺は於大の方ゆかりの寺としても知られます。於大の方は刈谷の椎の木屋敷からこの地に移り,家康の武運長久を祈り手紙などを送り続けたといいます。俊勝との間には3男4女を設け,のちに松平姓となって桑名城主や松山城主などを始め多くの大名を輩出する家系になったといいます。その縁で彼女ゆかりの文化財なども多く,徳川家康の武運長久を願って血書した血書阿弥陀経[町文化]のほか,彼女ゆかりという重箱,於大の方位牌,香合[いずれも町文化]などが残されています。また久松家ゆかりのものとして,久松定益が寄進したという涅槃図,久松俊勝の父定義が寄進した十六羅漢図,蓮水鳥図,久松俊勝が使用したという鞍[いずれも町文化]などの文化財があります。他にも安土桃山時代の連歌師で,信長・秀吉にも重用されたという里村紹巴の作という賦山何連歌(杜若連歌)[県文化]があります。境内には久松・松平家の墓所[町史跡]や於大の方の遺髪塚があり,家康に思いを寄せた於大の方をしのぶことができます。毎年3月16日には女性の幸福を願う於大の方ゆかりの法要という「観音懺摩法会(おせんぼ)」が行われるといいます。また,高台からの阿久比谷の景色も見どころの1つになっています。

坂部城跡
卯坂八神52







 洞雲院から東方向へ坂道を下って進み,100mほど先の三叉路になっているところを町立図書館の案内に従って右に入ります。すると50mほど先に坂部城跡[町史跡]の入口があります。「久松家創業地城山公園」の石碑の横を通って坂を上がっていった先の城跡は現在,城山公園になっています。坂部城は久松定益により築城された平城で,別名阿久比城とも称したといい,当時は現在住宅地が広がっている東側に武家屋敷が立ち並んでいたといいます。久松俊勝と再婚した於大の方は俊勝が岡崎城代になるまでの15年間をこの城で暮らし,永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際には家康との感動の再会をこの城で果たしたといいます。その後,俊勝の長男の信俊が織田信長から謀反の疑いをかけられて大阪の四天王寺にて自刃したのち,坂部城は佐久間信盛によって攻められ,廃城になったといいます。昭和57年(1982年)に町立図書館の建設に伴う発掘調査で,東西36m,南北54mの規模の遺構が見つかり,城の西側と南側は空堀も残存しているといいます。



 坂部城跡の西側には阿久比町立図書館があります。昭和58年(1983年)に坂部城跡に設けられました。阿久比町の歴史探訪などを行う際の郷土資料の調査などにも活用できます。館内には当時の坂部城跡を再現したミニチュアも展示されています。

最勝寺
卯坂北ノ浦8-1





 町立図書館から坂部城跡の入口に戻り,階段を下って50mほど西に進み,先の県道を右折します。そのまま300m弱進んだ2本目の筋を右折して,続く分岐を右に入ると最勝寺(天台宗)があります。大円山と号し,寺伝によると天智3年(664年)に役行者が開創したといい,天武3年(674年)に僧光円が珍上山長泉寺を開いたといい,吉野喜蔵院という修験道の寺の末寺だったといいます。その後,行基によって古見堂地蔵が設けられて本尊として安置されたといい,古来は修験道と天台宗の両面を備えた寺で,七堂伽藍を備えた大規模な境内を誇ったといいますが,度重なる兵火で現在の規模になったといいます。宝暦3年(1753年)に修験道を離れて天台宗となって現在の寺号に改称され,明治になって比叡山延暦寺の末寺になったといいます。本堂にあるという古見堂地蔵は,以下のような昔話が伝わっています。平治2年(1160年)に野間(美浜町)にて殺された主君源義朝の首を取り返そうと渋谷金王丸がこの地に来たとき,馬が病気になって動けなくなりました。そこで轡(くつわ)を洗って献上し一心不乱に願ったところ,馬は平癒し無事に進めるようになったといいます。現在は子供の「かんの虫封じ」に霊験があるとして信仰されているといいます。

津嶋神社
卯坂北ノ浦58





 最勝寺の東側の分岐に戻り,南側に行く筋に入ると津嶋神社があります。社伝では承安3年(1173年)の創建という古社で,戦前は英比5社と呼ばれた神社のうちの1社と言われたといいます。かつては祭礼の時には多くの子供が行列に参加し,昭和34年(1959年)までは神楽と青年芝居も行われていたといいます。大正15年(1926年)の社殿が設けられ,本殿と拝殿,幣殿が渡殿で連結された町内でも珍しい様式になったといい,平成2年(1990年)に建て替えられたといいます。4月第2日曜日に例祭が,7月第3日曜日には津島まつりが行われ,賑わうといいます。

阿久比スポーツ村
卯坂浅間裏3-2









 津嶋神社から西への細い路地を進み,やや広い筋に合流したら500mほど道なりに坂道を登って進んでいきます。途中から田園風景も広がります。進んだ先の右手に入って進んだ先には阿久比スポーツ村があります。阿久比町の丘陵部に広がる広さ約82000平方メートルのスポーツ施設で,野球場や陸上競技場,トレーニングルームなどを備えて各種の大会も行われます。グラウンドは昭和62年(1987年)に整備されたときは名鉄阿久比グラウンドといいましたが,のちに佐川急便に譲渡され,平成15年(2003年)からは阿久比町の管理となりました。1989年から1996年までは中日ドラゴンズの2軍の本拠地としても使われていたといいます。野球場の南にはスポーツ医・科学研究所が設けられています。

中部工業団地
卯坂梅ヶ丘





 阿久比スポーツ村の陸上競技場の北側の道路を西に進み,T字路を右折して続く分岐を右に進み,道なりに知多半島道路を渡ります。この付近からは西側の広大な田園地帯を望めます。



 知多半島道路を渡ったら右に進み,続く筋を左折してその先の広い筋を左に入って田園地帯を進んでいきます。400mほど先の信号を左折し,500mほど先の「中部工業団地北」交差点を越えた先には中部工業団地があります。平成7年(1995年)に起工式が行われた工業団地で,町内の草木・南部工業団地とともに先端産業の企業を誘致するために設けられ,現在では3つの工業団地をあわせて10社の企業が営業しているといいます。

卯之山公園・秋葉神社
卯坂秋葉山14





 「中部工業団地北」交差点から東方向に進んで知多半島道路を越えて,さらに100mほど先の左に分岐する細い道に入ります。ここを400m強道なりに進み,先の分岐を左に入った先には卯之山公園があります。狭いながらも都市公園として整備されており,ウォーキングの休憩地点としても利用できます。





 公園の奥の山の上には秋葉神社が祀られています。この地はかつて卯之山館という豪族の館が設けられていたという伝承があります。

弘誓院
卯坂仙入坊79







 卯之山公園から東に進んで,公園東側のT字路を右折して道なりに150mほど進みます。次の十字路の手前の細い筋を右に入るとその先に弘誓院(浄土宗)があります。兎養山と号し,寺伝によると伝教大師最澄が教えを広めるために全国行脚して英比の郷に立ち寄って池のほとりに来た時,池から光が出てどこからともなく現れた白兎が光に向かって飛び込み一寸七分の阿弥陀仏を運んできたといいます。そこで大師は池のほとりに勅願寺を建てて兎養山長安寺と名付けたといいます。七堂伽藍を備え,50もの坊舎を持つ広大な寺域を誇ったといい,この地区が卯之山と呼ばれる由来といいます。その後戦乱で荒廃しますが,元禄5年(1692年)に中興の貞亮和尚により(寺の案内板では天文2年(1533年)に呑及和尚により)再建されたといいます。山門前には書家の続木湖山の筆によるという筆塚があり,書道の上達を願って筆を供養するために建立されたものといいます。

阿久比町役場
卯坂殿越50 [公式HP(外部リンク→)]





 弘誓院の南側に出て左折し,200mほど先の2本目の筋を右折します。そのまま100mほど南下し,突き当りを左折して続く筋を右折し,そのまま100mほど南下すると阿久比町中央公民館と阿久比町役場があります。中央公民館は阿久比町の住民交流や生涯学習のための施設で,各種イベントなども行われるといいます。公民館のロビーには宮津板山F古窯から出土した長頸三筋壺[町文化]が展示されています。平成19年(2007年)の土地開発事業に伴う発掘で見つかったもので,高さは23.6m,胴径16.8mの平安時代末期の壺といい,ほぼ完全な形で出土した例が少ない貴重な三筋壺といいます。また2階の資料室にも町内の古窯などからの出土品が展示されているといいます。







 南には阿久比町役場があります。平成27年(2015年)に完成したばかりの真新しい庁舎で,ガラス張りの印象的な建物です。庁舎の南には芝生広場やレストランが設けられ,住民にも開放されて憩いの場になっています。また,クッキングや音楽会などの各種イベントも行われるといいます。その南には真新しい文化ホールのアクビアホールがあります。

ゴール:名鉄河和線・阿久比駅



 阿久比町役場の東側の県道を南下して200mほど進むと,左手にゴールの名鉄阿久比駅が見えてきます。特急も停車する阿久比町の中心駅で,名鉄名古屋駅まで特急で約25分,急行では約29分で行くことができアクセスが便利です。本数は特急,急行共に30分に1本程度です。

写真使用数:34

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ぼちぼちウォーキング

作成者 Rintaro Nagano
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